賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの峠越え(20) 中国編(3):鳥取・島根県境の峠 (Ridges in Chuugoku Region)

 (『月刊オートバイ』1994年11月号 所収)

 

「京都→鳥取」の「山陰道の峠」、「鳥取→米子」の「鳥取の峠」にひきつづいての、山陰の峠越え第3弾は、「米子→松江」の「鳥取・島根県境の峠」だ。

 鳥取県と島根県の境には中国山地から延びる山並みが、ゆるやかに連なっている。比較的、越えやすい山並みなので、峠道が何本も開けている。

 それら鳥取・島根県境の峠を、地図を頼りに、ひとつ、またひとつと越えていく。

 

 地図上で峠を探し、峠道をチェックし、どのようなコースでまわろうかと一生懸命に考え、そして実際にその峠を越えるときの感動は何にもかえがたいものがある。

 このあたりは、メジャーなツーリングコースではないが、どこを走っても地元の人たちの生活の匂いがただよっているようで、峠を越えながら眺める風物には、すごく心をひかれるものがある。

 

峠の名前は“峠”

 日本海に面した鳥取県西部の日吉津温泉で迎えた朝は、雲ひとつなく、絶好のツーリング日和で、夏の青空が広がっていた。

 早朝の砂浜を裸足で散歩する。気持ちいい!

 スーッと延びた海岸線の向こうに、皆生温泉の温泉街が見える。その向こうは出雲神話にも登場する弓ヶ浜。美保湾の対岸には、島根半島が見える。

 日吉津温泉の一軒宿、国民宿舎の「うなばら荘」に戻ると、朝風呂に入る。これが最高に気持ちいい。旅している喜びをしみじみと感じる瞬間だ。

 

 宿の朝食を食べ、8時、出発。米子平野の青々とした水田の向こうには、中国地方第一の高峰、大山がクッキリとした姿でそびえている。快晴の空なのに、大山の中腹にだけ、糸のような雲がたなびいていた。

 そんな大山の姿を左手に眺めながら、スズキRMX250Sを走らせる。

 国道9号に出、朝の通勤ラッシュの渋滞を縫って、米子の中心街へと入っていく。

 鳥取県西部の中心地の米子は、島根県との県境スレスレに位置しているので、

「アレッ、米子って、鳥取県だったかなあ、島根県だったかなあ」

 と、米子の皆さんには申し訳ないのだけど、いつも迷ってしまう。

 

 米子から国道180号を南下し、西伯町に入る。町の中心、法勝寺で国道を右折。

“伯太”の標識に従って、川を渡るとすぐに左折し、鳥取・島根県境の、最初の峠に向かっていく。川沿いのいくつかの集落を通り過ぎ、最奥の集落、伐株に着く。

 その先が鳥取・島根県境の峠なのだ。

 RMXを止め、田のあぜ道の草とりをしているオバアサンに、峠について聞いてみる。「峠の名前ねえー、さー、“たわ”と呼んでいるだけで、とくに名前はついていませんよ」

 とのことだ。

 この地方では峠のことを“たわ”といっているが、ようするに、この鳥取・島根県境の峠名は、たんに峠なのである。

 

 伐株の集落を過ぎ、幅の狭い峠道を登っていくと、すぐに鳥取・島根県境の峠に着く。 聞こえてくるのは、鳥のさえずりとセミの声だけで、車はほとんど通らない。

 峠には“区内安全”と書かれたお札をはさみ込んだ竹が、何本も立っている。

「いろいろな災いをこの峠でくい止めて下さい」

 という村人たちの祈りがこめられた峠のお札だ。

 

 鳥取・島根県境の峠を越え、島根県伯太町に入る。

 峠を下りはじめたところにある須山という集落で、先ほどと同じように、峠の名前を聞いてみた。すると、伐株峠と呼んでいるとのことだった。

 伯太町の赤屋まで下っていくと、小学校前の村の広場では牛の品評会が開かれていた。各家々の自慢の黒牛が、何頭もつながれ、毛並みや肉付きのよさを競い合っている。村人総出といった感じで、祭りのようなにぎやかさ。村人たちの明るい表情と合わせ、それはとっても心に残る光景だった。

 

カソリ滝に打たれる!

 牛の品評会を見たあと、赤屋から鳥取・島根県境の2番目の峠に向かう。

 島根県側では、峠下の集落名にちなんで、中永峠と呼ばれているようだ。

 その峠下の集落から、寄り道をして、“鷹入の滝”に行く。県境の鷹入山(706m)の山頂直下にある滝だ。

 滝の入口の駐車場にRMXを止め、渓流に沿って、遊歩道になっている山道を登っていく。15分ほど歩くと滝に着く。小さな祠の瀧神社がまつられている。賽銭をあげ、手を合わせたあと、すっ裸になって滝に打たれた。身も心も、スッキリ、サッパリだ!

“鷹入の滝”は、滝に打たれるのにちょうどいい。高さは20メートルくらいだが、水量はそれほどない。滝壺も深くはない。流れ落ちる滝に打たれていると、自然と自分が一体化したような、なんともいえない不思議な気分を味わえた。

 

 さて、滝に打たれ“仙人ライダー”になったような気分のカソリは、中永峠を登っていく。島根県側は、幅の狭い、ブラインドのコーナーが連続する峠道。それが、県境の峠を越え、一歩、鳥取県側に入ると、赤松林の中を貫く2車線の峠道に一変する。センターラインのホワイトのペイントがまぶしい。

「おー、ナンダ、ナンダ、こりゃー!」

 と、峠をはさんでのギャップの大きさに、思わずそんな声が出る。なにか、県同士の見栄の張りあいのようにも見えるのだった。

 

 峠を下った印賀という集落で、今、越えてきた県境の峠の名前を聞いてみた。すると、「名前はないなあ。たんに“たわ”といっているよ」

 との答えだった。

 まあ、地名というのは、だいたい、こんなものだ。

 峠名のみならず、川の名前にしても、聞いてみると、小川だったり大川、山の名前にしても、前山や後山だったりする。

 それは、世界でも同じこと。アメリカとメキシコの国境を流れるリオグランデ川は、スペイン語でたんに“大川”の意味。世界最大のサハラ砂漠にしても、サハラとは、アラビア語でたんに“砂漠”の意味でしかない。

 印賀からはいったん、国道180号に出る。そこは前回の「鳥取の峠」で越えた、五輪峠のすぐ下の地点だ。

 

峠を越えて美肌温泉へ

 国道180号の五輪峠下の地点で引き返し、さきほどの峠への分岐点を過ぎ、万才峠に向かう。印賀川の流れに沿って走る。

 大原という集落まで来ると、ちょっと寄り道し、もうひとつの鳥取・島根県境の峠を越え、牛の品評会が開かれていた伯太町赤屋まで行ってみる。

 その峠は、鳥取、島根の両方で聞いてみたが、ともに名前はなかった。が、峠には旅人の安全や村内の安全を願った、

「南無妙法蓮華経・日蓮大菩薩」

 と、彫り刻まれた石塔が立っていた。苔むした石塔で、そのことからも、峠の歴史の古さが想像できた。鳥取側はゆるやかで、島根側はタイトなコーナーが連続する峠道だ。

 

 ふたたび大原の集落に戻り、万才峠を目指す。川沿いには、点々と集落がつづき、なだらかな山々がその周囲をとりかこんでいる。

 とくにどうということのない山里の風景だが、ぼくはRMXのハンドルを握りながら、「日本って国は、ほんとうに美しい国だなあ!」

 と、感動してしまう。

 

 赤松林の中の、鳥取・島根県境の万才峠を越え、島根県横田町に入った。

 峠を下っていったところで、また寄り道をし、2キロほど山中に入ったところにある斐乃上温泉に行く。山間の一軒宿の温泉。「斐乃上荘」(入浴料300円)の湯に入る。

“奥出雲の秘湯・日本三大美肌温泉”をキャッチフレーズにしているだけあって、なるほど、湯から上がると肌はつるつるしている。

 なお島根県には“日本三大美人湯”のひとつ、湯ノ川温泉がある。そのほかの“日本三大美人湯”というと、和歌山県の龍神温泉、群馬県の川中温泉になる。

 斐乃上温泉の湯で、肌がすべすべになったところで横田へ。JR木次線の出雲横田駅前で、RMXを止めた。

 

たたら製鉄の峠

 斐伊川といえば、出雲神話には欠かせない重要な舞台。

 その上流、島根県の横田は“たたら”のふるさとといってもいい。“たたら”というのは足で踏んで風を送るふいご(火をおこすための送風機)のことだが、炉に砂鉄と木炭を入れ、たたらで送風して鉄をつくる日本古来の製鉄法もたたらといっている。かつては横田周辺の山地では、盛んにたたら製鉄がおこなわれていたのだ。

 横田を出発し、鳥取・島根県境の大菅峠に向かった。その峠道の途中には、たたら製鉄で日本刀をつくる工場があった。おそらく日本で唯一のものだろう。

 

 車1台がやっと通れるくらいの道幅の峠道を登りつめ、大菅峠に到着。交通量のほとんどない峠にRMXを止め、深呼吸をし、峠の空気をたっぷり吸ってから鳥取県に入る。それとともに、道幅は広がった。

 峠下の大菅の集落を通り過ぎ、さきほどの万才峠への道と交差し、そして大入峠を越えて国道183号に出た。前回の「鳥取の峠」でも立ち寄ったJR伯備前線の生山駅前に、RMXを止める。そしてこれも前回と同じように、駅前の店でアンパンを買い、カン紅茶を飲みながら食べた。

 

 そんな遅い昼食を終え、地図を広げて見ていると、

「この暑いのに、バイクじゃ大変だね」

 と、4駆に乗った年配の人に声をかけられた。その人も、若いころはさんざんオートバイをのりまわしたという。

「だけど今では、もう怖くて乗れないねえ」

 と、ちょっぴり寂しそうな顔でいう。

 

 こうしてオートバイで旅していると、いろいろな人たちに出会うが、かつてオートバイに乗っていたという年とった人に声をかけられることがよくある。その人たちにとって、オートバイに乗っていた時代はまさに青春。ぼくのオートバイに乗った姿を見ると、はるか遠くに過ぎ去った青春時代がフラッシュバックしてよみがえり、胸のうずきをおぼえるようだ。

 

ヤマタノオロチ伝説の船通山

 鳥取県西部、日南町の中心地、生山からは、国道183号を走る。広島県境の鍵掛峠の手前、多里という集落で国道を右折し、鳥取・島根県境の龍ヶ駒峠に向かう。

 幅の狭い峠道で、交通量は少ない。右に左に、タイトなコーナーのコーナリングをくり返し、龍ヶ駒峠に到着。この地方ではよく知られている船通山(1142m)のすぐ南の峠だ。

 船通山といえば、ヤマタノオロチ伝説の、あのヤマタノオロチが住みついていたという山。また、さきほどの“たたら製鉄”の大中心地となった山でもある。そのため、このあたりの山々というのは、“たたら製鉄”の木炭用の樹木が激しく伐採され、ハゲ山だらけになってしまったほどなのである。

 

 龍ヶ駒峠を越えて、島根県横田町に入った。

 龍ヶ駒峠を横田へと下っていく。峠道から眺める島根県側の風景が、心にしみる。

 ふたたびJR木次線の出雲横田駅前に出、横田からは、国道314号を走る。木次への途中では、出雲湯村温泉の国民宿舎「清嵐荘」の湯に入る。入浴料が150円と安いのがありがたい。

 木次からは松江へ。その途中の海潮温泉では、町営「かじか荘」(入浴料200円)の湯に入ったが、湯量の豊富な温泉だ。

 

 ゆるやかな才ノ峠を越えて松江にゴール。

 松江では松江温泉「しまね社会保険センター」(入浴料300円)の4階展望風呂の湯に入る。湯につかりながら眺める、眼下の夕日を浴びた宍道湖の風景が、ぼくの目に焼きついた。

 最後に出雲路の温泉めぐりをしたあと、松江から国道9号で米子へ。米子IC到着は午後7時。

「さあ高速の一気走りだ!」

 米子道→中国道→名神→東名と、800キロの高速道路を夜通し走り、わが家に近い秦野中井ICに着いたのは、午前6時のこと。昇って間もない朝日が目にしみた。