賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの峠越え(19) 中国編(2):鳥取の峠 (Ridges in Chuugoku Region)

 (『月刊オートバイ』1994年10月号 所収)

 

 前回は「京都→鳥取」の「山陰道の峠」だったが、それにひきつづいて今回では「鳥取→米子」の「鳥取の峠」をお伝えしよう。

 鳥取県は昔の国名でいうと、東半分が因幡、西半分が伯耆になる。1993年8月号から10月号にかけての「因幡の峠」、それと1994年1月号から4月号にかけての「伯耆の峠」で鳥取の峠を紹介したが、今回の「鳥取の峠」では、そのときに越えられなかった峠、さらに中国地方第一の高峰、大山周辺の峠を越えようと思うのだ。

 

 ぼくは山陰がすごく好きだ。

 山陰というと、すぐに山陽と比較してしまうが、山陰は山陽に比べると、時間がはるかにゆったりと流れている。行く先々で出会う人たちは旅人にあたたかく接してくれるし、見るもの、聞くものがよけいにおもしろくなるのだ。

 

城下町&温泉町の鳥取

「京都→鳥取」を走り、JR鳥取駅前に着いたのは午後2時。

峠越えの相棒のスズキRMX250Sを駅前に止め、駅構内の観光案内所で、鳥取の市内地図をもらう。

 ぼくはこの観光案内所が好きで、よく利用するが、美人案内嬢にあれこれ教えてもらうと得した気分になるものだ。

 

 鳥取は池田氏32万石の城下町。

まずは鳥取のシンボルといってもいい鳥取城跡に行く。背後にはこんもりとした久松山がそびえ、中世の山城の面影を色濃くとどめている。残念ながら明治12年に城は取り壊しになり、現在では石垣や堀が残っているだけだ。

 鳥取城跡は久松公園になっている。RMXを公園入口にとめ、30分ほどプラプラ歩いたが、気分よく歩ける散歩コース。

 

 城下町鳥取を味わったあとは、鳥取市内の温泉をめぐる。

 鳥取はあまり知られていないが、温泉都市でもある。鹿児島や山口、甲府などとおなじように、県庁所在地の温泉都市なのである。それも鳥取駅近くの町の中心に温泉がある。 鳥取の町名が興味深い。馬場町や鍛冶町、桶屋町といった城下町にちなんだ町名が目立つが、その中に末広温泉町とか永楽温泉町、吉方温泉町といった温泉にちなんだ町名もある。城下町と温泉町が混じり合っているのだ。

 

 鳥取温泉には日乃丸温泉、元湯温泉、木島温泉の3湯の公衆温泉浴場があるが、それら3湯をハシゴ湯した。

 まずは、末広温泉町の信号から入っていく日乃丸温泉(入浴料250円)。ここには以前にも来たことがあるが、営業時間が早朝の6時から深夜の24時まで。ツーリングの立ち寄りの湯としては最適だ。

 次に、吉方温泉3丁目の信号を入ってすぐの元湯温泉(入浴料250円)。ここではオープン早々の一番湯に入ったが、円形の湯船につかりながら、いつも一番湯にやってくるという地元の人と話した。

 最後は、元湯温泉に近い木島温泉(入浴料250円)。3湯の中ではここが一番混んでいた。こうして鳥取の温泉の3連チャンを終え、鳥取の峠越えに出発したが、けっこうな湯疲れで足腰にきていた。

 

旧山陰道の赤坂峠

「さー、行くゾ!」

 気合一発、湯疲れでフラつく体にムチ打って、鳥取の中心街を走りはじめる。千代川にかかる千代橋を渡り、吉岡温泉へ。湖山池という雰囲気のある湖のわきに出る。湖畔でちょっとひと休み。しばし湖の風景を楽しむのだ。

“温泉のカソリ”、湯疲れもなんのその、吉岡温泉に着くと、「吉岡温泉会館」(入浴料200円)の湯に入る。湯から上がると、火照った体でRMXに乗り、吉岡温泉から山中に入っていく。峠道を一気に駆け登る。交通量はきわめて少ない。

 

 鳥取市と鹿野町の境の峠に到着。いつものように、峠の真上でRMXを止め、峠の空気をおもいっきり吸う。これが“カソリの峠の儀式”のようなものだ。

 鳥取市と鹿野町の境の峠周辺は、きれいな杉林。

 峠には大きな地蔵がまつられ、石畳の峠道も残されている。そうとう歴史の古い峠であることがわかった。

 

 峠を下ったところで、畑仕事をしていたひとに話を聞いた。すると、その峠は赤坂峠というそうで、旧山陰道の峠なのだという。現在、国道9号は海沿いを走っているが、昔の幹線はもっと南の山沿いを通り、江戸時代の参勤交代の大名行列もこの赤坂峠を越えていたという。

「今でも石畳の道が、峠までずっと残っていますよ」

 と、教えられたその方向に行ってみると、夏草に覆われた幅2メートル半くらいの石畳の道が、峠に向かって延びていた。

 

 赤坂峠を下ると、鹿野町の中心、鹿野。戦国時代には、山名氏や尼子氏、毛利氏といったそうそうたる顔ぶれの戦国大名たちが、死力を尽くして争奪戦をくりひろげたまさに激戦の地なのだ。

「我に艱難辛苦を与えたまえ」の言葉で有名な山中鹿之介は、尼子十勇士の一人で、その墓は鹿野にある。

 鹿野温泉では、国民宿舎「山紫苑」(入浴料350円)の展望風呂に入ったが、庭園には露天風呂もある。湯から上がると、夕暮れの道を走り、日本海に面した浜村温泉へ。

 今晩の宿は、国民宿舎の「貝がら荘」。湯に入ってさっぱりし、夕食。キューッと飲む湯上がりのビールがうまい!

 

因伯国境の佐谷峠

 翌朝は国民宿舎「貝がら荘」の朝食を食べ、8時に出発。浜村温泉から鹿野まで戻り、そこから鳥取県道21号鳥取・倉吉線に入り、佐谷峠を目指す。

 清流の河内川に沿って、点々と集落がつづくが、その山あいの風景は何か、古きよき日本を感じさせ、RMXに乗りながらも、ホッと心がなごむのだ。

 

 最奥の集落、河内を過ぎると、佐谷峠への上りがはじまる。交通量は少ない。まるで峠道を一人じめにしたかのような気分。コーナーを次々にクリアーし、高度を上げ、鹿野町と三朝町の境の佐谷峠に到着。この佐谷峠は因伯(因幡と伯耆)国境の峠で、“佐谷峠開通之碑”が建っている。そこにRMXを止め、因幡側の山々の風景をながめた。

 

 佐谷峠を伯耆側に下っていく。因幡側は急だが、伯耆側はゆるやかだ。峠を下りはじめてまもなく集落が現れ、やがて名刹の三徳山三仏寺の門前に出る。RMXを止め、急な石段をヒーヒーハーハー息を切らして登り、本堂に参拝する。

 修験道の祖、役行者が天空から3枚の蓮の花びらを撒くと、1枚は奈良吉野山、もう1枚は四国石鎚山に落ち、最後の1枚がこの三徳山に落ちたという。役行者はそれぞれの地に行場を開き、三徳山には慶雲3年(706年)に諸堂を建てて霊場にしたのだという。なんとも神秘的な三仏寺の開創伝説だ。

 

 本堂からさらに1時間ほど山道を登ったところに、国宝に指定されている奥ノ院の投入堂があるが、残念ながら本堂を最後に山を下りた。

 佐谷峠をさらに下り、山地を抜け出たところが三朝温泉。三朝川の河原にある無料の露天風呂に入る。とはいっても、橋の上からまるみえなので、入るのにちょっと勇気のいる温泉だ。

 日本有数のラジウム含有量を誇る三朝温泉の湯に入ったあと、古代の伯耆の中心地、倉吉の町に入っていった。

 

大山の峠

 倉吉から“伯耆富士”で知られる中国地方の最高峰大山に向かう。

 まず、国道313号で関金温泉へ。正面には蒜山の山々をながめる。右手には大山がスクッとそそり立っている。カーッと夏の強い日差しが照りつけている。

 関金温泉では「ホテルせきがね」(入浴料400円)の酒樽露天風呂に入った。“さくら露天風呂”と“つつじ露天風呂”の2つの酒樽露天風呂がある。酒樽露天風呂には湯が流れ込み、満々とたたえられているので、それにつかるとザザザザーッと盛大に湯が酒樽から流れ落ちる。

 

 関金温泉で国道313号を離れ、一直線に大山に向かって走っていく。

 大山の峠の第1番目は地蔵峠だ。峠の展望台に立つと、手前に勝田山(1149m)、甲ヶ山(1339m)、矢筈山(1359m)の山々を望み、左奥に大山(1731m)を望む。大山の周辺には、このような大山をながめる展望だが、何ヵ所にもある。

 地蔵峠から稜線上の道を走る。正面に大山を見ながら走る。RMXで切る風が気持ちいい。木の香をたっぷりとふくんだ風だ。

 

 第2番目は新小屋峠。関金町と江府町の境になっている。蒜山大山スカイラインとの分岐点を過ぎると、一気に山麓へと下っていく。タイトなコーナーが連続する。いい気になって速度をのせてコーナリングを繰り返していたら、そのうちの1ヵ所で、スポーンと抜けてあやうく道路を飛び出しそうになった。峠道の下りは、ほんとうに気が抜けない。

 T字路の分岐点まで下ると、右に折れ、第3番目の鍵掛峠に向かって登っていく。峠の展望台に到着。鍵掛峠は大山を間近にながめる峠だが、大山にはあいにくと雲がかかっている。それでも雲の切れ目からは、山頂周辺が顔をのぞかせ、雪渓が見えている。

 

 鍵掛峠を越えると、大山の中腹を走る。樹木の緑が濃い。森林浴しながらオートバイで走っているようなものだ。

 スキー場のある桝水高原に出、さらに大山中腹の道を走り、大山寺へ。駐車場にRMXを止め、石段を登って大山寺に参拝。そのあと、参道のわきにある食堂で昼食にする。

 メニューの“大山そば”を見て、

「あのー“おおやまそば”をお願いします」

 といったら、店のお姉さんに、

「アンタ、大山くらい読めないの?」

 といった顔つきで、

「だいせんそばですね」

 と、怒ったような声でいいなおされてしまった。

 

 ぼくは神奈川県の伊勢原市に住んでいるが、目の前にそびえている大山は“おおやま”なのだ。“おおやま”といいなれているので、つい無意識のうちに“おおやまそば”といってしまったのだが…。お姉さん、そんなに怒らないでくださいよ。

 鳥取の大山周辺は、島根の三瓶山と並んで、昔からのそばの名産地。それだけに“だいせんそば”はうまかった。

 

 いったん、大山寺から日本海の大山口まで下り、また大山寺に戻り、大山の登り降りを楽しみ、第4番目の一息坂峠へ。大山中腹の道を走り、峠の展望台に立つ。眼下には日本海の大海原が広がり、後ろを振り向くと、大山がドーンとそびえている。

 一息坂峠を最後に大山を下り、日本海の赤碕に下っていく。赤碕からは国道9号を西に走り、米子に出た。

 

「米子→米子」の峠越え

 米子からは、右手に大山をながめながら、国道181号を走り、溝口まで行った。そこから県道に入り、矢倉峠を越え、国道180号の日南町生山に出た。JR伯備線の生山駅前でRMXを停め、冷たいカン紅茶を飲みながらあんぱんを食べた。

 今度は国道180号で米子へ。その途中で五輪峠を越える。五輪といっても、オリンピックのことではない。歴史の古そうな峠なので、きっと昔は峠に五輪塔がまつられていたのだろう。

 

「鳥取の峠」を走り終え、米子に戻る。最後もビシッと、温泉三昧だ。日本海に面した皆生温泉の「皆生温泉浴場」(入浴料250円)の湯に入り、日野川を渡った対岸の日吉津温泉の国民宿舎「うなばら荘」に泊まる。夕日を浴びてまっ赤に染まる日本海をながめながら、湯につかるのだった。