賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの峠越え(10) 九州編(10):熊本・鹿児島県境の峠(Crossing Ridges in Japan: Kyushu Region)

 (『月刊オートバイ』1998年5月号 所収)

        

 熊本・鹿児島県境の峠越えの出発点は、熊本県南部、人吉盆地の中心地の人吉だ。ここから国道267号で久七峠を越えて鹿児島県に入った。

 

肥薩国境の久七峠越え

 今回の出発点の人吉は、日本でも名だたる“霧の町”。その“霧の町”どおりに、朝、起きると、球磨川から立ちのぼる川霧で、町全体がすっぽりと覆われていた。泊まった宿は球磨川河畔の国民宿舎「くまがわ荘」だったが、窓を開けると、すべてが霧に包まれ、対岸が見えないほどだった。

 

 朝風呂に入り朝食を食べ、出発だ。スズキDJEBEL250XCのシートの水滴をグローブでふき払い“霧の町”を走りはじめる。すれ違う車はライトをつけて走っている。 人吉から国道267号で熊本・鹿児島県境の久七峠に向かう。人吉の中心街から5キロほど走ったところで、明哲温泉(入浴料300円)に寄り道。内風呂と露天風呂に入り、温泉で体を清めてから峠を越えるのだ。

 

 久七峠を登っていく。あいかわらず霧は深い。急坂のヘアピンカーブをいくつも曲がり高度を上げ峠に近づくと、ポッと開けた地形になり、集落もある。まだ霧は深い。

 

 峠近くの集落を過ぎると、熊本・鹿児島県境の国見山地の久七峠だ。

 前回の熊本・宮崎県境も国見山地だったが、それは東半分で、西半分は熊本・鹿児島の県境になる。久七峠のすぐ東側には国見山がある。

 

 標高748メートルの久七峠は厳密にいうと、県境の峠ではない。県境は峠から600メートルほど手前の、人吉側に寄ったところなのだ。そこには境界石が置かれている。

 

 つまり久七峠は熊本・鹿児島の県境ではなく、鹿児島県側の峠ということになる。このズレがおもしろい。峠と国境のズレは、

「その昔、薩摩(現鹿児島県)の大口の町に久七爺さんという知恵者がいて、昔の肥薩国境(肥後と薩摩)の境界石をすこしずつ移動させていった」

 からだとか、

「肥後の相良藩と薩摩の島津藩の力関係によって、境界石が強引に移されたからだ」

 などといわれている。

 

 それはともかく、久七峠を越えて鹿児島県に入り、大口盆地の大口の町に下っていくと霧は晴れ、青空が広がっていた。久七峠を境にしての、天気の劇的な変わり方だった。

 

廃線跡を行く

 大口盆地はこれも前回で登場した九州第2の大河、川内川上流の盆地。ここからは九州でも有数の大滝、曽木の滝まで行ってみる。すごい滝だ。川内川が幅210メートルで落ちている。“東洋のナイアガラ”といわれているが、北米のナイアガラの滝よりもどちらかというと、南米のイグアスの滝に似ている。

 

 大口に戻ると、ここからは、次々と熊本・鹿児島県境の峠を越えていく。

 

 まずは布計峠だ。

 大口から国道268号で水俣方向に向かい、山野で国道を右折、旧山野線の廃線跡に沿って走ると、鹿児島県最奥の集落、布計に着く。昔は金山で栄えた歴史を持っている。山野線の布計駅があったところには「布計駅跡」碑が立っている。

 

 布計から熊本・鹿児島県境の布計峠へ。

 この県境の峠のすぐ東にも国見山がある。布計峠を越え、球磨川河畔の球磨村の一勝地へと下っていく。同じ球磨川とはいっても、広々とした人吉盆地とはうってかわって、このあたりは山が深い。

 

 肥薩線の一勝地駅まで行く。縁起のよい駅名なので、この駅の入場券は大人気。列車のみならず、車に乗って切符を買いに来る人もけっこう多いという。

 

 一勝地では一勝地温泉の「かわせみ」(入浴料300円)の湯に入る。豪華な気分を味わえる温泉施設。ほかには入浴客もいなかったので、大浴場と露天風呂を自分一人で独占状態で入った。なんとも贅沢な話だ。湯から上がると、42畳もの大広間で大の字になってひっくりかえり、ひと休みした。峠を越えたあとの温泉というのは、たまらない。

 

 球磨村の一勝地からは、来た道を引き返し、ふたたび布計峠を越え、布計に戻った。

 今度は布計から県境の久木野峠を越え、熊本県の水俣に向かっていく。この道に沿って旧山野線が走っていた。廃線跡をたどるのはちょっとしたブームだが、この久木野峠越えは廃線跡をたどる絶好のルートといえる。駅の跡やかつての鉄道のトンネルどを見ることができるし、廃線跡を利用したサイクリングロードなどもある。バイクで走りながら、過ぎ去った鉄道の歴史を振り返るようなものだ。

 

 久木野峠を下り、国道268号に出、水俣に到着。中心街から4キロほど行った湯ノ児温泉の国民宿舎「水天荘」(入浴料300円)の湯に入る。山上の温泉で、目の前は八代海。湯につかりながら海を眺める気分は最高だ。さらにその向こうの天草の島々をも眺める。ここの湯はまさに眺望抜群なのである。

 

 湯から上がると、食堂で早めの昼食にする。420円のカレーライスを食べる。ボリュームたっぷり。ここの食堂の雰囲気がいい。流れる音楽を聞きながら、目の前の海を眺める。いい風景が見ながら食べると、よけいにおいしさを感じるというものだ。風景がご馳走になる。

 

 ふと、ぼくがよく利用する東京・新宿の駅構内の立ち食いのカレー屋を思い浮かべた。隣の客と肩がぶつかるようなぎゅう詰め状態で、鶏のエサのような貧弱なカレーを食べる情けなさといったらない。よせばいいのだが、ついつい時間がないので慣れたその店で食べてしまう。

 

 湯ノ児温泉の「水天荘」も新宿の立ち食いカレー屋も、カレーの値段はほぼ同じだが、中身はまるで違う。「水天荘」のカレーの方がよっぽど豪華だ。これが旅のよさなんだなあと、しみじみと実感する。カレーを食べ終わると肥後美人のお姉さんが急須に入れたお茶を持ってきてくれた。人が…、なんともいえずにやさしいのだ。

 

水俣周遊コースを走る

 さて、湯ノ児温泉に大満足したところで、

「さー、走るゾ!」

 と気合を入れ、ガンガンと走りまくる。

 

 水俣から来たときと同じルートで布計に戻り、さらに大口まで戻る。

 そして今度は大口から国道268号で水俣に向かう。県境のゆるやかな峠は名無し峠だが、ここのバス停は「大境」になっているので、大境峠とでもしておこう。国道268号は熊本と鹿児島を結ぶ幹線なので、峠を通り過ぎていく車は多い。大型トラックも多い。

 

 大境峠を一気に下って再度、水俣へ。こうして峠を越えて行くとよくわかるのだが、水俣の町はまわりをぐるりと山々に囲まれている。山地から抜け出るとすぐに海で、その海っぷちに開けた町が水俣なのだ。町の中心に、かのチッソ水俣工場がある。

 

 水俣から今度は県道117号で、熊本・鹿児島県境の矢筈峠に向かっていく。峠下が湯ノ鶴温泉。ここでは「温泉保養センター」の湯に入ったがが、入浴料は150円という安さだ。安い入浴料で入れる温泉というのはもう、それだけでうれしくなってしまう。

 

 標高350メートルの矢筈峠からの見晴らしはよくないが、峠を下っていくと、ゆるやかに連なる薩摩の山々を一望する。

 国道445号に出、出水を通り、国道3号へ。左手に海を見ながら走り、ふたたび熊本県に入り、水俣に戻るのだった。

 

 これはカソリ流ツーリングのパターンなのだが、どこか一点を拠点にしてぐるりとまわり、またそこに戻ってくるという周遊コースをいつもふんだんに取り入れている。

 

 それは何も国内に限らず、海外でも同じようなことをしている。

 アフリカを旅したときは、ケニアのナイロビを拠点にした周遊コースでナイロビに3度戻ってきたし、「インドシナ一周」では、タイのバンコクを拠点にし、やはり周遊コースでバンコクに5度、戻ってきたことがある。

 

温泉めぐりの峠越え

 水俣からは国道3号で八代へ。その間では、津奈木太郎峠、佐敷太郎峠、赤松太郎峠の3峠を越えながら、徹底的に温泉めぐりをした。

 

 水俣の北隣りが津奈木だが第1湯目は、ここにある津奈木温泉。国道3号のわきにある「四季彩」(入浴料500円)の湯に入った。ここは名前どおりの洒落た温泉施設だ。

 

 津奈木太郎峠を越えた芦北の湯浦温泉では、やはり国道3号のすぐわきにある共同浴場「岩の湯」(入浴料170円)に入った。常連さんが多くやってくる温泉で、いかにも共同浴場という顔をしている。

 

 第3湯目は、佐敷太郎峠を越え、田浦に入ったところにある御立岬温泉。ここの「温泉センター」(入浴料500円)の湯に入った。目の前の八代海は夕日に赤々と染まっていた。

 

 最後の赤松太郎峠を越え、八代市に入る。ここでは国道3号沿いでは最大の温泉地、日奈久温泉の「温泉センター」と2つの共同浴場「東湯」、「西湯」の3湯をハシゴした。これら3湯の入浴料はすべて100円。3湯で300円と、すごく得した気分。

 

 八代からは国道219号で球磨川沿いに人吉へ。その途中の吉尾温泉「高野屋旅館」に泊まる。ここの湯はいい。地底からわき出たそのまんまの湯といった感じで、ジャスト適温。湯量豊富で、湯がとうとうと湯船からあふれ出ている。

 

 湯上がりの冷たいビールをキューッと飲み干すと夕食。球磨川名産のアユとウナギがうまい。そのほか、刺し身に鍋料理、テンプラ‥‥と、1泊2食7000円の宿泊費以上の満足感を味わった。この吉尾温泉の「高野屋旅館」はおすすめだ。

 

 翌朝は朝湯に入り、朝食を食べ、国道219号で人吉に向かった。球磨川の谷はすっぽりと霧に覆われていたが、人吉盆地の人吉に着くころには霧は晴れ、抜けるような青空が広がっていた。

 

■コラム■「三太郎峠考」

 水俣から国道3号で八代に向かっていく途中では、津奈木太郎峠、佐敷太郎峠、赤松太郎峠と、3つの太郎峠を越えた。これら3つの太郎峠は“三太郎峠”と総称されている。そのため、三太郎峠を越える鹿児島街道(国道3号)は、三太郎街道ともいわれる。

 

 国道3号は新道のトンネルで峠を抜けているが、旧道でひとつづつ、三太郎峠を越えてみた。旧道はほとんど交通量がないだけではなく、標識もないので、道がきわめてわかりにくかったが…。

 

 三太郎峠の標高は、津奈木太郎峠が278メートル、佐敷太郎峠が324メートル、赤松太郎峠が138メートルと、それほど高くはない。だが、海のすぐ近くの峠なので、標高以上の険しさを感じた。

 これら三太郎峠の峠越えは、昔から鹿児島街道の大きな難所になっていた。

 

 ところで三太郎峠の“太郎”はなんともユーモラスな感じがするではないか。

 このあたりでは峠のことを“タロウ”とでもいうのかな、とも考えてみた。以前にもふれことだが、日本の広い地域で、峠を“タオ”呼んでいる。

 

“タロウ”は峠の“タオ”からきているのかもしれないな、などと考えたりもした。

 なぜ“太郎”なのか、どうしても知りたくて何度となくバイクを止め、地元の人たちに聞いてみたのだが、残念ながら、よくはわからなかった…。