賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの峠越え(9) 九州(9):熊本・宮崎県境の峠(その2) (Crossing Ridges in Japan: Kyushu Region)

 (『月刊オートバイ』1988年4月号 所収)

        

 今回は、前回にひきつづいての「熊本・宮崎県境の峠」。その第2弾目だ。

 宮崎県側の西米良村を出発点にし、国道219号の横谷峠を越えて熊本県側に入ると県境の峠を次々に越え、熊本・宮崎の両県を行ったり来たりした。熊本県側は人吉盆地、宮崎県側は小林盆地と加久藤盆地。その間に国見山地が横たわっている。

 その国見山地の峠を総ナメにしてやった!

 

横谷峠の旧道を行く

 宮崎県西米良村の中心、村所を出発。一ツ瀬川にかかる橋を渡り、宮崎から八代への九州横断ルート、国道219号で、宮崎・熊本県境の峠、横谷峠に向かっていく。

 

「峠越え」の相棒、スズキDJEBEL250XCに、

「さー、ジェベルよ、行くゼ!」

 と、ひと声かけてアクセルをひねり、峠道を駆け登っていく。この峠に向かって走っていく瞬間がたまらなくいい。

 

 ところで“横谷”だが、これで“よこたに”と読む。

 話は横道にそれるが、ぼくは東日本と西日本の違いにすごく興味を持っている。一見すると同じ顔をしたように見える日本人だが、東日本人と西日本人というのは民族が違うのではないか‥とさえ、思っている。

 

 食べ物ひとつをとっても、たとえば納豆大好きな東日本人、大嫌いな西日本人、濃い口醤油の好きな東日本人、薄口醤油の好きな西日本人、正月魚にサケを好む東日本人、ブリを好む西日本人‥といった具合だ。

 

 歴史的にいえば、縄文文化を色濃く引きずっているのが東日本人、弥生文化の影響の強いのが西日本人といういい方もできる。

 

 このほかにも、東日本人と西日本人の違いはいろいろとあるが、東日本と西日本では、地名も違う。この“横谷”の“谷”の発音もそのひとつ。東日本で“横谷”といえば“よこや”になる。たとえば埼玉に熊谷があるが、これは“くまがや”、深谷は“ふかや”。西日本には熊谷や深谷の地名が多くある(とくに山間地)が、発音は“くまたに”、“ふかたに”になる。

 

 バイクで日本を駆けるとさまざまな地名に出会うが、それにちょっと目を向けるとものすごく興味をひかれるもの。オートバイ・ツーリングというのは、宝の山を走るようなものだ。行く先々のいたるところで自分の知的好奇心がいたく刺激されるの。

「これだからツーリングはやめられない!」

 

 さて、横谷峠である。

 全長1608mの峠のトンネルを抜け、熊本県に入ったところでUターン。もう一度、峠のトンネルを抜け、宮崎県に戻りると今度は旧道で峠を越える。旧道に入ると、ピタッと交通は途絶え、峠道には静寂が漂う。

 

 新道との分岐から3キロほどで、宮崎・熊本県境の横谷峠に到達。峠近くには民家が見られる。峠を下る。

「絶景だ!」

 

 幾重にも重なって連なる九州山地の山々を背景にして、きれいな曲線を描いて走る国道219号を足下に見下ろす。峠のトンネルを走り抜けてしまうと、けっして見ることのできない風景。“旧道走り”のよさがここにある。DJEBELを停め、しばし峠の風景を眺めるのだった。

 

 横谷峠を下ると、湯前の町。山深い米良から、広々とした球磨川流域の人吉盆地に入ったのだ。横谷峠を越えると、このように、ガラリと世界が変わる。これが「峠越え」のおもしろさなのだ。

 

 横谷峠を境にして、宮崎県側を流れる一ツ瀬川も、熊本県側を流れる球磨川も、ともに九州有数の大河。だが、一ツ瀬川は深く険しい山々の間を流れ下り、球磨川は平野かと見間違うほど広い人吉盆地を流域につくっている。その違いは大きい。

 

 人吉盆地には湯前からはじまり、多良木、免田、錦と、盆地の中心の人吉まで町々がつづいている。それにひきかえ一ツ瀬川の流域には、平野に流れ出るまで町らしきところはひとつもない。唯一、西米良村の村所があるだけだ。

 

 人吉盆地の広い野と広い空を眺めて走りながら、ぼくは「峠越え」のおもしろさをあらためて実感するのだった。

 

驚異の陰陽石!

 人吉盆地の多良木から県道143号で槻木峠に向かう。国見山地の西端の峠だ。前方に立ちふさがるように連なる山並みに向かって走る。盆地が平らなだけに、山々の高さがよけいに際立っている。

 

 槻木峠は短いトンネルで抜けたが、それは素掘りのトンネルにコンクリートを吹きつけたようなもの。トンネルを抜け出たところには、歴史を感じさせる馬頭観音がまつられていた。

 

 馬頭観音像に手を合わせながら、この峠の歴史を思った。

 馬頭観音をまつるのは、今の時代でいえば交通安全を祈願するようなもの。トラック以前の昔は馬の背に荷物を積んで峠を越えていたが、険しい峠道では道を踏み外して転落して馬が死ぬことが多かった。そのような馬の“死亡事故現場”や峠に馬頭観音をまつり、交通安全を祈願したのだ。峠というのは、それほどの難所だった。

 

 槻木峠は本来ならば熊本・宮崎の県境になるところだが、峠は熊本県内で、峠を下った山間の集落、槻木までが熊本県になる。きっとその昔、肥後と日向の間で、この地方の領地争いがあったのだろう。その争いに肥後が勝ち、槻木が今、熊本県なのではないかと考えた。

 

 槻木川沿いに走り、宮崎県に入り、国道265号に出る。小林盆地の中心、小林へ。

 まず最初に輝嶺峠を越え、次に軍谷峠を越えた。

 

 前回でも登場した国道265号は日本有数の峠越えルート。熊本県の阿蘇で国道57号と分岐すると阿蘇外輪山の箱石峠、大戸ノ口峠、高森峠の3峠を越えて宮崎県に入る。そして国見峠を越えて椎葉へ、飯干峠を越えて今回の出発点の米良へ。さらに尾股峠、輝嶺峠、軍谷峠の3峠を越えて小林に至る。阿蘇-小林間では全部で8峠も越えるのだ。

 

 小林盆地に入ったところで、名所の陰陽石に寄り道をする。これが自然の岩だとは思えないほどで、ほんとうによく似ている。浜ノ瀬川の河畔にある高さ18mの陽石は男のモノにそっくり。すごい巨根。たて割れ9mの陰石はといえば、女性のワレメにそっくりなのだ。なんともよくできているのだが、さらに陰石の中央部には長さ3mほどの突起があって、“潤みの舌”がついている。

 

 この陰陽石は安産と夫婦円満の信仰の対象になっていて、善男善女がけっこうやってくる。若い女性が、「まあ!」なんていいながらも、けっこう真剣なまなざしで陰陽石を見ていたりする。

 

 小林盆地の中心、小林の町に着くと、来た道を引き返して軍谷峠を越え、次に宮崎・熊本県境の名無し峠を越え、人吉盆地の多良木に戻った。

 

「国見」を考える

 多良木から国道219号で人吉方向に走り、免田へ。そこから国見山地の温迫峠に向かう。林道の峠だ。

 

 白髪山(1417m)から国見山(1217m)へとつづく大きな山並みが、まるで衝立のように前方にたちふさがっている。これから、あの山並みを越えていくのだと思うと胸がワクワクしてくる。目の前に連なる山並みの向こうの世界に思いを馳せる。

 

 温迫峠を越える前に薬師温泉に立ち寄り、「上村ヘルシーランド」(入浴料500円)の湯に入った。きれいな明るい浴室。窓越しに、白髪山を一望する。温泉につかりながら眺める風景というのは、ひときわ胸にしみ込むものだ。

 

 薬師温泉の休憩所では、ほとんど毎日、この温泉に入りにくるという地元の年配の人に話しかけられた。その人も、若い頃はさんざんオートバイを乗りまわしたという。その頃の思い出をなつかしそうに話してくれるのだ。オートバイを乗りまわしていたころが、

「私の人生の華だった」

 といっていた。

 

 その人は、若い頃はずっと東京で働いていた。

「東京は若い頃はいい。でも、年をとってくると故郷が一番」

 だともいった。そんな言葉に実感がこもっていた。

 

 温泉というのは、まさに人と人の出会いの場。旅先で出会った人に聞いた話しというのは、いつまでも心に残る。これが旅の大きな魅力になっている。

 

 榎田から榎田大川筋林道に入っていく。この林道が国見山地の温迫峠を越える。

 本格派林道に入り、“オフロード・ライダー”カソリの血が騒ぐ。DJEBEL250XCも、ダートに入ると急に活き活きとした走りになる。晩秋の、それも平日なのですれ違う車もなく、独占状態でダートを走りぬけ、温迫峠に立った。

 

 人吉盆地が茫々と霞んで見えている。

 ところで、国見山地だが、この山並みには、いくつもの“国見山”がある。また、ここだけではなく、“国見”は日本中にある地名。国見山のみならず国見岳も多いし、国見峠もある。

 

「国見」を『大辞林』で引くと次のように出ている。

「年頭、または一年の農事の開始に先立ち、その秋の豊穣にかかわる呪事的景物を見て、豊穣を祝すること。またその儀礼。のちには天皇の即位儀礼の一環として、領有する国土の繁栄を予祝する儀礼にも分化した」

 

 ということで、“国見”は、我々、日本人の生活とは昔から深くかかわったものだということがよくわかる。それだけに“国見”という地名が日本全国に見られるのだ。

 

 温迫峠を越えると、球磨川から川内川へと、川が変わる。温迫峠を下って出会う川が、九州では筑後川に次ぐ第2の大河、川内川の源流になる。

 

 熊本県から宮崎県に入り、川内川の川沿いに走ると、奇岩が連なる峡谷に入っていく。九州でも有数の渓谷美を誇る狗留孫峡だ。

 狗留孫峡を抜け出ると、ダート区間は終わり舗装路になる。温迫峠を越える林道は28キロのダート。国見山地の白髪山周辺というのは林道の宝庫のようなところで、ほかにも何本もの林道が、網の目状に延びている。

 

峠越えでわかる日本

 川内川流域のえびの市の加久藤盆地に入っていく。北に連なる国見山地と、南の大火山群、霧島連峰の間に広がる盆地だ。

 

 国道221号に出ると、もう一度小林盆地の中心、小林まで行ってみる。その間のゆるやかな峠が加久藤盆地と小林盆地を分けている。えびの市と小林市の境の峠上は平坦なので、ほとんどの人は峠を意識しないままに走り過ぎていく。

 

 だがこの名無し峠をちょっと意識してみると、加久藤盆地と小林盆地という2つの盆地がよくわかってくるし、ここが東シナ海に流れ出る川内川と、日向灘に流れ出る大淀川の2つの水系を分ける南九州の大きな境目だということもわかってくる。

 

 盆地というのは、日本の縮図のような世界だが、「峠越え」をしてみると、じつによく盆地の世界が見えてくる。つまりは、日本がよく見えてくるということなのだ。

 

 小林で折り返し、国道221号で名無し峠を越え、ふたたび、えびの市に入った。

 ところでえびの市は飯野、加久藤、真幸の3つの町が合併してできた市だが、加久藤盆地の“加久藤”というのは、えびの市の旧町のひとつの加久藤からきている。

 

 その加久藤から、加久藤峠を越える。九州を縦断する高速道路の九州道は、人吉とえびの間の加久藤峠越えが最後に残された区間だったが、そのころは、国道221号の峠道の両側には何軒ものドライブインがあり、にぎわっていた。ところが、この間の高速道路が完成すると、当然のことだが国道の交通量が減り、次々と店を閉じていった。なんとも寂しいかぎりだが、これも加久藤峠にまつわる歴史といえよう。

 

 ループ橋を走りながら霧島の山々を眺め、宮崎・熊本県境の加久藤峠の全長1808mのトンネルを抜け、熊本県に入る。さらに日本一の人吉ループ橋を走り、人吉盆地へと下っていった。

 

 国道219号との合流点にある神城温泉(入浴料500円)に入る。いくつもの湯船がある大浴場。竹林に囲まれた露天風呂では“竹林浴”を楽しんだ。そして夕暮れ迫る人吉の町に入っていくのだった。

 

人吉は一大温泉地

 人吉盆地の中心、人吉は、相良藩の城下町。急流の球磨川下りで有名だが、ここはまたあまり知られていないが一大温泉地なのだ。人吉温泉がすごいのは、町中に全部で10数ヵ所もの共同浴場があることだ。

 

 人吉では「くまがわ荘」に泊まった。部屋の窓をあけると目の前が球磨川だ。まずは温泉だと、熱帯植物の茂る浴室の木の湯船につかる。やわらかな、さらっとした肌ざわりのよい湯。人吉名物の球磨川でとれたアユの塩焼きつきの夕食を食べたあと、人吉温泉の共同浴場めぐりをした。

 

 人吉城近くにある元湯(入浴料200円)を第1湯目にし、つづいて木の湯船のいわい温泉(入浴料300円)、露天風呂のある桃李温泉(入浴料300円)、古代檜風呂のある白岳温泉(入浴料500円)と、全部で4湯の共同浴場に入った。

 

 ぼくはこの“共同浴場めぐり”が大好きなのだ。

 じつは人吉には、今回の「峠越え」の1年前にも来たことがある。そのときも「くまがわ荘」に泊まり、同じように夕食後に共同浴場めぐりをした。

 

 そのときは「川端温泉」、「朝日温泉」、「人吉温泉」、「青柳温泉」、「鶯温泉」、「中央温泉」、「新温泉」と、フラフラになりながら、全部で7湯の共同浴場に入った。前回の7湯と今回の4湯で、人吉温泉の11ヵ所の共同浴場に入ったことになる。

 

 翌朝は人吉の町を歩いた。相良藩2万2000石の城下町は九州の小京都といわれるだけあって、趣がある。球磨川の河畔にある城跡の苔むした石垣や武家屋敷の門構えなどが城下町の面影を今に伝えていた。