賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

シルクロード横断:第38回 アシハバード

 トルクメニスタンの首都アシハバードに到着した翌日は、一日、町を歩きまわった。近代的なきれいな町並みだ。人口は50万人。イランとの国境のコペトダク山脈の山々が町のどこからでも見える。

 町の中心には1948年10月6日に起きた大地震のモニュメントが建っている。この大地震でアシハバードは壊滅的な打撃を受け、14万人もの死者を出した。今の町はそのあとに再建されたもので、古い建物や旧市街は残っていない。

 中心街はアシハバード駅を基点にして、南西の方向に広がっている。鉄道はトルクメニスタンを横断する幹線国道と平行して走っているが、西に行けばカスピ海のトルクメンバシュ(旧クラスノポーツク)へ。そこからは船で対岸のアゼルバイジャンのバクーに渡れる。

 東に行けばマルイへ。そこから北に行けばトルクメナバードから国境を越えてウズベキスタンのブハラへ、南に行けばアフガニスタン国境へと通じている。アシハバードの駅前に立つと、無性に鉄道で旅したくなってしまう。

 中心街にある「絨毯博物館」を見学。

 ここには10万枚近い「トルクメン絨毯」が展示、収蔵されている。世界最大の手織り絨毯も見られる。トルクメニスタンは絨毯の本場。有名なウズベキスタンのブハラの絨毯も、大半はトルクメニスタンでつくられたものだという。

 昼食は町中のレストランで。中央アジアの名物料理「ラグマン」を食べた。トマトベースのスープには手打ちの麺が入っている。腰の強い麺。トマトやジャガイモ、ニンジンといった具の野菜類もドサッと入っている。上には香辛料のウイキョウがのっている。

 今回の「シルクロード横断」では出発点、中国の天津で初めて麺を食べた。それ以来、各地で麺を食べてきた。シルクロードは麺が西へ、西へと伝わっていった「麺ロード」でもあった。

 アシハバードの「ラグマン」はそんなシルクロードで食べる最後の麺になった。

 午後はバザール(市場)を歩いた。人々の生活の息吹がもろに伝わってくる市場歩きは楽しい。ここではスイカやウリが山と積まれている。ウイキョウなどの香辛料の「緑」、トマトの「赤」が市場に華やかな彩りを添えている。

 ジャガイモやタマネギ、キャベツ、ニンジンといった野菜類が売場の台上にきれいに並べられている。肉売場では羊肉が圧倒的に多いが、牛肉や鶏肉も売られている。だがイスラム圏だけあって、豚肉はまったく目に入らない。パン売場ではヨーロッパ風のパンがグッと多くなる。

 そのあと、5つ星の高級ホテル「グランド・トルクメン・ホテル」でお茶を飲み、ひと息入れたところでデパートを歩いた。

 最後に独立記念塔に行く。高さ91メートルの塔。その前には巨大な大統領像が建っている。さすが独裁国家、ニヤゾフ大統領の像はまぶしいくらいに金ピカだ。その前に立つ2人の衛兵はピクリとも動かなかった。

 我々の泊まる「ニサホテル」に戻ると、夜の町をプラプラ歩き、町中の食堂で夕食にした。あんかけ風にした羊肉にライスが添えてある。中央アジアではライスもけっこう食べられている。ピラフの「プロフ」は麺の「ラグマン」と並ぶ中央アジアの名物料理だ。

 こうして夜は更けていったが、黒々として横たわるコペトダク山脈に向かって、「待ってろよ!」と声をかける。目の前の山脈を越えた向こうはイラン。いよいよ「シルクロード横断」も、中央アジアの国々からイラン、そしてトルコへと舞台を移していく。

アシハバードの目抜き通りを歩く

アシハバードの目抜き通りを歩く

大地震のモニュメント

大地震のモニュメント

バザールを歩く

バザールを歩く

バザールを歩く

ニヤゾフ大統領の金ピカ像