賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

シルクロード横断:第36回 トルクメナバード→マルイ

 ウズベキスタンから入ったトルクメニスタンは北朝鮮と同じような独裁国家。早朝のトルクメナバードの町を歩くと、終身大統領のサパルムラト・ニヤゾフの写真や銅像をあちらこちらで目にする。

 トルクメニスタンのニヤゾフは北朝鮮の金正日のような存在。1991年にソ連邦が解体し、独立してからというもの、国の全権力を掌握している(そのニヤゾフ大統領もこのあとすぐ、2006年の12月21日に急性心不全で急死した)。

 ひと晩、泊まった「トルクメナバード・ホテル」のレストランで朝食を食べる。中にひき肉の入ったクレープとチーズ&サラミ、ゆでたまご。それにヨーグルト、リンゴジュース、パンがついている。

 パトカーの先導で9時、出発。パトカーの後ろに我々の13台のバイクと2台のサポートカーがついて走る。風景は砂漠へと急速に変わっていく。カラクム砂漠だ。道路沿いに砂丘も見られる。砂漠というと一木一草もない荒涼とした風景を連想するが、カラクム砂漠には点々と草木が見られた。

「カラ」はトルコ語で「黒い」、「クム」は砂漠。「カラクム」は「黒い砂漠」になる。日本語でカラクム砂漠というと「カラ砂漠砂漠」になってしまうが、このような例はほかにも多い。

 サハラ砂漠の「サハラ」はアラビア語で「砂漠」の意味。サハラ砂漠というと「砂漠砂漠」になってしまう。アメリカとメキシコの国境を流れるリオグランデ川の「リオ」はスペイン語で「川」、グランデは「大きい」の意味。日本語でリオグランデ川というと、「大川川」になってしまうのだ。

 カラクム砂漠を貫く舗装路を走り、小休止になると、舗装路を外れ、砂漠走行を楽しんだ。スズキDR-Z400Sを走らせ、ゆるやかに連なる小砂丘を走りまわった。それほどズボズボもぐるような砂ではないので自由自在に走れた。走り疲れると、DRを停め、灼熱の砂の上に大の字になってひっくりかえるのだった。

 マルイの町に近づいたところで、カラクム運河を渡る。アムダリアの上流から始まり、トルクメニスタンを横断し、カスピ海に流れ込む全長1100キロの運河。カラクム砂漠の灌漑を一番の目的につくられた世界最長の運河だ。カラクム運河を渡ると、ぐっと緑が増え、並木道になった。

 カラクム運河を渡った道路沿いの食堂で昼食。かつてのシルクロードのキャラバンサライ(隊商宿)が食堂になっている。

 羊肉のスープと鶏肉料理。デザートのスイカがうまい。食べ終わると木陰でチャイ(緑茶)を飲んだ。

 16時、マルイに到着。トルクメナバードから263キロ。ここはかつてのメルブで、シルクロードの要衝の地。マルイで道は大きく2本に分かれる。西への道は首都アシガバードからイランへ、南への道はアフガニスタンへの道になる。

 思い出すのは30数年前の「世界一周」だ。

 パキスタンのカラチを出発点にし、カイバル峠を越えてアフガニスタンに入った。アフガニスタン西部の中心地、ヘラートからイラン国境に向かったのだが、道を間違え、旧ソ連との国境まで行ってしまった。そのとき国境で「この道はトルクメニスタンに通じる道だ」といわれ、そこで初めて道を間違えたことに気がついた。その道がマルイに通じる道だった。

 マルイでは「イルスガルホテル」に泊まった。町のレストランで夕食。スープを飲んだあと、メインディッシュの魚のフライとライスを食べた。そのあとホテルのバーで宴会。ウォッカの一気飲み。我々は酔うほどに、シルクロードを熱く語り合うのだった。

早朝のトルクメナバード

早朝のトルクメナバード

カラクム砂漠に入っていく

カラクム砂漠に入っていく

キャラバンサライのカップル

キャラバンサライのカップル

昼食の鶏肉料理

昼食の鶏肉料理