賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの峠越え(11) 九州編(11):「人吉→鹿児島」の峠 (Crossing Ridges in Japan: Kyushu Region)

 (『月刊オートバイ』1998年6月号 所収)

        

 熊本県の人吉を出発点にし、加久藤峠を越えて宮崎県のえびのに出、つつづいてえびの高原の霧島峠を越えて鹿児島県に入った。鹿児島県内の峠を越えながら南下し、鹿児島市内に入り、西鹿児島駅前を九州編の峠越えのゴールにした。

 

日本の焼畑を考える

“霧の町”人吉も、今回ばかりはすっきりと晴れ渡り、青空が広がっていた。

 JR肥薩線人吉駅前を出発。峠越えの相棒のスズキDJEBEL250XCを走らせ国道221号で加久藤峠に向かっていく。

 

 峠下の大畑で国道を離れ、JR肥薩線の大畑駅まで行ってみる。

 ここは日本で最初のループ線で知られている。完成は1909年(明治42年)。今から90年も前に完成したのだが、これだけ急勾配のところに鉄道を通すというのは、肥後と薩摩を結ぶ肥薩線が当時としてはそれだけ重要だったということだ。

 

 ところでこの大畑駅だが、青森県の下北半島にも大畑駅がある。こちらは“おおはた”と読む。それに対して、熊本県の大畑駅は“おこば”と読む。“おこば”の“こば”というのは、焼畑にちなんだ地名なのだ。

 

 焼畑というのは、今でもアフリカやアジア、南米などでおこなわれているが、日本でもつい最近までおこなわれていた。遠い昔からの農法で、山の草木を切り払い、それを焼いて畑にしたものである。

 

 日本各地でおこなわれてきたが、九州山地ではとくに盛んにおこなわれ、場所によっては昭和50年代までつづいた。この地方をはじめとして九州では焼畑のことを“こば”という。“おこば”というのは大きな焼畑という意味である。

 

 ところで日本語の“はたけ”というと、畑と畠の2字があるが、ともに漢字ではない。峠と同じように日本人がつくった字、つまり国字なのである。

 

 畑と畠の字からわかるように日本の“はたけ”には火田と白田があった。

 畑と畠はそれら2字を合わせてつくったもので、火田というのは、もちろん焼畑のことである。我々がふだん何気なくつかっている畑という字は焼畑に由来している。焼畑というのは、それほど日本人の生活に深く根づいたものだった。

 

 大畑駅に別れを告げ、ふたたび国道221号に戻り、加久藤峠を目指して登っていく。有名な日本最大のループ橋、人吉のループ橋を走り、峠のトンネルに到達した。

 

 熊本・宮崎県境の加久藤峠は全長1808メートルの加久藤トンネルで抜ける。宮崎県側に入り、峠を下っていくと、眼下の加久藤盆地は一面の雲海だ。その名も「雲海トンネル」の入口手前にある駐車場にDJEBELを停め、雲海を眺めた。すごい風景。その向こうには、雲海を突き破って霧島連峰の山々が連なっていた。

 

霧島の温泉めぐり

 加久藤峠を下ったところが、えびの市の加久藤の町。町外れにある加久藤温泉の湯に入る。ここを第1湯目にし、第2湯目の湯ノ木温泉、第3湯目の白鳥温泉、第4湯目のえびの高原温泉と霧島連峰の宮崎県側の温泉のハシゴ湯をする。

 

 えびの高原からは、霧島スカイラインで宮崎・鹿児島県境の霧島峠を越える。この峠は霧島連峰の最高峰、韓国岳(1700m)西側の名無し峠だが、ぼくはこの峠にはどうしても名前が欲しいので、霧島峠と呼んでいる。

 

 さて、鹿児島県に入ると新湯温泉、林田温泉、硫黄谷温泉、丸尾温泉、野々湯温泉、栗野岳温泉と鹿児島県側の6湯の温泉に入った。宮崎県側と合わせると10湯の温泉をハシゴ湯したことになる。

 

 短い距離の間でこれだけの数の温泉に入ると足はふらつき、目は霞み、心臓はパッカンパッカンと、もうかんべんしてくれといわんばかりの音をたてて鼓動する。

 

 霧島連峰というのは、宮崎・鹿児島の県境に連なる全部で22峰もある円錐状火山の集合体だが、その中腹から山麓にかけてというのは、日本でも屈指の温泉密集地帯。今回はそのうちの10湯に入ったが、まだまだほかにもいくつもの温泉がある。

 

 温泉めぐりをはじめると1湯でも多くの温泉に入りたくなるものだが、霧島連峰周辺というのは、温泉のハシゴ湯するのには絶好のエリアといえる。

 

大隅・薩摩国境の峠越え

 サツマイモとかさつま揚げ、薩摩焼酎などで鹿児島イコール薩摩のイメージが強いが、鹿児島県は昔の国名でいうと大隅と薩摩の2国から成っている。鹿児島県の東半分が大隅で、西半分が薩摩になる。

 

 面積でいうと大隅のほうが薩摩よりも広い。さらに種子島や屋久島、奄美の島々も薩摩ではなく大隅になる。

 

 大隅の中心は今の国分市あたりで、そこに国府が置かれ、国分寺が建立された。一方の薩摩の中心は今の川内市あたりで、そこに国府が置かれ、国分寺が建立された。この大隅と薩摩の2国の境はゆるやかな山並みだ。

 

 栗野岳温泉を最後に霧島連峰周辺の温泉めぐりを終えると、栗野の町に出た。そこからJR肥薩線沿いに走る県道55号で南の横川に行き、そこから大隅と薩摩国境の峠を越えはじめた。

 

 まず最初は県道50号の峠だ。山中に入っていくあたりの丸岡公園の展望台に登り、大隅・薩摩国境の山並みを眺める。ゆるやかな丸みを帯びた山並みだ。

 

 大隅から薩摩に向かって県道50号を走ると、アップダウンをくり返し、どこが大隅・薩摩国境の峠なのかわからないままに、気がつくと薩摩側に入っていた。この県道50号は交通量が多い。

 

 次に国道504号で薩摩・大隅国境の峠を越える。薩摩側の峠道は道幅が狭いので国道にもかかわらず交通量は少ない。この国道504号の峠ははっきりとわかった。大隈に入ると2車線の幅広い道になった。

 

 3つ目の峠は県道462号の峠で、大隅側の姶良町と薩摩側の祁答院町の境になっている。峠から右に中橇林道、左に大山口林道が分岐している。峠を下っていくと国道504号にぶつかり宮之城に出た。

 

 こうして大隅側から薩摩側へ、薩摩側から大隅側へ、また大隅側から薩摩側へと全部で3つの大隅・薩摩国境の峠を越えた。だが、山並みがゆるやかなこともあって、3つの峠とも名無し峠だった。

 

出水山地の峠越え

 宮之城から国道328号を北へ。北薩摩の出水山地の峠、紫尾峠に向かう。

 

 前方にはこの地方の最高峰、紫尾山(1067m)が見えてくる。特徴のある山容。昔からの信仰の山で、奈良時代や平安時代には、高度な仏教文化が花開いた。今でも山頂には、紫尾神社の上宮がある。

 紫尾峠はこの紫尾山の東側の峠で、国道328号はトンネルで峠を抜けていく。

 

 峠を下ると出水の町だ。

 出水からは県道374号で高尾野に行き、そこから国道504号で南の堀切峠に向かっていく。この堀切峠も出水山地の峠で、紫尾山の西側になる。九州新幹線の工事現場を通り過ぎ、山中に入ると、大規模な山崩れで通行止めになっていた。

 

 だからといって、そう簡単には諦めないのが“峠のカソリ”。

『ツーリングマップル』を開き、すぐさま堀切峠を目指しての行動を開始。国道504号を戻り、国道3号に出る。そして出水山地が海に落ちるところから紫尾林道に入っていった。

 

 この紫尾林道は出水山地の稜線を走るスカイラインで、堀切峠までつづいている。すでに夕暮れが迫っている。なんとか明るいうちに堀切峠に着きたくてDJEBELのアクセルを思いっきり開き、コーナーを高速で走り抜けていく。

 

「間に合った!」

 国道3号の紫尾林道入口から27キロ、まだ若干、明るさの残るうちに堀切峠に着くことができたのだ。目の前には紫尾山がそびえている。峠にDJEBELを停め、記念撮影。

 

 名残おしい堀切峠だったが、すっかり暗くなったところで宮之城へと峠を下っていく。

 いよいよ九州編の峠越えも大詰めを迎える。

 

 宮之城からはさきほどの国道328号を今度は南へ、ゴールの鹿児島へと向かう。

 

 国道328号の入来峠が最後の峠になった。峠を越えるときの感慨はひとしおだった。残念ながら暗くてまわりの風景は何もみえなかったが、そのまま峠を下り、一路、鹿児島へと走っていく。国道3号に合流すると、ぐっと交通量が多くなる。鹿児島市内に入り、ターミナル駅の西鹿児島駅前でDJEBELを停めた。

 

「ご苦労さん!」と、DJEBELに声をかけた。

 一晩、鹿児島で泊まり、翌日は東京まで高速道をひた走りに走った。