賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの峠越え(16) 四国編(5):高知・愛媛県境の峠 (Crossing Ridges in Japan: Shikoku Region)

(『月刊オートバイ』1995年8月号 所収)

 

 四国一周の峠越えの第5弾は、高知・愛媛県境の四国山脈の峠だ。

 高知県の大豊町を出発点にし、高知・愛媛県境の四国山脈の峠を高知側から愛媛側へ、愛媛側から高知側へ‥‥と、ジグザグに越えていった。

 このあたりには、四国の最高峰の石鎚山(1982m)をはじめとして、高峰群がズラズラッと並んでいる。

 高知・愛媛県境の四国山脈は、高く険しい山並みがつづいているので、それだけにおもしろい峠越えとなった。

 

日本一の大杉

 前回の「祖谷の峠」を終えたあとは、高知県大豊町大杉の「日和佐屋旅館」で泊まったが、宿の女将さんはなんともやさしい人。

「明日の朝は、早めの朝食をお願いします」

 と、頼んでおいたのだが、翌朝6時にはもう朝食の用意ができていた。

 そのおかげで、7時前には出発できた。

 女将さんはわざわざ、外に出て、ぼくのことを見送ってくれた。

 峠越えの相棒の、スズキDJEBEL200のエンジンをかけ、走りだすまで、ずっと見送ってくれたのだ。

 

 大杉の地名の由来にもなっている“日本一の大杉”を見に行く。

 八坂神社境内にある大杉は、“日本一の大杉”というだけあって、なるほどすごい!

 樹齢はなんと、3000年を超えるという。

 北大杉と南大杉という2本の大杉が根元で合わさっているのだが、根まわりは20メートル、樹高は60メートルという巨木。まるで、神々でも宿っているかのような神々しさを感じた。

 次に、高知自動車道の大豊ICに近い四国自動車博物館に行く。開館時間は午前10時から午後5時までで閉まっていたが、丘の上のモダンな建物を外側から眺め、ガラス越しに自動車やオートバイのコレクションを眺めるのだった。

 

歴史の古い笹ヶ峰峠

 さあ、出発だ!

 吉野川の河畔の町、大豊は国道32号と“与作国道”の国道439号が交差する交通の要衝の地で、四国縦断の高知道の大豊ICもある。

 ここからは県道5号大豊川之江線で、高知・愛媛県境の笹ヶ峰峠に向かう。高知道に沿ったルートだ。

 立川川に沿って、山中に入っていく。

 大豊から20キロほど走ると、立川に着く。そこには国の重要文化財に指定されている土佐藩の旧立川番所がある。旧番所は、大きな茅葺き屋根の建物。

 

 土佐藩は江戸への参勤交代には、最初のうちは海路を使っていたという。それが、第6代目藩主の山内豊隆以降、陸路を使うようになった。海路だと、江戸までの日数が定かでないのが理由のようだ。

 そのルートというのは、高知→布師田→領石→穴内→本山→川口(大豊町)を経て、ここ立川までやってくるというもの。立川からは、笹ヶ峰峠を越えて伊予(今の愛媛県)に入り、馬立を通って瀬戸内海の川之江に出た。

 立川番所は国境警備の関所であるのと同時に、土佐藩主の参勤交代のときには土佐藩内最後の宿にもなっていた。それだけに、立派な建物なのだ。

 

 笹ヶ峰峠を越えていく街道というのは、それ以前からの歴史の古い街道で、平安時代には京の都と土佐の国府を結ぶ官道になっていた。

 現在の四国縦断の幹線国道は吉野川沿いの大歩危、小歩危を通る国道32号だが、これは比較的、新しいルート。昔の幹線は四国山脈の峠を越えていた。

 

 それがおもしろいのだが、一番新しい四国縦断の幹線の高知道はといえば、この一番古いルートに沿って走り、四国山脈の峠を長大なトンネルでブチ抜いて越えている。

 それは東名が日本坂を日本坂トンネルで、中央道が小仏峠を小仏トンネルで、神坂峠を恵那山トンネルで抜けているのと同じこと。

 日本坂は東海道の古い峠だし、小仏峠は甲州街道の古い峠、神坂峠は中山道以前の東山道の峠なのだ。

 先祖帰りとでもいうのだろうか、それだけ昔の人たちは地形を読む目を持っていた。どの峠を越えていけばいいかということがよくわかっていたのだ。

 

 旧立川番所を出発。さらに山中へと入り、最後の集落の浦谷を過ぎると、一気に峠に向かって登っていく。

 笹ヶ峰峠に到着。

 四国山脈の笹ヶ峰(1015m)の西側の、高知県大豊町と愛媛県新宮村の境の峠だ。峠のトンネルの入口には、峠道の完成記念碑が建っている。

 峠の高知側は、冬の日差しかさんさんと降りそそいでいた。それが峠のトンネルを抜けて愛媛県に入ると日陰になり、ゾクゾクゾクッとするくらいに寒くなった。

 

 愛媛県に入ると、峠道は愛媛県道5号川之江大豊線になる。峠道を下っていくと、高知道の笹ヶ峰トンネル(全長4310m)の出口と出会う。峠下の馬立には、江戸時代の参勤交代のときに藩主が泊まった本陣が残されていた。

 新宮村からは、もうひとつの峠、堀切峠のトンネルを抜ける。

 峠道を下っていくと、白っぽい川之江の町並みのむこうに瀬戸内海が広がっていた。

 

猿田峠から寒風山の峠へ

“製紙の町”川之江では港まで行き、瀬戸内海を見たあと、堀切峠に向かって引き返す。

 そそりたつ目の前の山並みの中に入り、一気に登っていく。新道は全長1259メートルという長いトンネルで貫かれているが、杉林の中を縫う旧道を登り、峠を越えた。

 国道とは名ばかりの林道を舗装したような国道319号に合流。銅山川に沿って走る。

 瀬戸内海の海からわずかな距離でしかないのに、ものすごく山深い風景だ。この銅山川は、かつての日本最大級の銅山、別子銅山があった別子山村から流れてくる。瀬戸内海とは山ひとつ隔てたところを流れているが、阿波川口で吉野川に合流し、はるか遠くの徳島で紀伊水道へと流れていく。

 

 国道319号と別れ、別子山村に通じる県道に入る。

 それとも別れ、四国山脈の猿田峠に通じる道を登っていく。

 うっそうと茂るスギやヒノキ林に覆われた猿田峠は愛媛・高知県境の峠だが、四国山脈の大森山(1415m)と玉取山(1370m)の間を短い白髭トンネルで抜けている。 峠のトンネルを走り抜けて高知側に入ると、

「いやー、あったかいな」

 と、DJEBELのハンドルを握りながら、思わす声が出る。

 太陽の光が強い。

 伊予から土佐へ、峠を越えて入ると、“南国土佐”がよーく実感できるのだ。

 

 猿田峠を下っていくと、吉野川をせき止めた四国最大のダム、早明浦ダムのすぐわきに出る。

 そこからは吉野川沿いに上流へと走り、本川村で国道194号にぶつかり、今度は四国山脈の寒風山峠を目指す。

 寒風山(1765m)と伊予富士(1756m)の間の高知・愛媛県境の峠だ。

 国道194号は大規模な改修がおこなわれていた。

 寒風山をブチ抜く全長5432メートルという長大な寒風山トンネルの建設が、急ピッチで進められていた。完成は平成9年。

 完成すれば四国では最長のトンネルになるが、一般国道での5000メートル級のトンネルというのは、ほかには例がない。

 愛媛県の西条市と高知県の高知市を結ぶ国道194号は高松と高知を結ぶ国道32号や、松山と高知を結ぶ国道33号以上に、四国縦断の最短ルートになっているので、寒風山トンネルが完成したら、国道194号の重要度は飛躍的に増すことだろう。

 

 寒風山トンネルの建設現場を通り過ぎ、峠道を登っていく。

 するとあたりは急に静かになり、交通量もぐっと少なくなる。曲がりくねった、急勾配の峠道を登りつめ、峠のトンネルの入口に到達。

 ほんとうはここから、高知・愛媛県境の稜線上を通り、石鎚スカイラインにつながっている瓶ヶ森林道を走りたかったのだが、冬期閉鎖で舗装された林道の入口には、頑丈なゲートが下ろされていた。

 寒風山の峠のトンネルを抜け、愛媛県に入る。伊予富士が目の前だ。谷が深い。

 逆さ落としのような急坂のつづく峠道を下り、加茂川の谷間を走り抜け、国道11号に出る。後を振りかえると、今、越えてきた四国山脈の山々が迫力のある姿でズラズラッと連なっていた。

 

松山からのナイトラン

 瀬戸内海に面した西条からは、国道11号で松山方向へ。

“桜三里”で知られる河之内峠を越え、峠下の川内からは、国道494号で黒森峠を越えた。石鎚山から西へとつづく山並みの峠だ。

 面河村に入り、石鎚スカイラインを走ろうとしたのだが、12月1日から3月31日までは冬期閉鎖だった。残念。

 次に黒森峠よりも西の、峠周辺に8キロのダートが残る井内峠を越え、川内に戻った。

 川内からは、国道11号で松山へ。

 松山に来たからにはと、道後温泉の湯に入る。

 湯から上がるころには、夕暮れが迫っていた。

 

 松山出発は17時。

 今晩の宿、高知県中村市の四万十温泉「サンリバー四万十」に、

「すいませ~ん、到着が大幅に遅れますので」

 と、謝りの電話を入れ、国道33号を走りはじめる。

 松山から20キロ走ると三坂峠。すでに日はとっぷりと暮れている。

 峠道からは、松山の町明かりを遠くに望むことができた。

 三坂峠は標高720メートル。さきほど越えた黒森峠、井内峠と同じように、石鎚山から延びる山並みの峠だ。

 峠の上には洒落たレストランがあり観音堂がある。

 

 三坂峠は松山市と久万町の境の峠で、峠を越え、久万町側に下っていく。

 峠を下っていくと、久万川の流れとぶつかる。この川は、吉野川と四万十川に次ぐ四国第3の川、仁淀川の上流になる。

 峠を越えると、そのたびに、新しい川との出合いが待っている。

 久万町から美川村を通り柳谷村に入ったところで、国道440号で地芳峠に向かう。

 夜の峠越え。峠道を登っていくごとに寒さが厳しくなる。

 標高1084メートルの地芳峠に到着。身を切られるような冷たい風が吹いている。

 地芳峠は愛媛・高知県境の峠で、峠周辺は“四国カルスト”で知られる石灰岩質のカルスト地形になっている。残念ながら夜の峠越えなので、峠からの眺望(地芳峠は絶景峠)も、カルスト地形も見ることはできなかった。

 

 地芳峠を越えて高知県側の檮原町に入り、四万十川の支流、檮原川に沿って走る。

 これから四万十川の河口に近い中村まで、ずっとリバーサイドランをすることになる。

 檮原町の中心、檮原を過ぎたところで、国道と分かれ、県道で檮原川に沿って走る。幅の狭い、曲がりくねった道。やがて“与作国道”の国道439号に合流。

 檮原町から大正町に入る。

 大正町の中心、JR予土線の土佐大正駅があるあたりで、檮原川は四万十川の本流に合流する。そこからは、四万十川本流沿いの国道381号を走る。十和村を通り、西土佐村の中心、江川崎で支流の吉野川と合流するが、そこから中村までは国道441号を行く。

 月光に照らされて、キラキラと光り輝く四万十川の流れを眺めながら走る。なんともいえないロマンチックな気分だ。

 

 松山から222キロ走り、中村には22時30分に到着。四万十川にほど近い、国道56号に面した四万十温泉「サンリバー四万十」に行く。

 すっかり遅くなった到着をわび、部屋に入ると、浴衣に着替え、すぐさま湯に入りにいく。大浴場の湯にどっぷりとひたったときは生き返ったような思いだ。

 湯から上がると、国道33号沿いのホカ弁で買った弁当を食べる。すっかり冷たくなった弁当だが、それでも大満足。

 大豊から中村まで1日で525キロ走り、

「ヤッタネ!」

 という気分だったからだ。