賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

海を渡った伊万里焼を追って(8)

 1987年7月7日、「海を渡った日本の焼きもの」を追って、インドのボンベイに飛んだ。香港、マカオ、中国、マレーシア(マラッカ)にひきつづいてのインド・ボンベイになる。

 

 インドは共同通信文化部の土岐浩之さんと一緒だ。

 我々はボンベイの町を歩いたあと、一番の目的の「プリンス・オブ・ウェールズ博物館」に行った。そこでは思っていた以上の成果があった。

 

 その時の様子は『海を渡った日本のやきもの』(ぎょうせい・1985年刊)の土岐さんの記事でもって紹介しよう。

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 雨上がりの朝、ムガール朝の細密画のコレクションで名高いプリンス・オブ・ウェールズ博物館で、別行動でやはり「イマリ」を探し歩いていた賀曽利君と待ち合わせる。

 

 二人して、博物館のガンジー氏を訪ねる。花壇の中にバスコ・ダ・ガマの銅像があり、その向こうにドーム形屋根の本館が見える。入口を入ると、中央の広間が吹き抜け吹き抜けとなっていて、塔屋のような天井を見上げることができる。

 

 陶磁器の陳列室は三階にある。エジプトの壁画やレリーフ、ネパールの曼荼羅、ムガールの細密画などを横目に見ながら階段を上がる。

 

「あった!」

 薄暗い陳列室のガラスのなかから、いきなり目に飛び込んできたのは、色鍋島の鮮やかな色彩だった。尺八寸(一尺八寸=約五五センチ)の大皿である。桜にまん幕、抱き茗荷紋、ぼたんの花をあしらっている。鍋島藩の紋所が、はるか西インドの港町まで来ていることに奇妙な感懐を覚えた。

 

 隣りには一尺の菊花文の深鉢がある。まぎれもなく江戸後期のイマリである。それも、かなりの逸品である。

 柿右衛門様式の耳付きの八角鉢(六寸)もある。これも江戸後期か幕末あたりの作品か。残念ながら、詳しい年代はガラス越しなので判定できない。

 

 窓絵の六寸鉢と秋草文様の六角の香炉は、一見、白薩摩のように見える。

「ふうん、これが粟田口(京都の古窯)の京薩摩か」

 と、思いながら、ガラス棚の表から裏からと眺めたが、やはりよくわからない。

 

 三葉葵の紋の入った香炉には『鬼山』の銘があり、水指の裏には『長州山 薩摩国錦谷 宝生院之印 義家画』の文字が読み取れた。

 

 清朝の中国製模造イマリもいっしょくたに並べてあり、九谷焼まがいの磁器もある。

『IMARI』とか『NABESHIMA』などと展示ケースの表示には書かれているが、あまりあてにはならない。

 

 だが、ヨーロッパに数多くのイマリが流出したことはよく知られているが、インドの西の果てであるボンベイで、これだけの数の古伊万里や色鍋島、柿右衛門を見ることができたのは、期待していなかっただけに喜びも大きかった。

 

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 このあと土岐さんとはインドの大財閥、タタ財閥の本拠地を訪ね、タタ・コレクションの「海を渡った日本のやきもの」の数々を見せてもらった。

 

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プリンス・オブ・ウェールズ博物館

 

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博物館に展示されている「海を渡った日本のやきもの」