秘湯めぐりの峠越え:第11回 知床峠
(『アウトライダー』1995年4月号 所収)
和商市場でイクラ丼を食べる
1994年10月11日、「インドシナ一周10000キロ」を走ったバイク、スズキRMX250Sとともに、東京発釧路行きのフェリー、近海郵船の「サブリナ」号に乗った。
東京港フェリー埠頭発が23時55分、釧路港フェリー埠頭着が7時30分。豪華大型フェリーでの31時間35分の船旅だ。
釧路港のフェリー埠頭に降り立ったときは、
「ほんとうにバイクで走れるのだろうか……」
と、不安でいっぱいだった。
というのは、マグニチュード8・1という超巨大地震に道東が襲われた直後のことだったからである。
RMXを走らせ、緊張した面持ちで釧路市内に入っていく。だが、被害個所はあまり見られないし、車も順調に流れているので、ホッとひと安心した。
釧路といえば、なんといっても和商市場。
“霧の町・釧路”にふさわしい、町全体をすっぽりと包み込んだ霧の中を走り、JR釧路駅前に行く。駅近くにRMXを止め、和商市場へ。サケやカニ、イクラやタラコなどの北海の幸が並ぶ市場内を見てまわる。
そのあと早朝から営業している食堂で、ウニ丼と並ぶ北海道の名物丼のイクラ丼を食べた。温かいホカホカの丼飯の上に、ゴソッとイクラののったイクラ丼は、まさに北海道の味覚。食材の良さと量の豊かさを感じた。
このイクラ丼は、もともとはサケの漁場や加工場で始まった素朴な料理だったが、白米とイクラの色の取り合わせの良さと味の良さが受けて、たちまち評判となり、北海道を代表するような郷土料理になったという。
イクラはロシア語で魚の卵の総称だが、それが日本ではサケやマスの成熟卵、または、生筋子をばらして塩漬け、醤油漬けにしたものをイクラといっている。塩漬けのイクラはルビー色をしているが、醤油漬けのイクラは黒ずんでいる。釧路では塩漬けよりも、醤油漬けのイクラの方が好まれているようだ。
イクラ丼に満足し、まずは自分の舌で北海道にやってきたという実感を味わったところで、釧路を出発。RMXを走らせ、国道44号で根室へ。霧が晴れてくると、晩秋の抜けるような青空がいっぱいに広がっている。
根室の手前の厚床で国道243号に入り、国道244号経由で標津へ。
北海道東方沖地震の影響で国道のあちこちに亀裂が入り、ヒビ割れができ、さらに段差ができている。路肩がスポーンと陥没している個所も多い。
だが、巨大地震からまだ1週間もたっていないというのに、ほとんどの個所で応急処置がなされ、国道244号は全線が通行可能だった。それのみならず、地震直後は9路線、21ヵ所で全面通行止めになっていたという道東の国道は、一部規制はあるものの、全路線が開通していた。
日本という国は……、すごい!
知床の秘湯めぐり
標津では標津温泉「ホテル楠」(入浴料300円)の湯に入ったあと、国道355号で知床半島へ。薫別、セセキ、相泊と、知床半島の根室海峡側の秘湯めぐりを開始する。
知床半島に入ってすぐに忠類川にかかる橋を渡るが、その上からの光景がすごかった。海から川へと逆上ってくるサケの群れで川面は盛り上がり、真っ黒になっている。
「おー、これぞまさしく北海道!」
と、今度は自分の目で、北海道を実感するのだった。
薫別に着くと、
「あのー、薫別温泉って、どこでしょうか」
と、3、4人の人に聞いてみる。だが、みなさん、知らない。やっと、私は行ったことがあるという人に、簡単な地図を書いてもらった。
国道から8キロほど舗装路を走り、滝ノ沢林道という林道にぶつかったところでT字路を右折し、ダートを4キロほど走ると橋を渡る。この橋の近くに露天風呂があるとのことで、橋の下を流れる渓流の両岸をしらみつぶしに探した。だが、ない……。
ついに断念して薫別に戻り、もう一度、聞いてみる。すると、その先にもうひとつ別な橋があって、それを渡ったところなのだという。薫別温泉に入りたい一心で、ふたたび滝ノ沢林道を走り、さきほどの橋を渡る。そこから200メートルほど先の二股の分岐を右へくだっていくと、薫別川にかかる橋があった。その橋を渡ったところでRMXを止め、急な山道を薫別川の渓谷へと下る。すると川岸の岩棚に、天然の露天風呂があった!
岩の割れ目から流れ出る湯が、岩棚の凹地に溜まり、そこが天然の湯船になっている。湯温はすこし温めだが、十分に入れる。さっそくバイクのウエアを脱ぎ、裸になって湯につかる。湯船には肩までつかることのできる深さがある。湯につかりながら、薫別川の渓谷美を堪能する。クマが出てきてもおかしくないような、自然のまっただなかにある薫別温泉の露天風呂は、まさにきわめつけの秘湯だった。
国道355号に戻ると、知床半島根室海峡側の中心地、羅臼を通り、右手に北方領土の国後島を見ながら走り、セセキ温泉へ。
羅臼から20キロのセセキ温泉には、海岸に露天風呂がある。入浴の際には浜沢正巳さんという方に断るようにという注意書きがあったので、浜で網の手入れをしていた人たちに聞いてみた。するとちょうどうまい具合に、浜沢正巳さんのお兄さんという方がいて、「おー、いいよ、入りな!」
といわれ、さっそくセセキ温泉の岩で囲った露天風呂に入る。
豪快! 爽快! 痛快!
波の音を聞き、水平線上に横たわる国後島を眺めながら、なんとも気分よく湯につかった。
セセキ温泉から上がると2キロ先の相泊温泉まで行く。
海岸に露天風呂があるのだが高波にさらわれたのか、以前あった湯小屋はなくなり、湯船も半分が砂利に埋まっていた。残った半分の、すっかり浅くなってしまった湯船に、寝湯のスタイルで入るのだった。
知床峠に立つ
相泊から羅臼に戻り、知床半島横断の国道334号で知床峠を目指す。前方には、女性のふくよかな乳房そっくりの形をした羅臼岳がそびえている。標高1661メートルの羅臼岳は道東の最高峰になっている。
羅臼の市街地を抜け出ると、羅臼温泉。数軒の温泉宿がある。そこを通り過ぎた国道の左側に無料露天風呂の「熊の湯」がある。RMXを止め、男女別になっている湯に入る。湯の中では、数人の羅臼の漁師さんたちと一緒になった。
ぼくは温泉の湯につかりながら地元の人たちや旅している人たちと話すのが大好きで、それを称して“湯の中談義”といっている。
湯につかりながらの話題は、もっぱら北海道東方沖地震。
さすがに潮の流れに敏感な漁師さんたちだけあって、巨大地震前日の急激な潮の変化をキャッチしていた。流れが変わり、流れが速くなり、「これは何かあるぞ」と話していたという。
また、大地震のあとは、この「熊の湯」の湯の出方が急によくなり、湯温も上がったという。
名残おしかったが、羅臼の漁師さんたちに別れを告げ、知床峠を登っていく。
峠道のコーナーをひとつ、またひとつとクリアーしていくごとに高度を増し、峠の5合目(580m)、6合目、7合目……と過ぎ、標高738メートルの知床峠に到着!
知床峠からの眺望はすばらしい。
快晴の青空を背にして、目の前に羅臼岳がそびえたっている。頂上近くの溶岩ドームが手にとるようによく見える。眼下の羅臼の海の向こうには、国後島が長く、どこまでも長くつづいている。それはまるで、大島が連続して横たわっているかのような光景。峠を覆いつくすクマザサが風に揺れてザワザワ鳴っている。
この知床峠を越える知床横断道路が完成したのは1980年のこと。1958年に工事がはじまり、20年以上もの歳月を費やしての完成であった。
知床横断道路の完成によって根室海峡側の羅臼とオホーツク海側の宇登呂がつながり、知床を訪れる観光客も増えた。知床峠の駐車場には何台もの観光バスが止まり、大勢の人たちが峠からの眺望を楽しんでいた。
ぼくも知床峠からの眺望をしっかりと目の底に焼き付け、知床半島オホーツク海側の中心地、宇登呂に下っていく。
一気に知床峠を下り、オホーツクの大海原を見下ろすプユニ岬に立つ。左手には宇登呂港と宇登呂の町並みが見える。「知床八景」のひとつに数えられているプユニ岬だけあって、岬から眺める海も、港も、町並みも、すべてがキラキラと金色に輝いていた。
知床半島は温泉の宝庫だ!
宇登呂温泉の温泉ホテル「夕陽のあたる家」でひと晩泊まり、翌朝、カムイワッカ温泉へ。ありがたいことに、前日にひきつづいての快晴だ。知床五湖への道と分かれ、知床林道のダートに入っていく。ダートとはいっても、路面はよく整備され、舗装路とそう変わらない。
宇登呂から30キロ、終点の知床大橋まで行く。
そこから2キロほど引き返したところが、カムイワッカの湯滝への入口だ。
RMXを止め、樹林のなかにザックやヘルメット、ウエア、ブーツを隠し、タオルとカメラだけを持ち、パンツいっちょうという格好でカムイワッカの沢を登っていく。流れに濡れた岩肌は朝日を浴びてまぶしいほどに光っている。
徒歩20分、カムイワッカの湯滝に到着。
湯が際限なく、滝となって流れ落ちている。滝壺が絶好の、天然の露天風呂。夏のにぎわいがまるでウソのように、人一人いない。
知床の大自然を独り占めするかのように、満ち足りた気分で天然の露天風呂につかる。滝壺は深く、底に足が届かない。湯の中にもぐると、金属質の刺激があって、目がチクチクと痛くなってくる。カムイワッカはすべてが自然そのまんまという感じなのだ。
来た道を引き返し、次に、岩尾別温泉に行く。
分岐点から温泉までの道は、以前はダートだったものが今では舗装路に変わっている。ここには一軒宿の「地の涯ホテル」があるが、敷地内の露天風呂にはタダで入れさせてもらえる。3段になって湯が流れ落ちている岩風呂は最高にいい。樹林の中にあって、湯につかりながらまばゆいばかりの紅葉を楽しんだ。
さらに奥には、小さな湯船の“滝見の湯”がある。
宇登呂に戻ると、国道334号で斜里へ。その途中では、知床第一の名瀑、オシンコシンの滝を見る。高さ80メートル。海岸のすぐ近くにある滝。山々がそのままストーンと海に落ちている知床半島を象徴するかのようなオシンコシンの滝だ。
知床半島のつけ根の町、斜里に着くと、JR釧網線の斜里駅前の食堂に入る。ツーリングに出たときの、ぼくの昼食の定番といっていいラーメンライスを食べてパワーをつけ、国道244号で標津へ。スーッと長い裾野を引いた斜里岳を右手に見ながら走り、根北峠を越える。根室と北見を分ける峠だ。
北海道には、このような峠名がいくつかある。石狩と十勝の境の狩勝峠、日高と十勝の境の日勝峠、石狩と北見の境の石北峠……。
根北峠を下ったところで国道を右折し、林道を5キロほど走り、川北温泉へ。
ここにも無料湯の露天風呂がある。男女別に分かれているが、男湯は含食塩鉄泉で、女湯は硫黄泉。男湯と女湯では泉質が違う。備えつけの飲湯用カップでゴクリと一杯飲んだあとで湯につかった。
こうして知床の温泉三昧をして標津に戻ったが、知床にはまるできら星のように、あちらこちらに自然を存分に味わえる露天の湯がある。それもうれしいことに、大半が無料湯なのだ。いかにも北海道らしいおおらかさを感じる。
標津からは国道272号で中標津を経由して釧路へ。
「釧路→釧路」646キロの知床半島の温泉めぐりだった。