賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの峠越え(17) 四国編(6):四万十川流域の峠 (Crossing Ridges in Japan: Shikoku Region)

 (『月刊オートバイ』1995年9月号 所収)

 

「四国一周」の峠越え第6弾は、四万十川流域の峠。

 四万十川下流の町、中村を出発点にして、まず最初は、支流の黒尊川流域の峠を越え、愛媛県の宇和島に出た。

 次に、同じく支流の吉野川流域の峠、檮原川流域の峠を次々に越えた。

 最後は本流の峠で、それも限りなく源流に近い、国道197号の布施ヶ坂峠。

 こうして全部で14の峠を越えながら四万十川の世界を駆けまわったのだ。

 

四万十川の河口に立つ

 前回の「高知・愛媛県境の峠」では、愛媛県の県都、松山を出発し、国道33号で三坂峠を越え、国道440号で地芳峠を越えて高知県に入った。

 四万十川の支流、檮原川に沿って走り、大正町からは四万十川の本流に沿って走り、下流の中村へ。ナイトランだったが、徹底的に四万十川に食らいついて走ったのだ。

 中村では国道55号沿いにある四万十温泉「サンリバー四万十」で一晩、泊まった。

 

 翌朝は6時30分の出発。

 冬のことなので、やっと夜が明けかかった時間。

 峠越えの相棒のスズキDJEBEL200のエンジンをかけ、しばらく暖気して走りだし、夜明けの中村の町をグルリとひとまわりした。

 

 中村は“四国の小京都”といわれている。

 長年にわたる応仁の乱の戦火で京都の町が焼かれたとき、それにいやけがさした前関白の一条教房は、応仁2年(1468)、家領の“幡多の庄”(四万十川流域の幡多郡。中村はその中心的な存在)に都落ちして中村に住みついた。

 それ以来、中村は京都に似せた町づくりをするようになった。

 碁盤目状の通りが交差して走り、京都風の東山とか大文字山、祇園‥‥といった地名がつけられた。中村は京都の匂いをかげる町なのだ。

 

 中村からは、国道55号を横切り、10キロほど走り、下田港へ。

 すっかり丸みを帯びて小さくなった砂利が一面にばらまかれたような砂利浜を走り、四万十川の河口へ。四万十川の流れは、最後の最後まで澄みきっていた。

 四万十川は汚れを知らないまま、太平洋に流れ出ていた。

 感動的な河口の風景だ。

 

黒尊川沿いに宇和島へ

 中村に戻ると、今度は、国道441号で四万十川の上流へと向かっていく。

 四万十川にかかる沈下橋(大水が出ると川の中にも沈んでしまう橋)をみつけると、橋を渡り、川原に降りてみる。川の水で顔を洗う。ひやっとした冷たい水の感触で、眠気もいっぺんに吹き飛ぶ。

 中村市から西土佐村に入ったところで国道441号を離れ、四万十川の支流、黒尊川沿いの道に入っていく。黒尊川の渓流は、四万十川本流よりもはるかにきれいな流れだ。

 この黒尊川に沿って峠を越え、愛媛県の宇和島に向かっていくのだが、その途中では、林道に入り、林道の峠を越えてみる。

 

 まず最初は玖木山林道。

 道幅は狭く、荒れた路面。一気に玖木山峠を登っていったが、峠に近づくと、チラチラと雪が降ってきた。

 宿毛市との境の玖木山峠までは8キロのダート。峠で引き返したが、往復16キロのダートをおもしろく走ることができた。

 次に黒尊の集落から、大峠を越える大峠林道に入っていく。

 この林道も峠までは8キロのダートで、津島町との境の峠は、ゴツゴツした岩肌がむきだしのトンネルで貫かれている。この大峠林道も峠で引き返し、往復16キロのダートを走った。

 黒尊の集落から、さらに黒尊川沿いの道を走り、黒尊林道に入っていく。だが舗装が延び、峠までのダート区間は、わずかに4キロになっていた。

 

 高知・愛媛県境のこの峠には、とくに名前がついていないようなので、黒尊峠とでもしておこう。黒尊峠からは津島町側に御代ノ川林道が下っていくが、もう1本の道で鬼ヶ城山の山頂直下の峠に向かっていく。

 この道は全線が舗装路になっているが、以前は相当ハードなダートだったらしい。

 鬼ヶ城山は海岸近くにそびえる標高1151メートルの山で、強烈な寒さ。路面はツルンツルンのアイスバーン。ここが南国の四国だとは、とても信じられないような風景だ。

 この、鬼ヶ城山の山頂直下の峠は、鬼ヶ城山峠とでもしておこう。

 

 峠にDJEBELを止め、ブルブル震えながら、峠からの風景を眺める。

 足元には白っぽい宇和島の町並みが広がっている。その向こうには青い宇和海の海が広がっている。

 氷雪の鬼ヶ城山峠から、一気に国道320号に下り、宇和島の町に入っていく。すると春のようなあたたかな日差しが、サンサンと差し込めていた。

 この黒尊峠、鬼ヶ城山峠経由の「中村ー宇和島」のコースはおもしろいものだった。

 

吉野川流域の峠越え

 宇和島を出発。黒尊川の次は、吉野川流域の峠越えだ。

 吉野川といっても“四国三郎”の吉野川ではなくて、四万十川支流の吉野川である。

 宇和島から国道320号を5キロほど走ると、水分峠に着く。

 峠の上には、バス停“水分”があり、集落や畑もあるようななだらかな峠だが、この水分峠を越えると吉野川の水系に入っていく。

 四万十川というと高知県の川というイメージが強いが、愛媛県もその流域に含まれる。

 さらに驚いてしまうのは、宇和海に面した宇和島からわずか4、5キロ走って峠を越えると、もう四万十川の世界に入るということである。

 宇和島から四万十川というのは、ほんの手の届くくらいの距離でしかない。

 

 水分峠を下ったところで国道を右折し、4キロほど走って山中に入ったところの成川温泉に行く。手前に温泉旅館の「成川温泉湯元荘」(入浴料300円)、その奥には「成川渓谷保養センター」(入浴料300円)があり、両方の湯に入った。

 いつも思うことだが、バイクの機動力をもってすると、成川温泉のような四国屈指の秘湯の湯にも、簡単に入ることができるのだ。

 ところでこの四万十川支流の吉野川だが、広見川と三間川という2本の川が合流して吉野川になるが、その合流点の広見町あたりは広々とした盆地の風景。広見の地名どおりの風景だ。

 

 広見町からは、国道441号を北へ。

 桜峠をトンネルで抜け、次に土屋峠をトンネルで抜け、広見町から野村町へと入っていく。

 土屋峠を越えると、太平洋に流れ出る四万十川の世界から、瀬戸内海に流れ出る肘川の世界へと、川の流れは大きく変わる。

 土屋峠からは、さらにもうひとつの桜峠を越えて、野村町の中心街に入っていく。パン屋でアンパンを買い、缶紅茶を飲みながら食べる。高知港からのフェリーの時間があるので、ゆっくりと昼食を食べている時間がないのだ。

“アンパン&缶紅茶”は、ぼくの時間のないときの昼食のひとつのパターンなっている。

 

 野村町から城川町へ、そして国道197号を南下する。

 日吉村との境の峠を越えていくのだが、峠の真上に民家があるような、ゆるやかな峠。「この峠って、何峠というんでしょうか」

 と聞くと、

「さあー、知らないなあ。とくに何々峠といった名前はついていないよ。ただの峠だな」

 という地元の人の答えだった。

 だがこの国道197号の名無し峠はさきほどの土屋峠と同じように、瀬戸内海に流れていく肘川と、太平洋に流れていく四万十川を分ける峠になっている。それだから、名無しでも、重要な峠なのである。

 

 峠の城川町側には、宝泉坊温泉がある。

 国道沿いの「宝泉坊ロッジ」(入浴料250円)の湯に入り、それから名無し峠を越えて四万十川の世界に戻るのだ。

 日吉村からは、さらに国道197号を走り、檮原町へ。

 その境が、高研山(1058m)北側の高研山峠。

 峠は全長1562メートルの長いトンネルで貫かれている。この高研山が吉野川上流の広見川の源。峠を越えて檮原町にはいると、同じ四万十川でも、檮原川の水系に変わる。

 

最後は四万十源流の峠

 檮原からは、そのまま、国道197号を走る。

 国道197号はまさに“峠越え国道”で、峠を連続して越えていく。

 まず最初は、檮原町と東津野村の境の野越峠。峠はトンネルで抜けている。峠の檮原町側の千枚田は見事なものだ。何代にもわたって営々と田をつくりつづけてきた日本人の米づくりへの執念を見る思いがする。

 この野越峠を越えても、川の流れは檮原川の水系だ。

 次に当別峠を越える。やはり峠はトンネルで貫かれている。この当別峠を越えても、まだ、川の流れは檮原川の水系である。

 

 当別峠を下り、東津野村の中心地に出ると、ちょっと寄り道をした。

 檮原川の支流、北川沿いに3キロほど下ったところには、一軒宿、北川郷麓温泉(入浴料400円)がある。四国の秘湯に入った。

 国道197号に戻り、次に、壁地峠を越える。

 やはり峠はトンネルで貫かれているが、ゆるやかな登り下りなので、峠だとは気がつかないままにトンネルを走り抜けてしまうかもしれない。

 だが、この壁地峠はきわめて重要な峠なのだ。なぜかというと、この峠を越えると、檮原川から四万十川本流へと、川の流れがかわるからだ。

 

 壁地峠を越えて、四万十川の源流地帯へと入っていく。

 四万十川の最上流部はチョロチョロしたかわいらしい流れ。峠下の船戸の集落は、まさに“四万十川源流の里”なのだ。 

 国道を左に折れ、数キロ行ったところには、四万十川の源流碑が立っているらしい。ぼくの心はおおいに揺れ動く。

 時間は午後3時。高知港から東京行きのフェリーが出るのは、午後6時10分。高知までは、まだ100キロ近い距離がある。ここからまっすぐ高知に向かっていっても、ギリギリで船に間に合うかどうかという時間なのだが、どうしても、源流碑だけは見たかった。

 さんざん迷ったあげくに、ついに断念‥‥。

「あー、ダメだー。また、次の機会に来よう」

 

 四万十川は東津野村の不入山(1336m)を源にしている。

 不入山南麓から流れ出る川が源流の船戸川で、何本もの上流部の川を集めて松葉川になり、JR土讃線の終点でもある窪川あたりを過ぎると、仁井田川と名前を変え、大正町で檮原川を合わせ、四万十川になる。

 西土佐村の江川崎で吉野川を合わせ、さらに黒尊川を合わせ、下流に中村平野をつくって下田港近くで太平洋に流れ出る。全長192キロの川だ。

 四万十川はクネクネと曲がりくねって流れているので、どれが本流なのかわかりづらいし、どこからどこへ、どのようにして流れているのかもわかりづらい。

 それだけに地図を見ていると、クイズを解きあかすようなおもしろさがあって、よけいにその川筋をフォローしてみたくなるのだ。

 

 最後に、国道197号の布施ヶ坂峠を越える。

 トンネルに入らず、旧道を登り、峠を越える。

 布施ヶ坂峠の四万十源流側の登りはゆるやかだったが、峠を越えた葉山村側の下りは急坂だ。急カーブが連続し、きれいに積み上げられた石垣の茶畑のなかに降りていく。こうして、四万十川に別れを告げた。

 

 須崎からは、国道56号で高知へ。

「急げー!」。

 スズキDJEBEL200にムチを入れ、渋滞にはまりこむとスリ抜けし、高知港のフェリー埠頭を目指した。

 間一髪で間に合った! 18時10分発のブルーハイウェイラインの東京行きフェリー「さんふらわあ・とさ」に乗り込んだ。

 

 すぐさま寒風の吹きすさぶ甲板に上がり、自販機で買ったカンビールで離れゆく高知の町の灯に乾杯!

 町明かりのむこうには、黒々とした山々が横たわっている。

「さらば、四国よ!」

 とうとう終わってしまった四国一周。

「やったぜ!」という達成感もあったが、それ以上に、

「あー終わってしまったんだ」

 といった寂しい気持ちに襲われた‥‥。

「高知ー高知」の四国一周の全行程は2150キロ。その間で全部で51の峠を越え、22の温泉に入った。

 暗い海に向かって、もう一度、

「さらば、四国よ!」

 と、叫んでやった。