カソリの中国旅40年(9)
2006年にはスズキDR-Z400Sを走らせ、シルクロードを横断した。
8月16日に東京を出発。神戸港からDRともども中国船の「燕京号」に乗り込み、中国の天津に渡り、シルクロードの玄関口の西安へ。
そこからシルクロードを一路、西へ西へと走った。
天山山脈南麓のコルラからタクラマカン砂漠を縦断し、崑崙山脈北麓のニヤへ。シルクロードの西域南道でホータン、ヤルカンドと通り、9月12日、中国西端の町カシュガルに到着した。
カシュガルからはフェルガナ山脈のトルガルト峠(3752m)を越えてキルギスに入り、カザフスタン→ウズベキスタン→トルクメニスタンと中央アジアの国々を通り、イランからトルコへ。
東京から1万3171キロを走破し、10月10日にイスタンブールに到着。アジアとヨーロッパを分けるボスポラス海峡の海岸でバイクを止め、対岸のイスタンブールの町並みを目にしたときは、胸にググググッとこみ上げてくるものがあった。
この「シルクロード横断」のメインは「天津→カシュガル」の中国だ。
約600キロの「タクラマカン砂漠縦断」では延々とつづく大砂丘群を見ながら走った。その途中では大砂丘のてっぺんに立ち、際限なく広がる大砂丘地帯を一望。砂漠公路を外れ、バイクで砂丘群を走りまくったりもした。
中国西端の町、カシュガルからはカラコルムハイウエーを南下し、標高3600メートル地点にある神秘的な湖のカラクリ湖まで行った。湖の北側にはゴングール峰(7719m)、南側にはムスタックアタ山(7546m)がそそりたち、抜けるような青空を背にした雪山の雪の白さはまぶしいほどだった。
トルガルト峠を越えたキルギスではイシククル湖(クルは湖の意味)の湖畔でひと晩泊まったが、対岸の夕日を浴びた天山山脈の雪山群の眺めは強烈に目の底に残った。夕日を浴びた標高5000メートル前後の雪山がズラズラズラッと連なっていたが、その向こうがタクラマカン砂漠になる。
この「シルクロード横断」では天山山脈をはじめ崑崙山脈、カラコルム山脈、パミール高原…と、中央アジアの大山脈を間近に眺めることができ、「カソリの世界地図」の空白の部分を埋めることができたように思う。
とくに天山山脈の大きさには驚かされた。最初に出会ったのは新疆ウイグル自治区に入ってまもなくのことで、シルクロードのオアシスのハミ近郊で。砂漠に落ちる前山の向こうにトムラッチ峰(4880m)を見た。山頂周辺の雪が陽炎のように揺れていた。
中国とキルギス国境のトルガルト峠は天山山脈とパミール高原の接続部の峠。キルギスの首都ビシュケクで見た天山山脈の風景もすばらしいもの。カザフスタンからウズベキスタンへの道は砂漠に落ちていく天山山脈の西端を越えていくが、あまりの寒さに我慢できず、峠のカフェでコーヒーを飲みながら暖をとったこともあった。
シルクロードはぼくにとっては特別な世界なのだ。
小学校4年生のときのことになるが、国語の教科書でスウェーデンの探検家、スウェン・ヘディンの「タクラマカン砂漠横断記」を読んだ。それにすっかり感動し、その後、小学校の図書館にあった子供向けの中央アジア探検記を全巻、読みあさった。そして「大人になったら、中央アジアの探検家になるんだ!」と心ひそかに決めた。
シルクロード全域の踏破というのはその時からの夢であり憧れ。この「シルクロード横断」の途中でぼくは59歳の誕生日を迎えたが、シルクロードへの憧れを抱いてから49年目にして、10歳の少年時代の夢を果たすことができた。
イスタンブールに到着したときは、夢を見つづけ、憧れを抱きつづける大事さをあらためて感じるのだった。