賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

日本列島岬めぐり:第20回 弁慶岬(べんけいみさき・北海道)

 (共同通信配信 1990年)

 積丹半島の付け根の岩内から国道229号を日本海に沿って南下した。その途中の雷電岬や弁慶岬は、義経の「北行伝説」の地である。

 伝説によると、義経と弁慶の主従は奥州・平泉の衣川の戦いで敗れ去ったのではなく、それ以前に三陸の宮古に逃れたというもの。宮古からは八戸、十三湊を経て三厩から北海道の松前に渡り、日高の平取へ。そこから日本海に出て雷電岬から船出した。

 その後のルートだが、積丹半島経由で樺太に渡り、黒竜江(アムール川)沿いにモンゴルに入ったという。

 国内の義経の「北行伝説」のルート上には点々と義経神社や義経寺などがあり、伝説をもっともらしい話にしている。

 岩内の雷電岬には「刀掛岩」と呼ばれる大岩がある。義経主従がこの地で休憩したとき、弁慶の刀が大きすぎて置くことができず、「エイッ!」とばかりに岩をひねってつくったという刀掛けだ。また、弁慶が背負っていた薪を降ろしたという「薪積岩」もある。

 寿都の弁慶岬には弁慶の銅像が建っている。大男の弁慶は高下駄をはき、右手にはナギナタを持っている。

 弁慶岬の語源はアイヌ語の「裂けたところ」を意味する「ペルケイ」で、それに「弁慶」の字を当てた。岬の近くには「弁慶の土俵跡」が残されている。ここは弁慶が地元のアイヌ人たちと相撲をとった土俵の跡だという。弁慶のはいていた高下駄をまつる弁慶堂や弁慶が別れの宴を催したという二ツ森の丘もある。

「悲劇のヒーロー」、義経を守り抜いた弁慶の体力と気力を神業と信じ、弁慶を守護神としてあがめた習慣がこの地には色濃く残されている。