賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリと走ろう!(8)「アラスカ縦断」

(『バックオフ』2003年10月号 所収)

 

「極北の世界」は我が憧れの地。ついにその、北の大地を走るときがやってきた。

「アラスカ軍団」の面々とともにアラスカ最大の都市、アンカレッジを出発。北米大陸の最高峰、マッキンリー山を眺めながら北へ、北へと白夜の荒野を走りつづけ、北極圏に突入。極北のブルックス山脈の峠を越えると、前方には、広大なツンドラ地帯が広がっていた。目指すは最北のプルドーベイ。

「北極海見た~い!」

 

 2003年7月19日午前10時、「アラスカ軍団」の面々は、アラスカ最大の都市、アンカレッジに集合した。「道祖神」のバイクツアー、「カソリと走ろう!」シリーズ第8弾目の「アラスカ縦断」に参加されたみなさんだ。

 

 最年長の佐藤賢次さんは1937年生まれ。前年の「ユーラシア横断」のメンバー。佐藤さんは年をまったく感じさせない豪快な走りをする。

 

 同じく石井敬さん、新保一晃さんも「ユーラシア大陸横断1万5000キロ」を走った仲間。間野俊晃さんとは世界最長ダート「キャニングストックルート」と「サハリン」を走っている。藤元隆憲さんとは「サハリン」、北川直樹さんとは「オーストラリ」と「モンゴル」を走っている。

 

 さらにうれしいことに我ら「アラスカ軍団」には美人が2人。

 高橋香里さんは昨年、ハレーで「アメリカ横断」5600キロを走ったツワモノ。菊池佐知さんは昨年の「ユーラシア横断」のメンバー、菊池久さんの奥さんだ。それと「道祖神」の菊地優さん。以上、10名のメンバー!

 

 我ら「アラスカ軍団」のバイクはカワサキのKLR650とBMW650。それと「道祖神」の菊地さんの運転するニッサンのピックアップ。菊池佐知さんは菊地優さんのサポート役として車に同乗する。

 

 いよいよ出発。ぼくはKLR650に乗る。

 アンカレッジから北に延びるアラスカ州道3号でフェアーバンクスへ。

 この季節としては珍しい快晴で、空には一片の雲もない。

 

 第1夜目のキャンプ地、タルキートナ手前の展望台に立つと、北米大陸の最高峰、マッキンリー山(6194m)がよく見えた。青空を背にしたマッキンリー山は神々しいほどで、雪の白さが際立っていた。

 タルキートナでは川沿いのキャンプ場でキャンプした。

 まずは焚き火。みんなで焚き木を集め、盛大な焚き火をする。バドワイザーで、

「アラスカに乾杯!」

 を繰り返す。

 

 あっというまに空になった缶が山となって積まれていく。

 夕食はTボーンステーキ。焚き火で焼いたステーキなので、よけいにうまい。アラスカを走り出した喜びで我ら「アラスカ軍団」の宴会は大いに盛り上がった。

 

 ぼくたちの隣りではアメリカ人の3人組がキャンプしていた。彼らに北海の大魚、オヒョウの干魚を差し入れしてもらったのを機に、一緒に飲み、語り合う。

 

 米空軍に20年勤務したダンとドール&マット夫妻の3人組。ダンは日本の横田基地にも3年いたという。ダンとは日本の思い出話で盛り上がった。夫妻のうち、奥さんのドールは今日が42歳の誕生日。22歳になる娘さんがいるとは思えないほど若々しい。

 

 ドールとは彼らにもらったカリフォルニアワインが空になるまで、「ハピー・バースデー・ツユー」を繰り返した。

 我ら「アラスカ軍団」の宴会がお開きになったのは深夜になってからだ。

 なんとも心に残る「アラスカ縦断」の第1夜目だったが、白夜のアラスカ、その時間でもまだ空は明るい。

 

 翌日も快晴。青空を背にしてそびえ立つマッキンリー山に向かって走る。

 マッキンリー山を間近に眺めるカフェで休憩。皆、思い思いにマッキンリー山をバックに記念撮影。ここで知ったことだが、この季節に2日連続で雲ひとつないマッキンリー山を見ることができたのは奇跡だという。この3年間、7月にマッキンリー山が完全に見えた日は1日としてなかったからだ。

 

 アンカレッジから400マイル(約640キロ)を走ってアラスカ中央部の都市、フェアーバンクスに到着。なんともなつかしい。

 

 1971年から翌72年にかけて、ぼくはスズキ・ハスラーTS250を走らせ「世界一周」した。そのとき、カナダのドーソンクリークからアラスカ・ハイウエーを走破してここ、フェアーバンクスまでやって来た。

 そのときに比べると、フェアーバンクスは、はるかに大きな近代的な都市に変わっていた。

 

 フェアーバンクスからさらに北へ。

 ここで初めて「トランス・アラスカ・パイプライン」に出会う。北極海のプルドーベイからアラスカ湾のバルディーズまで、アラスカ半島を縦断する全長1280キロのパイプライン。これはまさにアメリカの生命線で、ぼくたちはこれ以降「トランス・アラスカ・パイプライン」を見ながらプルドーベイまで行くことになる。

 

「アラスカ縦断」の第2夜目は、フェアーバンクスから20マイル(約32キロ)北のオルネス湖畔でのキャンプ。

 ここでも忘れられない出会いがあった。

 

 クリスティン&プレイドの夫妻。2人にはなんと6人もの子供がいるという。そのうちキャンプには4人の子供を連れてきていた。夫妻にはムース(大鹿)の味つけ肉をもらったが、それはまさにアラスカの味覚だった。

 

 我ら「アラスカ軍団」はムースを肴に、焚き火のまわりでバドワイザーをガンガン、飲み干した。あっというまに日付が変わったが、白夜のアラスカ、ひと晩中、明るい。

 午前1時に寝て午前5時に起きたが、寝たときも、起きたときも空は明るかった。

 

 オルネス湖から60マイル(約96キロ)走ったところで、舗装路は途切れ、待望のダートのダルトンハイウエーに入っていく。緊張の瞬間。北極海のプルドーベイまで425マイル(約680キロ)の標示が出ている。

 

 北極海を目指してダルトンハイウエーを走りはじめる。路面は整備されて走りやすい。時速100キロ以上で走れる高速ダートだが、ゆるやかなコーナーが連続するので、コーナーでは飛び出さないように気をつけなくてはならない。

 

 さらに小粒の浮き石がクセモノ。ハンドルをとられ、あやうく転倒しかかったことがある。高速ダートでの転倒はダメージが大きいので、十分な注意が必要だ。

 

 それと大型のトラックやトレーラーが要注意。

 モウモウと土煙りを巻き上げて走るので、すれ違うときは一瞬、視界がなくなる。追い越すときはさらに難しく、上り坂などを使って、トラックがスピードを落とした瞬間を見計らって追い抜いていく。

 

 ダルトンハイウエーの起点から60マイル(約96キロ)走ったところで、アラスカの大河、ユーコン川が見えてきた。

 思わず「オー!」と声が出た。

 ユーコン川にかかる橋を渡ったところがユーコンリバー。ここで最初の給油。レストランもある。

 

 食事を終えたところで、ぼくはすばやく自分一人でもう一度、ユーコン川を渡り、そこからパイプライン沿いのダートに入った。バイクをからめた写真をとりたかったのだ。

 

 驚いたことに、バイクを停めたとたんに、すぐ後ろに石油会社の赤色のパトロールカーが来ていた。ぼくの行動の一部始終はすべて監視カメラで見られていた。

 別に係官にとがめられることもなかったが、ぼくがそこで写真をとり終え、ダルトンハイウエーに戻るまで、パトロールカーはぼくにぴったりと密着した。

 

 2001年9月11日の同時多発テロ以降、「トランス・アラスカ・パイプライン」もテロの標的にされているという噂が流れ、警備を厳重にしているという。特にユーコンリバーは警備の最重点ポイントになり、24時間体制で監視されている。

 そんな現状をはからずも体験した。

 

 ユーコンリバーから北に50マイル(約80キロ)行ったところで、北極圏(アークティック・サークル)に突入。北緯66度33分以北の極北の世界に入ったのだ。

 ぼくにとっては初めて経験する北極圏なだけに、

「ついに来た!」

 といった感動に襲われた。それは体がブルブルッと震えるほどの感動だった。

 

 ユーコンリバーから北に120マイル(約192キロ)でコールドフットに到着。ここがダルトンハイウエーの2番目の給油ポイント。ユーコンリバーと同じようにレストランもある。

 

 コールドフットから8マイル北のマリエクリークのキャンプ場で「アラスカ縦断」第3夜目のキャンプをする。

「アラスカ軍団」の面々との毎夜のキャンプが楽しい!

 

「アラスカ縦断」の第4日目。

 北に向かって走り出すと、前方には山並みが見えてくる。極北の大陸分水嶺のブルックス山脈だ。まずは最初の峠、標高2189メートルの峠に立つ。雄大な眺望。絶景峠。残雪の山々を間近に眺める。

 

 次に2番目の峠、標高2499メートルのアティガン峠に立つ。険しい山並みが迫り、眺望はよくないが、道路端にまで雪が迫っていた。ここは夏でも雪の降る峠だという。極北のブルックス山脈を実感させる峠だった。

 

 アティガン峠を下ると、風景は一変する。針葉樹の樹林は消え、一望千里のツンドラ地帯が広がっている。夏のツンドラ地帯は一面の青々とした草原。

 だが、見た目には草原でも、バイクを停めてその上を歩くとズボズボッと沈み込み、水がしみだしてくる。

 さらに夏のツンドラでは、猛烈な蚊の大群の襲撃を浴びた。

 

 ツンドラ地帯に入ってからは、カリブーやグリズリー(大熊)を見た。

 7月22日13時、アンカレッジから912マイル(約1459キロ)を走って、ゴールのプルドーベイに到着。バイクを並べ、藤元さんがつくってくれた「祝! アラスカ縦断!」の横断幕を掲げ、我ら「アラスカ軍団」はその前で喜びを爆発させた。

 

 夕方、石油会社のバスツアーで、北極海の浜辺まで行った。

 夢にまで見た北極海。

 Tシャツ1枚になり、冷たい海に飛び込んだ。北極海を肌で感じ、「アラスカ縦断」を実感するのだった。