賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

シルクロード横断:第32回 タラズ→タシケント

 カザフスタンは旧ソ連の中央アジア5ヵ国の中でも、圧倒的に大きい。面積は272万平方キロで日本の7倍以上もの広さ。首都は北部のアスタナに移ったが、実質的な首都は中国&キルギス国境に近いアルマティで、それ以前の首都だった。中央アジアではウズベキスタンのタシケントと並ぶ大都市。シルクロードの「天山北路」の要衝の地だ。

 今回の「シルクロード横断」ルートでは、残念ながらカザフスタンは国の南をかすめる程度でしかなく、ひと晩、泊まったタラズからはウズベキスタンの首都タシケントに向かった。

「ジャンヒル ホテル」のレストランでバイキングの朝食を食べ、9時前にタラズを出発。朝方の雨はやんだが肌寒い天気。天山山脈西端のゆるやかな山並みを越えていく。

 いくつかの峠を越え、最後の峠で小休止。あまりの寒さに我慢できなかったのだ。峠のカフェに飛び込み、ストーブにあたりながらコーヒーを飲んだ。ハンドルを握る手は感覚がなくなるくらいに冷たい。

 峠といっても日本の脊梁山脈の峠とはまるで違う。いかにも大陸的で、ズドーンと一直線に延びる2車線の舗装路が峠を越えている。そこには2台のウクライナ・ナンバーの大型トラックが停まっていたが、「TIL」マークをつけた国境越えの大型トラックが何台も峠を越えていく。カザフスタン・ナンバーのトラックだけでなく、ロシアやドイツ、オランダ・ナンバーのトラックが峠を越えていくのを見る。ダイナミックに大陸を駆ける「ユーラシア大陸横断」のトラック軍団だ。

 この峠を越えると寒さから解放され、天山山脈は遠のいていった。それは中国の新疆ウイグル自治区に入って以来、ずっと見つづけてきた天山山脈との別れでもあった。天山山脈は中国だけではなく中央アジアの国々にまで延び、最後はカザフスタンの平原に呑み込まれるようにして果てる。東西2000キロ以上の大山脈だ。

 昼過ぎにカザフスタンでも有数の都市、シムケントに到着。ここはウズベキスタンへの玄関口であるだけでなく、ロシアからさらにはヨーロッパに通じる道の拠点。大きな交差点を直進したが、そこを右折するとモスクワ方面への道になる。

「サマーラ2258キロ」の道標があったが、ウラル山脈の西側のサマーラ(クイビシェフ)からモスクワは近い。ドイツナンバーやオランダナンバーの大型トラックはサマーラに通じる道に入り、モスクワからポーランドのワルシャワを経由し、ドイツのベルリン、オランダのロッテルダムやアムステルダムなどに向かっていく。

 シムケントの街道沿いの食堂で昼食。麺&スープ、ライス&羊肉、シシカバブーを食べた。そしてウズベキスタンとの国境へ。タラズから300キロの国境に到着したのは15時。

 大勢の人たちが行き来する国境で我々のカザフスタン出国、ウズベキスタン入国にはずいぶんと時間がかかり、すべての手続きが終わったのは21時30分。国境から20キロの首都タシケントに到着したのは22時。「ウズベキスタン ホテル」に入り、ホテルのレストランで黒パンとサラダ、チキン&ポテトの遅い夕食を食べ終えたときは心底、ほっとするのだった。

タラーズの「ジャンヒール ホテル」の朝食

タラーズの「ジャンヒール ホテル」の朝食

天山山脈のゆるやかな山並み

天山山脈のゆるやかな山並み

天山山脈の「峠の茶屋」

天山山脈の「峠の茶屋」

峠に停まっているウクライナ・ナンバーの大型トラック

峠に停まっているウクライナ・ナンバーの大型トラック