賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

シルクロード横断:第44回 タブリーズ

 トルコ国境に近いタブリーズはイラン第3の都市。古来より、シルクロードの要衝の地として栄えてきた。ここはアジアとヨーロッパを結ぶ交易路の宿場町として、きわめて重要な役割を果たしてきたのだ。

 タブリーズの町の起源はサーサーン朝ペルシャ(224~651年)の時代までさかのぼる。この町が一番、栄えたのは13世紀の頃だ。モンゴル軍の占領後、イル汗国の首都として繁栄を謳歌した。この町のシンボル、アルゲ・タブリーズはイル汗国の時代につくられた巨大な城塞だ。タブリーズは城郭都市だった。

 そんなタブリーズの町歩き。

タブリーズ・インターナショナル・ホテル」からバザールに向かって歩く。すれ違う女性たちは黒いスカーフをかぶり、黒いズボンをはき、黒い上着を着ている。黒一色だ。

 その道沿いではナン屋が目につき、2軒の店でナンづくりを見せてもらった。1軒の店は機械で制御されたガス炉で焼き、もう1軒の店では昔ながらのカマドで焼いていた。

 そして大バザール(市場)に入っていく。

 野菜売場や果物売場が並び、様々な日用雑貨を売る店が並ぶ。金細工、銅細工などの工芸品や宝石類、ペルシャ絨毯を売る一角もある。さすがシルクロード要衝の地だけあってバザールの規模は大きく、品ぞろえも豊富だ。

 1334年、この地を訪れた大旅行家のイブン・バトゥータは高価な香料や金銀、宝石があふれんばかりに並ぶ大バザールの様子に呆然として立ち尽くしたという。

 イブン・バトゥータはモロッコのタンジールで生まれ、1325年のメッカ巡礼以降、約30年間にわたって西はイベリア半島から東は中国元代の大都まで、ユーラシアとアフリカの各地を旅した。

 そんな世界を見てまわったイブン・バトゥータが驚いたくらいだから、タブリーズの繁栄はよっぽどのものだったのだろう。

 バザールを歩きまわったあと、「アゼルバイジャン博物館」を見学した。ここには隣国アゼルバイジャンの民俗資料や考古資料などが展示されている。こじんまりとした博物館だ。トルコ国境のみならず、アゼルバイジャン国境にも近いタブリーズを感じさせる「アゼルバイジャン博物館」。さらにこの町はアルメニアにも近い。まさに西アジアの十字路といっていいようなところなのだ。

 日が暮れたところで、町の食堂で夕食。「大衆食堂」といった感じの店だ。まずは「ククテ」を食べた。タブリーズ名物の肉団子。それをナンと一緒に食べた。ナンには半分に切ったタマネギがついている。それをカリカリとかじりながら食べるのだ。

 ナン&ククテのあとはいつものようなライス&カバブー。

 ライスは長粒米を湯取法で炊いた白飯でぱさついている。だが、このぱさつきも、慣れてしまえばどうということもない。もうまったく気にならない。というよりおいしさを感じるほど。それがだ円形をした金属器に盛られ、羊のひき肉を串焼きにしたカバブーがのせられ、焼きトマトが添えられている。

 飲み物は白く濁ったサワーミルク風のドゥーグで、ヨーグルトを水で薄め、自然発酵させたもの。食後にチャイ(紅茶)を飲んだ。砂糖のかたまりをチャイにつけ、チャイがしみこんでやわらかくなったのを口の中に入れ、かじりながら飲むのだ。この飲み方も、慣れてしまえばなかなかいいものだ。

「食べること」というのは「話すこと」と同じで、慣れることが一番大事だと「現地食主義」のカソリはいつもそう思っている。

 食べ終わると夜の町をプラプラ歩き、「タブリーズ・インターナショナル・ホテル」に戻るのだった。

タブリーズの町を歩く

タブリーズの町を歩く

ナンを焼いている

ナンを焼いている

大バザールを歩く

大バザールを歩く

肉団子の「ククテ」

肉団子の「ククテ」