賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの峠越え(26) 中国編(9):山口の峠(パート3) (Ridges in Chuugoku Region)

 (『月刊オートバイ』1996年5月号 所収)

 

 山口県の峠越え第3弾は、山陰の長門市を出発点にして、本州最西端の町、下関を終着点にした。その間では、山陰と山陽を分ける中央分水嶺の峠を次々に越えていった。本州最西端の中央分水嶺の峠も越えた。

 これで青森県から山口県まで、1本の線でつながっている本州の中央分水嶺全域の峠を越えたことになる。峠越えをはじめてから20年。体中の血の流れが、カーッと熱くなるような気分。

「やったゼ!!」

 と、思いっきり叫ぶカソリだった。

 

記念すべき旅立ち

 JR山陰本線の長門市駅前に、峠越えの相棒のスズキDJEBEL200とともに立った。気分がすごく、高揚している。

「いよいよだなあ」

 と、自分で自分にいい聞かせる。

 峠越えをはじめて20年、ついに、青森県から山口県までつづく中央分水嶺全域の峠を走破する日を迎えたのだ。その間に、本州各地を何万キロ、走ったことか。

 

 自販機のカンコーヒーを飲み、

「さあ、行くゼ!」

 と、気合一発、DJEBELのセルスターターを押し、エンジンをかける。トリップメーターをゼロにして、9時15分、長門市駅前を出発。DJEBELのエンジン音は快調だ。

「頼むゾ、ジェベルよ。今日は大事な日だからな」

 と、一声、かけるのだ。

 

最初の峠は大ヶ峠

 長門市駅前からR316を南下。あっというまに、山あいにはいっていく。10キロほどで長門湯本温泉。先月号でも立ち寄った共同浴場の「恩湯」(入浴料140円)へ。

 歴史を感じさせる重厚感のある建物。さっそく湯に入る。湯船が2つ。湯量が豊富。ぬるめの湯だ。毎日、この湯に入りにきているという地元のお年寄りと湯の中で話した。

 

 湯から上がると、R316の大ヶ峠へ。長門市と美祢市の境の峠。山陰と山陽を分ける中央分水嶺の峠になっている。

“大ヶ峠”で、“おおがとう”と読む。山口県では、峠のことを“とう”ということが多い。

 峠のトンネルを抜け、いったん美祢市側に入り、また、戻る。そして、大ヶ峠をわずかに下ったところで国道を左折し、名無しの中央分水嶺の峠を越え、豊田町の豊田湖畔へと下っていった。

 

麻羅観音の俵山温泉

 豊田町から再度、長門市に入り、俵山温泉へ。風情のある温泉町で、昔ながらの湯治場の雰囲気が漂っている。狭い道の両側には、温泉宿がびっしりと並んでいる。その数は40軒以上もある。

 ここには「町湯」、「川湯」、「里湯」と、3つの共同浴場がある。入浴料は290円。そのうちの「町湯」に入ったが、けっこうな数の入浴客で混み合っていた。

 

 ところで、俵山温泉の大半の宿に内湯はない。宿に泊まり、外湯の共同浴場に入りに行くようになっている。これが、日本の正統派の温泉なのである。日本の温泉というのは、昔はどこも、このようなシステムになっていた。

 

「町湯」の湯から上がると麻羅観音に参拝。ここが、すごい!

 みなさんは、“まら”って何だか知っていますか。男根のこと、そう、男のナニなんです。

“まら”というのは、もともとは僧侶の隠語。麻羅観音のご神体は男根なのである。

 すごいのは、奉納された“まら”の数々。木製、石製、金属製と、大小おりまぜて、ずらりと“まら”の奉納物が並んでいる。女性が見たら、卒倒しそうな光景。

 

 俵山温泉からは、中央分水嶺の大寧寺峠を越え、さきほどの長門湯本温泉へ。峠下には、峠名の由来にもなっている大寧寺という寺がある。

 長門湯本温泉からは、R316で長門市駅前に戻ったが、「山口の峠・パート3」のファースト・ステージ終了といったところだ。

 

温泉ハシゴ旅

 さきほどと同じように、長門市駅前の自販機で買ったカンコーヒーを飲み、出発。R191で椎ノ木峠を越え、長門市から日置町に入る。“日置”と書いて、“へき”と読む。何で‥‥といいたくなるが、日本語、とくに地名の読み方は難しい。

 日置町の国道沿いの食堂で日替定食の昼食を食べ、

「さー、行くゾ!」

 と、気合を入れて出発。

 

 R191を左折し、県道281号で大笹山峠を越える。峠のトンネルを抜け、峠道を下っていくと、俵山温泉。今度は「町湯」のすぐ近くにある「川湯」に入った。もう1つ、「里湯」があるが、それはまた、次の機会にしよう。

 俵山温泉からは、県道38号で砂利ヶ峠を越える。峠名こそ“砂利ヶ峠”だが、今では全線が舗装路だ。大笹山峠、砂利ヶ峠はともに中央分水嶺の峠である。

 

 砂利ヶ峠を下ると、じきに、R491にぶつかる。道幅の狭い国道。名無しの峠を越え、峠を下っていくと、一ノ俣温泉。泉質の良さには定評があり、湯治客が多くやってくる。ここでは、「一ノ俣温泉保養所」(入浴料600円)の湯に入ったが、湯はなめらかな肌ざわり。湯量が豊富だ。

 

 つづいて、すぐ近くの、1軒宿の温泉、荒木温泉に行く。

 荒木温泉の「湯の里あらき温泉ホテル」は入浴のみは断られそうな雰囲気の温泉ホテルだった。が、フロントのきれいな若い女性は、

「どうぞ、どうぞ」

 と、愛想よく迎えてくれた。入浴料も800円と、それほど高くはない。大浴場と露天風呂の両方に入った。

 

 荒木温泉からR435で豊田町の中心、豊田へ。その途中で、ゆるやかな峠を越える。この峠もやはり、中央分水嶺の峠。だが、どこが峠なのか、見きわめづらい。DJEBELで行ったり来たりしてどこが峠なのかを突き止める。“峠のカソリ”、峠にはトコトンこだわるのだ。

 R435の中央分水嶺の峠というのは、“八道”というバス停のあるあたりで、峠のま上に酒店がある。

 

 この名無しの中央分水嶺の峠を越え、豊田町の中心の豊田に到着。ここまでが「山口の峠・パート3」のセコンド・ステージといったところだ。

 豊田でも町中にある豊田温泉「別館松田屋」(入浴料300円)の湯に入った。温泉の連チャン・ハシゴ旅。湯に当たり、けっこう足がふらつき、ハーハーと肩で大きく息をするのだった。

 

本州最西端の中央分水嶺の峠へ

 豊田町から菊川町へ。ここでも温泉に入る。菊川温泉「華陽」(入浴料300円)の湯。次々に入浴客がやってくる人気の湯だ。

 さー、いよいよ、本州最西端の中央分水嶺の峠越えの開始。

「行くゾ、ジェベルよ!」

 と、DJEBEL200のアクセルをグーッと開いて、R491を走りはじめる。前方に連なるゆるやかな山並みに向かって,一気に突き進んでいく。

 

 峠下の貴飯という集落を通り、山中に入っていく。幅の狭い峠道を登り、貴飯峠に到着。R491のルートナンバーの下に、“貴飯峠”と書かれている。オートバイ、もしくは車で越えられる中央分水嶺の峠のうち、名前のついている峠としては、このR491の貴飯峠が最西端になる。峠名は、峠下の貴飯の集落名からきているのだろう。

 杉林の中の、うす暗い貴飯峠に別れを告げる。ひとつ、ひとつの峠が、胸にジーンとしみてくるほど、いとおしいものになる。

 

 貴飯峠をわずかに下ると菊川町と豊浦町の境。町境を過ぎ、R491との分岐点を過ぎ、県道260号で日本海へ。

 夕暮れの日本海を間近にした大河内温泉では、「大河内山荘」(入浴料500円)の湯に入る。岩風呂、釜風呂、露天風呂とある。

 大河内温泉の湯に満足したあと、R191に出る。日本海の海岸を下関方向に走る。水平線に近づいた夕日が、海を赤々と染めている。豊浦町の中心、小串に到着。そこから県道35号を行く。

 

 最初にひとつ、ゆるやかな峠を越える。次に、豊浦町と菊川町の境の峠を越える。この峠は名無しだが、中央分水嶺の峠だ。幅の広い2車線の峠道のわきには道祖神がまつられている。

 その名無し峠を下った菊川町の久野というところから、県道261号に入っていく。いよいよ、本州最西端の中央分水嶺の峠だ。

 このあたりは、ゆるやかな山並みなので、一気に峠道を駆け登り、菊川町と豊浦町の境の峠に到着。名無しの峠だが、この峠こそ、本州最西端の中央分水嶺の峠。感動の瞬間だ。行く手の正面には、夕焼けに染まった日本海が見える。

 

下関駅前に到着!

 ぼくが本格的に峠越えをはじめたのは1975年3月のことだ。

 最初のうちは、東京近辺の峠を越えていたが、群馬県と長野県の県境の「上信国境」の峠を越えるころから、

「中央分水嶺の峠は、とくにおもしろい」

 と、気づくようになった。

 

 今回は、「中央分水嶺の峠」という言葉を連発して使っているが、それはどういうものかといえば、本州を太平洋側と日本海側に二分する分水嶺の峠のことである。つまり、本州をまっ二つの分けて切ったときの境目なのである。

 それだから、中央分水嶺の峠を境にして、天気が劇的に変わったり、人々の話す言葉が変わったり、習俗や習慣がかわったり、人々の気質が変わったりする。中央分水嶺の峠を越えるとそのような大きな変化をみることができるのだ。

 

 本州最北端の中央分水嶺の峠は、十和田湖の北側の御鼻部山峠である。

 東北の中央分水嶺は、奥羽山脈。で、奥羽山脈を越える峠が中央分水嶺の峠ということになる。

 関東の中央分水嶺は、そのまわりをぐるりととり囲む帝釈山脈、三国山脈、上信国境から甲信国境へとつづく山並み。それらの山並みを越える峠が中央分水嶺の峠ということになる。

 

 中部の中央分水嶺は、八ヶ岳から信州、飛騨を横断し、福井・滋賀県境へとつづいているが、その山並みを越える峠が中央分水嶺の峠ということになる。

 近畿、中国の中央分水嶺は京都北部から中国山脈へとつづく山並みで、その山並みを越える峠が中央分水嶺の峠ということになる。ただし近畿、中国の中央分水嶺の峠は、日本海と瀬戸内海を分けるものである。

 このような本州の背骨ともいっていい中央分水嶺は北は青森から、西は山口まで、途切れることのない、1本の線となってつながっている。

 

 名残おしかったが、本州最西端の中央分水嶺の峠をあとにし、県道261号で豊浦町へと下っていく。その途中で、川棚温泉に立ち寄る。歴史の古い温泉で、老舗の温泉宿が建ち並んでいる。

 ここにはいい共同浴場がある。「龍泉」(入浴料320円)。今回の峠越えのクライマックスを終えたので、ゆったりとした気分で湯につかった。

 

 すっかり暗くなったR191を走り、下関へ。豊浦町と下関市の境が梅ヶ峠。国道と並行しているJR山陰本線梅ヶ峠駅でDJEBELを止める。峠とは思えないほどの、ゆるやかな峠だが、この駅は峠の上にある。

 R191で下関の市街地に入っていく。20時、下関駅前に到着。ここが、「長門市→下関」のゴール。駅近くの食堂で夕食を食べ、下関ICで中国道に入り、高速道をひた走る。中国道から名神、東名と夜通し走り、東京を目指した。