賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

海道をゆく(10)「関東・西編」ガイド

 (『ツーリングGO!GO!』2005年6月号 所収)

1、日本橋

R1、R4、R6、R14、R15、R17、R20と、日本の最重要国道の起点。まさに「日本国道路元標」の地。日本の道はここからはじまるのだ。

ぼくにとっても日本橋は特別な場所。いままでの4回の「日本一周」は日本橋が出発点だし、「東京→青森」とか「東京→大阪」、「東京→下関」といった一気走りはいつも日本橋から走り出す。

「道路元標碑」前の「里程標」に刻まれた青森市736粁、大阪市550粁、下関市1076粁、鹿児島市1469粁などのキロ数を見ると胸がキューンとしてくるのだ。

2、R15(第一京浜)

日本橋発の幹線国道のうち、唯一、このR15だけがまったく右左折することなく横浜に向かってストレートに延びている。他のルートは都内のあちこちで右に曲がったり、左に曲がったりするので、フォローするのは楽でない。

R15は日本橋を出発するとすぐに日本の繁華街の代名詞の「銀座」を走り抜けていく。銀座1丁目から8丁目までを走っているときは、なんとはなしに晴れがましい気分になる。東海道最初の宿場町の品川を通り、新六郷橋で多摩川を渡って神奈川県に入ると「旅に出た!」という気分になるのだ。

3、竹芝桟橋

R15から浜松町駅前を通り、500mほどで竹芝桟橋に到着。ここから伊豆諸島や小笠原諸島への船が出ている。ここが東京都の島々への玄関口だ。無性に「島旅」への想いがかきたてられる。

ターミナルビル内のレストラン「イズシチ丸」で昼食にした。島寿司とかアシタバ料理といった島の名物料理を食べたかったが、メニューにないので仕方なく「塩ラーメン」(600円)にした。

4、R130

R15と分岐し、東京港の日の出埠頭までのミニ国道。その距離はわずかに0・5キロ。R15には「日の出桟橋」の標識。日の出埠頭の岸壁からは東京港をまたぐレインボーブリッジを間近に眺める。

R15からさらにR131、R132のミニ国道が分岐している。R131は羽田空港までの3・9キロ、R132は川崎港までの4・5キロという短さ。

ぼくは日本の全国道の起点から終点まで走る「国道走破行」をつづけているが、R15はミニ国道を織りまぜれば「東京→横浜」間でいっぺんに4本もの国道をかせげるありがたいルートなのだ。

5、走水神社

観音崎への入口にある神社。ここは「日本武尊(やまとたける)伝説」の地。タケルは走水の海岸から対岸の上総に渡ろうとしたのだが、大シケにあい、船が進まなくなってしまった。そこで妃の弟橘媛(おとたちばなひめ)が海に身を投げ、海神の怒りをしずめ、航海の安全を計ったという。

ぼくは「日本武尊伝説」にはおおいなる興味を持っていて、いつの日か、「タケル東征」の道をバイクで走ろうと思っているのだ。なお、横浜から走水の交差点までがR16で、そこから先の観音崎→浦賀は県道209号になる。

6、観音崎(無料)

三浦半島最東端の岬。台地はシイやタブ、トベラなどの照葉樹林の濃い緑で覆われ、岬全体が観音崎公園になっている。

駐車場にバイクを停め、海岸の遊歩道を歩いた。目の前の海は浦賀水道。対岸の千葉県の富津岬が驚くほど近くに見える。その間の狭い海を船が列をなして行き来している。すごい光景だ。

台地上に建つ灯台は明治2年(1869年)1月1日の初点灯。全国に全部で2600余の灯台があるが、「観音埼灯台」が日本最初の洋式灯台になる。

7、浦賀

江戸幕府は享保5年(1720年)、下田から浦賀に番所を移し、江戸への船の出入りを取り締まった。箱根が「街道の関所」ならば、浦賀は「海道の関所」だった。長さ1500m、幅200mの奥深くまで入り込んだ入江の周辺には問屋や回船問屋が立ち並び、浦賀はおおいに繁栄を謳歌した。

黒船来航後の万延元年(1860年)には勝海舟らの乗った咸臨丸がここからアメリカに向かって出港した。浦賀港を見下ろす愛宕山公園には「咸臨丸出港」の碑がある。浦賀は日本開国の重要な舞台だ。

しかし開国後は横浜や横須賀に舞台が移り、浦賀は急速に寂れてしまう。歴史は非情だ。浦賀港出口の南側の岬、灯明崎には灯台守がひと晩中、松明を灯す和式灯台の灯明堂跡が残されている。

8、久里浜のペリー公園

嘉永6年(1853年)7月8日、アメリカ東インド艦隊司令長官のペリーは4隻の艦船(黒船)を率いて浦賀沖にやってきた。鎖国の安眠を貪る日本中に、一瞬にして「黒船ショック」が襲った。

7月14日にペリーらはこの地に上陸。米大統領のフィルモアの親書を幕府に手渡した。ペリー上陸の地には「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」が建っている。「伯理」が「ペリー」。その字は伊藤博文の書いたもの。

上陸記念碑前のペリー来航のルート図の描かれた世界地図のレリーフには目を奪われた。ペリーの乗った「ミシシッピー号」などの艦船は1852年11月24日にアメリカ東海岸のノーフォーク港を出港し、大西洋のマデイラ島、セントヘレナ島と寄港して1853年1月24日にケープタウン到着。インド洋を横断し、モーリシャス島、セイロン島に寄港し、3月24日にシンガポール到着。ホンコン、上海、琉球に寄って7月8日に浦賀沖にやってきた。大航海だ。

その航路図は当時のアメリカと日本の国力の違いをまざまざと見せつけている。公園の一角に「ペリー記念館」(無料 9時~16時30分)。入口にはペリーの胸像がある。そのペリーは日本ではよく知られているが、アメリカではほとんど知られていない。

9、城ヶ島

三崎から有料(原付は無料)の城ヶ浦大橋を渡って入る。北原白秋の「雨はふるふる城ヶ島の磯に 利久ねずみの雨がふる」の詩碑が建つ城ヶ島は、三浦半島南端にとってつけたような小島。

ところがこの小島はすごいのだ。島全体が地形・地質の博物館のようなもの。「地学」に興味を持って島の遊歩道を歩いてみたらいい。北原白秋の詩碑前には「白秋記念館」(無料 9時30分~16時)がある。

10、三崎

「三崎」は各地にみられる地名だが「御崎(みさき)」とほぼ同意語。

三浦半島突端の三浦三崎は関東有数の遠洋漁業の基地として知られ、とくにマグロの水揚げが多い。魚市場周辺にはマグロを食べさせる店が何軒もある。

台風直撃のときに三崎に行ったことがあるが、そのとき「なんで三崎なのか」がよ~くわかった。三崎は城ヶ島の賜物なのだ。城ヶ島の南側の岩場には高さ10m以上の大波が打ちつけていたが、城ヶ島にまもられた三崎漁港には波ひとつなかった。城ヶ島がなかったら、三崎は三浦半島突端の単なる岬だ。

11、油壺

「油壺」とはじつにうまいネーミング。絶妙な地名のつけ方だと感心してしまう。その名の通り、壺のような地形の油壺湾は油を流したように波ひとつない。ヨットハーバーには無数のヨット。マストが林立している。

つい先日、峠恵子さんという美人歌手の書いた『ニューギニア水平垂直航海記』(小学館文庫)を読んだ。おもしろい本だった。ヨットにも探検にもズブの素人の著者が油壺から小さなヨットで出航し、伊豆諸島から小笠原諸島、サイパン島、ガム島、カロリン諸島を通ってニューギニアまで行き、インドネシア側のイリアンジャヤ州を探検する話だ。

油壺の海が赤道直下の島々や赤道を越えたニューギニアとつながっている!

12、荒崎

見事な海岸地形。白くて柔らかい砂岩・泥岩と黒くて硬い凝灰岩が層をなし、絵模様をつくり出している。自然は偉大な芸術家。海蝕洞もある。展望台からは相模湾越しに丹沢や箱根、伊豆半島の山々を眺める。富士山も見える。

岩場には何人もの釣り人。岬近くの漁港ではワカメを干していた。潮の香がプンプン漂っている。

13、天神島

佐島漁港の先に、周囲1kmの天神島。長さ4、5mの短い天神橋を渡ってバイクで入っていける。知らなかったなあ、こんな自然豊かな小島があっただなんて…。

天神島臨海自然教育園(無料 9時~16時30分)の遊歩道を歩いたが、ここではなんと146種もの植物が見られるという。ハマユウの群落もある。磯の海草類も多い。岩畳の向こうの笠島の風景もいい。

島内の天満宮の境内はうっそうとおい茂る照葉樹林で覆われている。島には「天神島ビジターセンター」(無料9時~17時)。そこでは佐島の漁業や天神島の自然が見られる。砂浜では地元の人たちがアサリを採っていた。

三浦半島西海岸を走るR134からほんのわずか入ったところに、こんな世界があるのだ。

14、大楠山

三浦半島の最高峰。R134の「大楠山入口」から入っていった。舗装路からダートになるが、固く締まった路面なのでロードバイクでも楽に登れる。

標高241mの山頂には螺旋階段の展望台(無料 9時~16時)。まさに三浦半島を一望する大展望。城ヶ島が半島と一体になって見える。

剣崎の向こうに房総半島突端の洲崎、荒崎の向こうには大島が見える。自分が走ってきたルートを展望台上から確認するようなものだ。

半島中央部を貫く横浜横須賀道路も見える。大楠山の山頂に立つと、三浦半島の大きさが実感できる。

15、大楠温泉

R134からわずかに海側に入ったところにある一軒宿の温泉。無色透明の岩風呂の湯。今は日帰りの温泉(入浴料1100円 10時~18時)になっている。常連客が多い。

日帰り湯治の湯といったところで、午前中に湯に入ると大広間で昼食を食べ、そのあと昼寝。午後、また湯に入り、夕方帰っていく人が大半だ。年配のカップルが多く、顔なじみの人が多いので世間話に花が咲く。三浦半島では唯一の本格派温泉。

温泉宿から海辺に出たところが秋谷海岸。相模湾越しに江ノ島や大山、伊豆半島の山々を眺める。

16、稲村ヶ崎

R134沿いの稲村ヶ崎は鎌倉の唯一の岬。断崖がストンと海に落ちている。岬全体が小公園になっている。ここから眺める江ノ島はいい。洋上には大島も見える。

ここは新田義貞「徒渉伝説」の地。元弘3年(1333年)、鎌倉に攻め入った新田義貞はこの地で海神に祈りを捧げ、腰にさした黄金の太刀を海中に投げ入れた。

すると岬の海はにわかに引き、難攻不落の鎌倉に進入できた。と、『太平記』に記されている。義貞の軍勢は北条一族を滅ぼし、鎌倉幕府は140余年の歴史を閉じた。

17、江ノ島

江ノ島には江ノ島大橋を渡って入っていく。バイクを止め、江島(えのしま)神社の青銅の鳥居をくぐり抜け、参道を歩く。参道の両側には店々が建ち並んでいる。

辺津宮(下の宮)→中津宮(上ノ宮)→奥津宮(本宮)の順に江島神社の3社(無料)を参拝。辺津宮に隣り合って江ノ島のシンボルの裸弁天をまつる弁天堂(拝観料150円)がある。奥津宮に隣り合ったところには龍宮(わたつみのみや)。遊歩道を歩いたその行き止まり地点に弁財天をまつる奥宮の岩屋(拝観料500円)がある。

江ノ島はこのように昔からの信仰の島。ここまではけっこうな歩きでがある。おまけにきつい上り下り。平地のほとんどない江ノ島は起伏の激しい島だ。ヒーヒーハーハーいってしまうが、江ノ島は歩かないことにはわからない。

18、「小田原-熱海」間のR135

伊豆半島東海岸縦貫のR135は小田原が起点で下田が終点。小田原から伊豆半島入口の熱海までは有料の真鶴道路と熱海ビーチラインでしか行けないと思っているライダーは意外と多いが、無料のR135でも行けるのだ。

根府川の真鶴道路との分岐や湯河原の熱海ビーチラインとの分岐はちょっとわかりにくいが、「小田原-熱海」間のR135は「ゼロ円派ライダー」には絶対のおすすめだし、海をはるか下に見下ろしながら狭い曲がりくねった道を走るのもなかなかいいものだ。それと初めてこの間のルートを無料で走るとじつに新鮮な気分になる。

19、真鶴半島

真鶴半島は相模湾に突き出た小半島。その突端が真鶴岬で岬周辺は自然林に覆われている。海食崖が海に落ちた岬の先に三ツ石がある。

岬の展望台から三ツ石と初島を眺める。三ツ石の向こうには大島が浮かび、初島の向こうには伊豆半島の山々が連なっている。とくに朝日を浴びた岬からの眺めはすばらしい。

真鶴港を見下ろす高台には貴船神社。7月27日、28日におこなわれる「貴船祭」は日本の三大船祭りのひとつ。神社の境内には祭りの船が展示されている。それだけの祭りをおこなえるほど真鶴の海は豊かなのだ。

ここは関東でも屈指の「魚のうまい町」。真鶴漁港前の「かわはぎ」という店で「刺し身定食」(2310円)を食べたが、ヒラメ、ブリ、カンパチ、カワハギ、アオリイカの5品の刺し身は鮮度満点。カマスの焼き魚つきだった。