賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「カソリのオーストラリア2周」(1996年)について

※2008年9月23日記す

 

 40代も後半になったところで、ぼくは体力勝負で250㏄バイクのスズキDJEBEL250XCを走らせ、オーストラリアを2周することにした。

「オーストラリア2周」というのは、20代にもやっているので、このときが2度目ということになる。

 20代の「オーストラリア2周」というのは1973年のことで、ぼくは25歳だった。最初の1周目はヒッチハイクで、2周目がバイクでと、合計4万2000キロをまわった。

 

 48歳の「オーストラリア2周」計画というのは、25歳の「オーストラリア2周」が大きく影響していた。それだけではなく、「25歳のカソリ」を随分と強く意識した。

 25歳のころといえば、体力絶頂期。そんな「25歳のカソリ」をライバル視し、力でもってねじ伏せようとしたのだ。それゆえの「48歳のカソリ」の「オーストラリア2周」計画なのであった。

 

 2台のスズキDJEBEL250XCを船便でオーストラリアのシドニーに送り出したあと、1996年5月25日に今度はぼく自身がシドニーに向かって飛び立った。

 成田空港には妻が見送りに来てくれたが、子供たちはといえば、長女が大学2年、次女が高校3年、長男が高校2年になっていて、3人ともに学校だった。

 子供たちのあまりにも速い成長を見ていると、自分が年をとるのも無理のないことだと妙な納得をしてしまうが、そんな気持ちに棹さすかのように、

「いや、いくら年をとってもやりたいことはやるのだ!」

 と、自分で自分に言い聞かせてシドニーに向かって旅立っていくのだった。

 

 シドニーに送った2台のDJEBELだが、DJEBEL1号、DJEBEL2号と名付け、1号で舗装路をメインにした第1周目を走り、それを「ロード編」とした。

 DJEBEL2号ではダートをメインにした第2周目を走り、それを「オフロード編」とした。

 2周ともシドニーを出発点に、そして終着点にしたが、「オーストラリア2周」では合計7万2000キロと、オーストラリア1国で地球2周分くらいの距離を走ったことになる。

「オーストラリア2周」を終えたときは、心の中で叫んでやった。

「勝った、これで25歳のカソリに勝った!」

 

 そんな「48歳のカソリ」の「オーストラリア2周」ですが、第1周目(前編)を『月刊オートバイ誌』の連載で、第2周目(後編)を『バックオフ誌』の連載でお伝えします。