賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

海道を行く(3) 北海道編 番外編その1

■カソリの北海道一周ガイド■ 

 (『ツーリングGO!GO!』2005年7月号 所収)

(札幌→函館)編

1、羊ヶ丘展望台(美味度☆☆☆☆)

「北海道一周」の第1歩。ここからは広々とした牧草地の向こうに札幌の市街地を望む。札幌ドームが正面に見える。牧場の向こうの札幌というのがすごくいい。ここには黄金色のクラーク像。台座には「BOYS BE AMBITIOUS(青年よ、大志を抱け)」の文字が刻み込まれている。レストランでは待望のジンギスカンを食べた。「生ラムジンギスカン定食」(1650円)。鉄板の上で野菜類と一緒に豪快に生ラムを焼いて食べるうまさは、「これぞまさに、北海道!」。ジューッと音をたてて白くなった食べどきの羊肉には、くさみなどまったくない。ここは昔の月寒(つきさっぷ)種羊場。北海道の羊飼育の歴史はここからはじまった。

2、藻岩山(絶景度☆☆☆☆☆)

 藻岩山観光道路(320円 原付不可)のワインディングを登りつめると藻岩山(531m)山頂。そこには札幌を一望する大展望台。札幌の市街地を一望するだけでなく、遠くには湾曲した石狩湾をも望む。まるで大きな地図を見ているかのようだ。反対側に目を移すと定山渓から中山峠方面へと続く山並みを望む。4月も下旬になろうかというのに山々は一面の雪景色。札幌をとりまく自然と地形がよくわかる藻岩山だ。夜間に登ればまばゆいばかりの札幌の夜景。「百万ドルの夜景」と評されている。

3、大通公園(面白度☆☆☆☆)

 大通公園のテレビ塔を見ると、「札幌にやって来たなあ!」と実感する。札幌は碁盤の目状に整然と通りが東西南北に走っているが、その中心は大通公園の大通。この大通をゼロとして、それと平行する東西の道を北1条、北2条、北3条…と呼ぶ。南側も同じで南1条、南2条、南3条…になる。南北に走る道はテレビ塔横の通りを境に東側は東1丁目、2丁目、3丁目…になり、西側も同じように西1丁目、西2丁目、西3丁目になる。札幌の住所でたとえば南7西12とあれば南7条西12丁目のことですごくわかりやすい。大通公園の大通を頭に入れておくと札幌はじつに走りやすい町になる。

4、小樽運河(面白度☆☆☆☆)

 小樽といえば戦前までは北海道の玄関口。日本海が北海道の表玄関だった。今でも当時の繁栄ぶりをあちこちに残しているが、人気スポットの小樽運河もそのひとつ。かつては100軒を超えるレンガ造りの倉庫が建ち並んでいた。小樽に着くとさっそく小樽運河沿いの道を歩き、何軒もの食堂が入っている「小樽運河食堂」内の「大地」で小樽ラーメンの「味噌バターコーンラーメン」(880円)を食べた。バターとコーンがドカッとのっている。これを皮切りに各地で北海道ラーメンを食べた。小樽の食堂のメニューで目についたのは「刺し身」が「お造り」になっていること。古くからの海路による小樽と関西圏の結びつきを感じさせるものだった。

5、高島岬(絶景度☆☆☆☆)

 岬の高台には赤白2色の日和山灯台。そこからは石狩湾を一望する。雄大な眺めだ。正面に雄冬岬、左手には積丹岬。この2つの岬を結ぶ線が石狩湾と日本海の境。この岬に立つと、石狩湾の大きさがよくわかる。石狩湾の中でも高島岬に抱かれた格好の小湾が小樽港のある小樽湾になる。岬には「鰊御殿」と「小樽水族館」。「小樽水族館」前から高台を登った「北海浜節民謡碑」の建つ駐車場は夕日を眺める絶好のポイントだ。夕日が積丹半島の山々に沈むまで見つづけた。

6、R229(面白度☆☆☆☆)

 小樽から江差までの海沿いのルート(「小樽ー余市」間はR5との重複区間)。積丹岬、神威岬、雷電岬、弁慶岬、茂津多岬…と、日本海の岬を次々に見ていく。北海道では1本のルートでこれだけの数の「岬めぐり」をできるルートはほかにない。R229は北海道一の「岬めぐり国道」だ。

7、積丹(しゃこたん)岬(絶景度☆☆☆☆)

 積丹半島最北端の岬。駐車場から10分ほど歩いた岬の突端には赤白2色の灯台。断崖が連続する島武意(しまむい)海岸を一望する。眼下には女郎子岩。その名前の通りのはかなげな寂しげな岩の風情。反対側を見ると積丹岳(1255m)と余別岳(1298m)の雪山。海の青さと雪の白さが鮮やかな対比を見せている。

8、神威岬(絶景度☆☆☆☆☆)

 積丹半島北西端の神威岬は絶景岬だ。駐車場から遊歩道を20分ほど歩くが、その価値は十分にある。いかにも岬らしい岬だからだ。細長く突き出た岬の突端には黒白2色の灯台。その先の岩礁には「義経北行伝説」の「神威岩」がそそり立っている。日高・平取のアイヌの酋長の娘チャレンカは義経を慕ってここまで来たが、すでに義経一行は船出したあとだった。嘆き悲しんだチャレンカは断崖から身を投げ、彼女の化身が神威岩になったという。日高の平取には義経神社がある。神威岬を境にして積丹半島の東海岸と西海岸では天気が変わることがよくある。東海岸では快晴だったのに、西海岸では数メートル先も見えない濃霧に見舞われたこともある。が、今回は東海岸も西海岸も穏やかな晴天。

9、泊の鰊御殿(歴史度☆☆☆☆☆)

 泊漁港前に移築された旧川村家のニニン漁の番屋と修復された旧武井家の客殿がある。入口には昭和20年代の初めに建造されたニシン漁の船の保津(ほっつ)船が展示されている。旧川村家の番屋は大規模な造り。漁場の親方と漁夫たちは同じ屋根の下に住んでいた。泊村だけで50を超える番屋が建ち並んでいたという。ビデオではニシン漁の最盛期の様子をうかがい知ることができる。武井家客殿の「祝宴の間」を見ても、ニシン漁の親方の豊かな生活ぶりがよくわかる。北海道にこれほどの富と豊かさをもたらしたニシンは昭和33年以降、ピタッと来なくなってしまった。それが北海道の悲劇だ。

10、弁慶岬(面白度☆☆☆☆☆)

 寿都湾の西側に突き出た岬。R229のすぐわきにある。岬の突端には仁王立ちする弁慶像が建っている。弁慶岬の語源はアイヌ語の「裂けた所」を意味する「ペルケイ」。弁慶ゆかりの地なので弁慶岬になった。近くには「弁慶の土俵跡」が残されている。弁慶が地元のアイヌの若者と相撲をとった土俵跡だという。弁慶の高下駄をまつる弁慶堂や弁慶が別れの宴を催したという二ツ森の丘もある。雷電海岸には「刀掛岩」と呼ばれる大岩がある。弁慶がエイッとばかりに岩をひねってつくった刀掛けなのだという。「悲劇のヒーロー」、義経を守り抜いた弁慶の体力と気力を神業と信じ、弁慶を守護神とあがめた習慣がこの地方には色濃く残されている。この地では義経以上に弁慶の方が英雄なのだ。そのシンボルが弁慶岬。

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