賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの峠越え(6) 九州編(6):大分県の峠 (Crossing Ridges in Japan: Kyushu Region)

 (『月刊オートバイ』1996年11月号 所収)

 

 九州の峠越え、第6弾は大分県の玖珠盆地や日田盆地周辺の峠だ。

 大分を出発し、国道210号で水分峠を越え、九州最大の川、筑後川の水系に入っていった。まず最初は玖珠盆地周辺の峠を越え、次に日田盆地周辺の峠を越え、最後に九州第一の霊山、英彦山の峠を越えた。耶馬日田英彦山国定公園の一帯が、今回の峠越えの舞台なのだ。

 

水分峠を越えて

 JR大分駅。ここが、今回の出発点だ。峠越えの相棒のスズキDJEBEL200を駅近くに止め、駅の待合室でカンコーヒーを飲みながら地図を見る。これが最高の楽しみ。

 

 ぼくは駅が大好きだ。知らない町の、知らない駅の待合室に一人、だまって座っているだけで旅に出た喜びが胸にこみ上げてくる。

 

 地図で今回の峠越えで走ろうと思っているルートを目で追い、カンコーヒーを飲み終えたところで出発。DJEBELのエンジンをかけ、駅前の国道10号を走り出す。別府方向にわずかに走ったところで左折し、国道210号にはいっていく。

 

 右手に鶴見岳、由布岳と2つの火山を見ながら走る。キューンと弧を描いてそそり立つ豊後富士の由布岳山頂近くは、うっすらと雪化粧している。

 

 国道210号で水分峠を越える前に、由布岳の山麓に広がる由布院盆地に入り、由布院温泉に寄っていく。共同浴場「乙丸温泉会館」(入浴料100円)の湯につかったときは、まさに極楽気分。冷えきった体が、急速によみがえる。「クワー、たまらないゼ!」こういうときは温泉が一番だ。

 

 由布院温泉で生き返ったところで、水分峠へ。標高707メートルの峠。由布岳を目の前にする。峠にはドライブイン。ここで九州横断道路の“やまなみハイウェイが分岐している。

 

 水分峠は、九州の大きな境目だ。同じ大分県の大分郡湯布院町と玖珠郡九重町の境になっているが、その両郡名と同じ、大分川と玖珠川を分ける峠になっている。

 

 玖珠川は日田盆地で大山川と合流し三隈川となり、福岡県に入ると筑後川と名前を変える。下流に広々とした筑紫平野をつくって有明海に流れ出る。

 

 利根川の“板東太郎”、吉野川の“四国三郎”と並び称される“筑紫二郎”で知られる九州最大の川だ。水分峠を越えて、その“筑紫二郎”の世界へと入っていく。

 

七福神峠と自衛隊峠

 水分峠を下っていくと、玖珠川流域の玖珠盆地に入っていく。国道を離れ、玖珠川にかかる橋の上に立つ。そこからの眺めがいい!

 

 南には九重連山の山々が連なり、川上の東の方向に目を向けると由布岳がそびえている。足もとには玖珠川の清流が音をたてて流れている。“山紫水明”の国日本を感じさせる風景だ。前回の竹田盆地も心に残る盆地の風景だったが、この玖珠盆地も竹田盆地に負けず劣らずいい。

 

 玖珠盆地の中心、森で国道210号にいったん別れを告げ、国道387号で宇佐へと向かっていく。その途中で越える峠は名無し峠だ。

 

 そこには7つの岩峰群。それが七福神に見えるという。そういわれればそんな気もするが、右から布袋、毘沙門、大黒天、恵比須、寿老人、福禄寿、弁財天なのだという。

 

 この七福神の岩峰群は、ある日、突然、現れた。それも、最近のことだ。九州に大被害をもたらした平成3年の台風19号で、峠周辺の樹木は根こそぎ倒され、そのせいというか、そのおかげで7つの岩峰がはっきりと見えるようになったのだという。ということで、この名無し峠は「七福神峠」とでも名づけておこう。なんとも、神がかった話だ。

 

 森から宇佐まで50キロ。国道10号にぶつかったところで右折し、宇佐八幡宮に参拝する。ここは日本中に何万とある八幡宮の総本社。本家本元なのである。

 

 参拝を終えて参道を歩いていると、「カソリさん」と、声をかけられた。

 家族連れの年配の人。オートバイではなく、クルマに乗っているとのことだが、それでもぼくの本を愛読してくれている。なんともありがたい話ではないか。

 

 宇佐から森に戻る。帰路は国道387号の名無し峠下から県道に入り、つづけて2つの峠を越える。ともに名無し峠。最初の峠を越えると、九重連山の山並みがドバーッと目の中に飛び込んできた。

 

 2番目の峠は、自衛隊の日出生台演習場のすぐわきだ。このあたりは高原の風景。ちょっと、日本離れしている。で、この名無し峠はカソリの命名で「自衛隊峠」にしておく。

 

強烈に寒い耶馬渓の峠越え

 森に戻ると、冬の夕暮れの冷たい風を切って走り、鹿倉峠を越える。山国川の水系に入り、深耶馬渓へ。

 

 九州を代表する渓谷美の耶馬渓だが、これがすごい。なにがすごいかというと、本耶馬渓のほかに、奥耶馬渓、裏耶馬渓、東耶馬渓、南耶馬渓、津民耶馬渓、羅漢寺耶馬渓、麗谷耶馬渓、椎屋耶馬渓、そして深耶馬渓と、より取り見取りといった感じで、いくつもの耶馬渓があるからだ。これらの耶馬渓は、すべてが山国川の上・中流部の渓谷なのである。

 

 深耶馬渓の中心、「一目八景」にある深耶馬温泉の「鹿鳴館」に泊まる。ここの夕食がよかった。コイの洗いが絶品。ねばりの強い天然のヤマイモのジネンジョもうまかった。そのほか川魚のハヤの甘露煮やシロキクラゲの酢の物、ワラビの煮物と、ふんだんに山里の味覚を味わった。

 

 翌朝は、朝風呂に入り、朝食を食べ、8時に宿を出発。強烈な寒さに泣きが入る。「これが、九州かよ‥‥」深耶馬渓のそそり立つ岸壁や山あいの田畑は、まるで雪が降ったかのように、一面、霜でまっ白だ。

 

 DJEBELのシートの霜をグローブで払いのけ、長めのアイドリングでエンジンを暖め、走りだす。その瞬間の寒さといったらない。九州の山間部の冬の厳しさを思い知らされた。

 

 深耶馬渓の風景を目に焼き付け、耶馬渓ダムのわきを通り、国道212号に出る。日田方向にわずかに走り、国道を左折し、今度は裏耶馬渓へ。

 

 冬用の厚手のグローブをしているが、それでも手の冷たさ、指先の痛さに我慢できず、自販機をみつけると、条件反射のようにDJEBELを止めた。こういうときは、HOTのカンコーヒーにかぎる。飲む前に手をあたため、ついでに顔もあたためる。それから飲むのだが、腹のなかをあたためて、やっと体が元に戻った。

 

 元気になったところで、裏耶馬渓を走り抜け、ゆるやかな名無し峠を越える。正面に九重の山並み、左手に由布岳を眺めながら、森の町へと下っていった。

 

日田から英彦山へ

 森から国道210で日田に向かって走っていくと、日が高くなり、やっと厳しい寒さから解放された。途中の天ヶ瀬温泉では、玖珠川の河原の露天風呂、「薬師湯」(入浴料100円)に入る。川の流れを眺めながら、じつに気持ちよく入れる湯だ。

 

 日田盆地に入っていく。玖珠川と大山川が合流し、三隈川になるのだが、その流域に広がる広々とした盆地が日田盆地。玖珠盆地よりもさらに大きな盆地で、その中心が日田。江戸時代は天領で、代官所が置かれた。三隈川の鵜飼は有名で、歴史は長良川よりも古いといわれている。盆地周辺の山林は、“日田杉”の美林地帯だ。

 

 日田からは、国道212号を北に行き、“小鹿田10キロ”の道標に従って左折し、焼きものの里、小鹿田へ。これで“おんた”と読む。

 

 小鹿田焼きは、宝永12年(1705年)、この地に小石原村(福岡県)の陶工、柳瀬三右衛門を招いてはじまったといわれている。焼きものの里のバス停も皿山だ。

 

 小鹿田から乙舞峠を越える。峠周辺は杉林。見通しの悪い峠道。急坂を下る。石畳風の狭い道。乙舞峠を下ったところで右折し、もうひとつの峠、金剛野峠を越え、大分県から福岡県に入った。

 

 金剛野峠を下ったところで、県道を右折し、石垣を組んだ見事な棚田を眺めながら斫石峠を越える。峠はトンネル。峠を下り、JR日田彦山線の彦山駅まで行く。九州第一の霊山、英彦山(ひこさん)下の駅。線名と駅名は、“英彦山”ではなく、“彦山”。このあたりが地名の難しいところだ。

 

 JR彦山駅から、来た道を引き返し、もう一度、斫石峠を越え、国道211号まで下る。そして、もうひとつの焼きものの里、小石原村に入っていく。国道211号は通称“陶器街道”。国道沿いには、小石原焼きの窯元が何軒もある。小石原焼きを売る店も何軒もある。焼きもの好きな人にはたまらないルートだ。小石原焼きの歴史は、小鹿田焼きよりもさらに古く、寛文年間(1661年~73年)までさかのぼるという。

 

 小石原村の中心、小石原を通り過ぎ、小石原村と嘉穂町の境の嘉麻峠へ。峠には「小石原民芸村」。小石原焼きを売るだけでなく、体験コーナーもある。食事もできる。

 

 国道211号の嘉麻峠で引き返し、小石原村をとりまく峠のうち、大藪峠、芝峠と2つの峠の頂上まで行き、小石原に戻った。

 小石原からは、国道500号で英彦山へ。すぐに小石原村と添田町境の峠を越えるが、ここは名無しの峠。峠を下ったところが、さきほどのJR日田彦山線の彦駅。そこから英彦山へと登っていく。

 

 DJEBELを止め、長い石段を登り、英彦山神社に参拝。この英彦山は、福岡・大分の県境にそびえる標高1200メートルの山で、昔からの山伏の修行の場として知られている。九州第一の霊山なのだ。

 

 英彦山の山頂直下を通る国道500号を行く。別名英彦山天狗ライン。眺望抜群。英彦山の山並みの巨岩を間近に眺める。途中、薬師峠に寄り道し、野峠へ。そこで国道496号にぶつかる。

 

 福岡・大分県境の野峠から大分側に下っていく。奥耶馬渓の渓谷美を眺め、山国町で国道212号に出た。そこからは、旧道の日田街道で伏木峠を越え、日田に戻った。

 

 日田から日田へ、120キロほどだったが、その間では、乙舞峠から伏木峠まで、全部で10峠を越えた。なんとも心に残る「日田→日田」の峠越えだった。

 

最後は大石峠

 日田からは、国道211号で中津へ。山国町との境の大石峠をトンネルを抜けて越える。これが、今回の九州編、最後の峠になる。

 

 大石峠を下った山国町の守実温泉では、町営「憩い荘」(入浴料200円)の湯に入った。これが、今回の九州編、最後の温泉になった。

 

 山国町から耶馬渓町を走り抜け、本耶馬渓町に入る。山国川の渓谷から平地に抜け出るあたりに、名所“青の洞門”がある。国道を離れてそれを往復した。

 

 菊池寛の小説「恩讐の彼方に」の舞台として、全国にその名の知れた“青の洞門”。昔から交通の難所として旅人を苦しめ、一歩、道を踏み外すと、人や馬は山国川に転落して死んだ。それを見て、禅海和尚が30年もの歳月をかけて掘った素掘りのトンネル、それが“青の洞門”だ。完成は、宝暦13年(1763年)だという。

 

“青の洞門”をあとにし、山国川の河口の町、中津に出る。そこから国道10号で新門司港へ。山国川にかかる大橋を渡ると福岡県だ。

 

 国道10号を北へ。渋滞をすり抜け、18時30分、新門司港に到着。オーシャン東九フェリーの「おーしゃんいーすと」に乗船。出港5分前に鳴り響くドラの音が胸にしみる。

 

 19時10分、定刻どおり、「おーしゃんいーすと」は静かに新門司港フェリー埠頭の岸壁を離れていった。遠ざかっていく北九州の町あかりを眺めながら、船内のレストランでビールをグイグイと飲みほす。無性に飲みたい気分。

 

 オーシャン東九フェリーの「おーしゃんうえすと」に乗って新門司港に着いたのが、ずいぶん、前のような気がする。それからというもの、「北九州の峠」「背振山地の峠」「筑肥山地の峠」「阿蘇の峠」「大分宮崎県境の峠」、そして今回の「大分県の峠」と、全部で65峠を越えた。その間のさまざまな出来事がまぶたに浮かび、消えていくのだった。