賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「オーストラリア2周」後編:第3回 アリススプリングス→パース

※全行程7670キロ(ダート3本2912キロ)

 (『バックオフ』1997年5月号 所収)

                        

 大陸中央部のアリススプリングスは、オーストラリア・ダート・ルートのキーポイントのような町だ。

「すべてのダートはアリススプリングスに通ず!」

 と、いっても過言ではないほどで、当然「オーストラリア2周・後編」(ダート編)では、この町が拠点になる。

 その第1弾が前回の第2回目。

 往路でシンプソン砂漠を横断し、復路ではダート647キロのプレンティーハイウエーを走破した。

 さて、今回の第2弾目では、1083キロのダート、ワーバートンロードを走って世界有数の金鉱山カルグーリーへ。そこから難関のナラボー平原横断ルートに入っていったのだ。

 

ハエとの戦い

 シンプソン砂漠を横断し、ダート647キロのプレンティーハイウエーを走破して戻ってきたアリススプリングスでは、郊外のモーテル「マウント・ナンシー」に泊まった。夜明けとともに起き、まずはトイレ&

シャワーだ。これはぼくの決まりきったパターンで、出すものを出し、寝起きのシャワーを浴びると、体はウソのようにシャキーッとする。これがカソリ流の旅の健康法なのだ。

 そのあとでパンにチーズをはさみ、部屋に備付けのコーヒー&紅茶を飲みながらの朝食を食べる。

 

 モーテルの水道で、スズキDJEBEL250XCにこびりついた泥を洗い落とす。洗いながらボルト、ナット類のゆるみやフレームへの亀裂の有無をチェックする。オーストラリアのダートでは、フレームを折るといったトラブルがよく起きるのだ。

 そのあと、スズキのディーラーでエアークリーナーのエレメントの洗浄とオイル交換をしてもらう。

 さー、出発だ。目指すはキングスキャニオン。最近、とみに注目を集めている渓谷だ。アリススプリングスから100キロ走るとダードに入る。ハーマンスバーグの町を通り、モーリス峠を越えるが、峠道から見下ろす雄大な風景は感動もの!

 

 230キロのダートを走ってたどり着いたキングスキャニオンは、ものすごいハエ、ハエ、ハエ。帰路は別ルートでダート100キロを走りアリススプリングスに戻ったが、ダート合計330キロのキングスキャニオン周遊ルートだった。

 再度、アリススプリングスの町を出発。R87のスチュワートハイウエーを南へ。

「また、戻ってくるゼ!」

 と、離れゆくアリススプリングスの町並みに向かって叫んでやる。

 

 アリススプリングスから250キロ地点のエルダンダに到着。ここから世界最大級の一枚岩、エアーズロックへの道に入っていくのだ。

 なつかしのエルダンダ‥‥。ぼくは今回の「オーストラリア2周」の23年前、1973年にもオーストラリア大陸を2周した。そのときは1周がバイクで、もう1周がヒッチハイクだったが、このエルダンダにはヒッチハイクでやってきて、やはりそのときも、エアーズロックに向かおうとしたのだ。

 

 当時はエアーズロックへの道は、全線がダートで、エルダンダの分岐点にはドラムカンが1個、置かれているだけだった。そこでまる1日、車を待った。昼間はすさまじい数のハエに悩まされ、夜は蚊の大群の猛攻を受けた。おまけに嵐にも見舞われた。その分岐点からエアーズロック方向に入った車はわずかに1日に数台しかなく、乗せてもらえないままに、ついにエアーズロックへのヒッチハイクを断念してしまったのだ。

 それが今では、エアーズロックといえば、オーストラリア1、2の大観光地で、交通量もおそらく1日に1000台以上はあるだろう。これが、オーストラリアをめぐる23年間の変化だ。エルダンダには、大きなロードハウスができている。

 

 エルダンダから250キロのエアーズロックでは、1晩ユララのキャンプ場に泊まり、翌朝、登頂だ。頂上では“豪州軍団”のターク(目木正さん)が出発前に送ってくれた豪州軍団旗を手に持っての記念撮影。登り50分、下り25分のエアーズロック登山だった。

 エアーズロックのまわりをバイクでぐるりと一周し、次にマウント・オルガへ。平原にそそりたつ岩山の“風の谷のナウシカ”の舞台そっくりな峡谷を一時間ほど歩いたが、キングスキャニオンのときと同じように、ハエとの戦いに終始した。

 

ワーバートンロードに突入!

 マウント・オルガから、いよいよオーストラリア最長ダートのひとつ、ダート1000キロを超えるワーバートンロードに入っていく。

“豪州の熱風カソリ”、ダートが1000キロを超えると聞いただけで、体がゾクゾクしてくるような異常体質をしている。日本のダートのような10キロや20キロという距離ではない、その50倍、100倍もの、ダート1000キロなのだ!

 

 気温40度を超える猛烈な暑さの中、エンジン全開で突っ走る。DJEBELのオイルクーラーの効果は抜群で、この暑さをものともしない。

 ワーバートンロードのノーザンテリトリー側は、ドッカーリバーロードという。平坦な一直線に延びる道。道幅は広いが、交通量はほとんどない。真っ赤な土の道を疾駆する。小さな砂丘群を見る。ところどころにブルダストの砂溜まり。コルゲーションはそれほどきつくはない。

 

 マウント・オルガから182キロで、アボリジニのコミュニティーのあるドッカーリバーに着く。ここで給油し、冷房の効いた倉庫風建物のスーパーマーケットでポテトチップス&コカコーラの昼食。そしてウエスタン・オーストラリア(西オーストラリア州)に入っていく。

 90キロ前後の速度で走っているときのことだった。路面にころがっている大きめな石を避けきれずに、モロにフロントでヒットした。

 その瞬間、バーンという音ともにふっ飛ばされた。ハンドルはまったくきかない。ラッキーだったのは、路肩を突き破ったが、転倒もしないでブッシュの中で止まれたことだ。もうひとつラッキーだったのは、タイヤのバーストではなく、単にチューブのパンクだけ。さすがに“超強運(超悪運)のカソリ”だけのことはある。ぼくは、この“運”のみで今日まで生きながらえてきたのだ。

 

 ブッシュの中でのパンク修理。石にヒットしたときの衝撃の大きさを示すかのように、引っ張り出したチューブはザックリと裂けていた。新しいチューブに交換して走り出す。

 パンク修理に手間どったこともあって、ワーバートンロードではダート・ナイトランになってしまった。おまけに天気が崩れ、強風、黒雲、稲光と最悪だ。夜空を駆けめぐる稲妻がすさまじい。DJEBELに雷が落ちるのではないかとヒヤヒヤだ。

 アボリジニのコミュニティーのあるワーバートンでひと晩、泊まり、マウント・オルガから1083キロのダートを走りきり、翌日の夕方、ラバートンの手前で舗装路に入った。

 やったゼと、飛び上がらんばかりに喜んだが、ロングダートのあとの舗装路ほどありがたいものはない!!

 

熱風吹き荒れるナラボー平原を行く

 ラバートンから舗装路を400キロほど走り、カルグーリーに到着。ここは昔も今も、世界でも最大級の金鉱山の町。そんなカルグーリーでは、気分はけっこう緊張状態。胸ドキドキなのである。というのは、ここからナラボー平原横断の通称“レイルウェー”に入っていくからだ。

 この“レイルウェー”は大陸横断鉄道に沿ったロングダート。以前はカルグーリーから400キロのローリナがちょっとした町になっていてそこで給油できたが、今はゴーストタウン。そのためカルグーリーから900キロ先のサウスオーストラリア(南オーストラリア州)のクックまで給油できないのだ。

 

 カルグーリーのスズキのショップ「レイムーア・モーターサイクル」でDJEBEL250XCのオイルとオイルフィルターを交換し、フロントタイヤ用の予備チューブを買う。

 次に、BPのガソリンスタンドでDJEBELの17リッタータンクを満タンにし、10リッター、3リッター、2リッターのポリタンにガソリンを入れ、さらに5リッターの容器を買ってガソリンを入れる。合計37リッターのガソリンを用意してカルグーリーを出発する。無事にクックに着けますように!と、祈るような気持ちだ。

 

 カルグーリーから20キロ地点でダートに入り、31キロ地点で左折。88キロ地点で左手に大陸横断鉄道の線路が見えてくるが、あとはただひたすらにこの線路を目印に走るのだ

 ローリナへのダートを快調に走り、275キロ地点を過ぎたあたりで急速に樹木が消え、草原の風景に変わる。一望千里のナラボー平原に入ったのだ。路面に石ころが多くなったところで、フロントがパンク。北からの熱風が吹きまくる中でのパンク修理はきつい‥‥。夕暮れが迫るころ、2度目のパンク。もう予備チューブがないので、空気をパンパンに入れ、耳もとで穴を確認し、パンク修理用のパッチを貼るのだった。

 ダート・ナイトラン。ローリナに着いたのは10時過ぎで、ゴーストタウンの旧駅舎前でゴロ寝した。

 

 ローリナを過ぎると、一気に道が悪くなる。際限なく石の原がつづく。まさに“ナラボー平原地獄の石原”。ここの尖った石にやられ、またしてもフロントがパンク。熱風が吹きすさぶ猛烈な暑さの中でのパンク修理が終わると、水(湯)のガブ飲みだ。

 つづいて2度目のパンク。完全にパンク恐怖症にかかり、それからというもの、グッと速度を落とし、3速のスタンディングで石をひとつひとつ避けるようにし、フロントを浮かせるようにして走った。その日は1日、目いっぱい走って277キロ。フォレスト駅で泊まった。

 

 カルグーリーを出てから3日目、ついにサウスオーストラリア州に入った。クックまであと、もうひと息と喜んだのもつかの間、またしてもフロントのパンク。なんと5度目。ヒーヒー状態でパンク修理を終え、フォレストから232キロのクックに夕暮れ時に着いた。まずは「ナラボー平原横断」の前半戦の終了だ。

 ここではうれしいことに、「オーストラリア2周・前編」(ロード編)で出会ったDR350のタマさんと再会。一緒にクック駅の物置風建物で泊まったが、タマさんに振る舞われた炊き込み飯はうまかった!

 

 翌日、クックのガソリン・スタンドは休業。そこでタマさんと一緒に南のR1のナラボー・ロードハウスまで行く。ガソリンを4リッター残しての到着。カルグーリーから1061キロを無給油で走ったことになる。これは、すごいことだゼと、自画自賛。あの“ナラボー平原地獄の石原”を超低速走行したのにもかかわらず、燃費はリッター32・1キロと驚異的な良さ。R1を行くタマさんと別れ、ぼくはクックに戻るのだった。

 

 クックからのナラボー平原横断の後半戦は無事にとでもいおうか、パンクゼロで走り切り、スチュワートハイウエーのグレンダンボに出た。ダート計1499キロのナラボー平原横断だ。グレンダンボのロードハウスでは、やはり「オーストラリア2周・前編」(ロード編)で出会ったCT110の王様と、カブのベンジーと劇的な再会をとげた。2人はなんと、CT110とカブに荷物を満載にし、ナラボー平原を横断したのだ。そんな2人とポートオーガスタまで走り、「ポインセティア」というモーテルに泊まり、その夜はお互いのナラボー平原横断の成功を祝ってビール&ワインで夜中まで乾杯を繰り返した。

 翌日、2人は東のアデレードへ、ぼくは西へ、パースへと向かった。