賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

シルクロード横断:第35回 サマルカンド→トルクメナバード

 2006年9月21日9時30分、ウズベキスタンサマルカンドを出発。

 前夜は激しい下痢に見舞われ、けっこう辛い旅立ちとなった。中国の天津を出発して以来、初めての下痢。カソリの「鉄の胃袋」もダウン…といったところだ。下痢にやられながらも、街道沿いのレストランでの昼食(スープ、ナン、サラダ)はしっかりと食べた。

 ナボイ、ギジュドバンと通ってブハラへ。サマルカンドから約300キロ、ブハラ到着は16時30分。パトカーの先導で町の中に入っていった。

 ブハラもサマルカンド同様、シルクロード要衝の地。ここは中央アジアイスラム教の聖地。16世紀から20世紀の初頭まではブハラ汗国の都だった。

 ブハラの町は新市街と旧市街に分かれているが、旧市街のホテル、「エミール・トラベル・ホテル」に入ると、シャワーを浴び、そのあと町を歩く。

 中央アジア最古のイスラム教の神学校「ウルグベルグ・メドレセ」、道をはさんで反対側にある「アブドラアジス・ハーン・メドレセ」、ブハラのシンボル「カラン・モスク」&「カラン・ミナレット」と見てまわり、バザールを歩いた。

 シルクロードの町々の市場めぐりは楽しい。ここではパスタ類が目についた。

 夕食は洒落たレストランで。中央アジア民族音楽の演奏を聞き、民族舞踊を見ながらの夕食。忘れられない一夜となった。

 ブハラから次の国、トルクメニスタンへ。ホテルの食堂でパン、チーズ、クレープ、ヨーグルト、コーヒーの朝食を食べ、8時には出発。国境越えがあるので、いつもより1時間近く早い出発だ。

 キジルクーム砂漠の南端をかすめていく。

 カラカラに乾いた空気を切り裂いて走るので、あっというまに口びるが割れ、血がにじみ出てくる。「砂漠大好き人間」のカソリ、そんな砂漠の空気にうれしくなってしまう。休憩時間には道路を外れ、スズキDR-Z400Sで砂地を走りまわるのだった。

 豊かな水量の水路沿いに走り、10時30分にはウズベキスタントルクメニスタンの国境に到着。ここでは6台のトヨタの新車を積んだイランナンバーのトラックを見た。

 なんとサウジアラビアからクウェートイラク、イラン、トルクメニスタンと通ってウズベキスタンに入り、さらにキルギスに送られるという。ダイナミックに、次々に国境を越えていく「日本車」に感動してしまった。

 ウズベキスタンの出国手続きは比較的、簡単に終わったが、トルクメニスタンの入国手続きはそうはいかない。延々と待たされた。ただひたすらにジッと待ちつづける。「忍」の一文字。

 日差しが強いので、木陰でゴロンと横になる。昼が過ぎ、午後になり、そして夕方になってしまう。まだ、入国手続きは終わらない。とうとう日が沈んでしまう…。トルクメニスタンに入国できたのは19時30分。国境で9時間も待たされたことになる。

 国境から中央アジアの大河、アムダリア川を渡り、トルクメナバードへ。

 トルクメナバード(旧名チャルジョウ)に到着したのは21時30分。

「トルクメナバードホテル」に入り、チキンヌードルのスープとライス、ハンバーガー、ポテトの夕食にありついたときは心底、ほっとした。

 それにしてもきつい国境越えだった…。

昼食の席に招かれた

昼食の席に招かれた

ブハラの旧市街

ブハラの旧市街

民族舞踊を見ながら夕食を食べる

民族舞踊を見ながら夕食を食べる

トルクメニスタンの国境へ

トルクメニスタンの国境へ