賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの峠越え(12) 四国編(1):高知・徳島県境の峠 (Crossing Ridges in Japan: Shikoku Region)

 (『月刊オートバイ』1995年4月号 所収)

 

 寒風の吹きすさぶ12月に、全行程2200キロで四国を一周し、全部で51峠を越えてきた。四国編の峠越え第1弾は、高知・徳島の県境の峠だ。

 

高知への船旅

 四国の峠越えの相棒はスズキDJEBEL200。

「さ頼むゼ、ジェベルよ」

 と、ひと声かけて、午後3時、神奈川県伊勢原市の自宅を出発。国道246号で都内に入り、銀座を走り抜け、東京港フェリー埠頭へ。ブルーハイウェーラインの高知行きフェリー「さんふらわー・とさ」(1万3000トン)で四国に渡るのだ。

 17時ジャストに東京港フェリー埠頭に到着。乗船手続きを終え、17時30分に乗船。

 18時10分になると、船内にドラが鳴り響き、“ほたるの光り”のメロディーが流れる。 18時20分に出港。胸がジーンとしてくるような出港のシーン。船旅というのは、旅心をいたく刺激するものだ。

 

「さんふらわあ・とさ」がフェリー埠頭の岸壁を静かに離れたところで、サウナつきの大浴場にいき、風呂に入る。湯上がりのさっぱりした気分でレストランにいき、ビールを飲みながらの夕食。なんとも優雅なひと時ではないか‥‥。夕食を食べながら眺める東京湾の夜景は、胸にしみるものだった。

 長距離フェリーの楽しみは、時間を気にすることなく、グッスリと眠れることだ。

 この四国への旅立ち前の何日かは、ほとんど寝ていなかったので、8時過ぎにはバタンキューで眠りにつき爆睡!

 

 目をさましたのは、翌朝の7時で、10時間以上も眠った。自分の命の洗濯をしたような気分だ。

 7時10分、太平洋の水平線から朝日が昇る。快晴。レストランで朝食を食べながら、朝日に照らされた太平洋を眺める。壮大な気分になってくる。

 8時、南紀の那智勝浦港に入港。まわりの山々は、冬とは思えないほど、青々としている。さすがに黒潮の洗う南紀だけのことはある。

 8時30分、出港。大浴場の風呂に入りにいく。湯上がりに、カンビールを飲む。本州最南端の潮ノ岬を眺めながら飲むビールの味は格別だ。

 ビールを飲み終え、ホロ酔い気分になったところでひと眠り。この朝湯→朝酒→朝寝は最高。極楽とは、きっと、こういうのをいうのだろう。時間をふんだんに使える長距離フェリーほど贅沢な旅はないが、極楽な気分を存分に味あわせてくれる。

 

 14時、右手に四国の室戸岬が見えてくる。

 16時、高知港入口にかかる浦戸大橋の下をくぐり抜ける。左手には桂浜。

 16時30分、「さんふらわあ・とさ」は、高知港のフェリー埠頭に到着した。

 胸が高鳴る。

 下船したところでDJEBEL200のトリップメーターをゼロにする。

 高知発高知着の、「四国一周」が、いよいよはじまるのだ。この、走り出す瞬間がたまらない。

 

高知・徳島県境の四ツ足峠

 高知港から高知の中心、“はりまや橋”に行く。東京でいえば、銀座4丁目の交差点。四国の道路網の中心でもあり、国道32号、国道33号、国道55号、国道56号、国道195号といった四国の幹線国道は、ここが起点であったり、終点であったりする。

 そのうちの国道195号を行く。国道55号と分岐するとすぐに、“四ツ足峠61キロ”の標識を目にする。四ツ足峠とは、高知・徳島県境の峠である。

“峠のカソリ”、道路標識で峠名を見ると、もうそれだけで、体がゾクゾクッとしてしまう。

思わず、

「待ってろよ、今、行くからな!」

 と、叫んでしまうのだ。

 夕焼けに染まった四国の山々を眺めながら走る。

 その夜は、高知から25キロ、国道195号沿いの一軒宿の温泉、夢ノ温泉に泊まった。 ちょうど、どこかの会社の忘年会が開かれていて、若い男女社員が飲めや歌えの大騒ぎをしていた。

「そうか、今は、年末なんだ‥‥」

 妙なところで感心してしまう。ツーリングに出ると、年末のあわただしさなど、まったく関係なくなってしまう。

 

 翌日は辛い冬の雨‥‥。ザーザー音をたてて降っている。

 朝風呂に入り、朝食を食べ、7時半に宿を出発する。

 身を切られるような冷たい雨に降られながら、国道195号を走る。

 物部川の渓谷に入っていく。物部村の中心、大栃を通り、四ツ足峠下の別府に到着。

 九州の別府は“べっぷ”だが、ここは“べふ”で、やはり温泉がある。

 一軒宿の「べふ峡温泉」(入浴料412円)の湯に入り冷えきった体を暖めた。

 

 温泉で元気をつけたところで、四ツ足峠を越える前に、西熊別府林道を走る。別府峡の峡谷を見下ろすダートだ。グングンと高度を上げ、雲の中に突っこみ、白髪山(1770m)の山頂に近い白髪山峠を越えた。

 峠を下りはじめると、じきに舗装路になるが、西熊別府林道は、ダート12キロの走りごたえのある林道だった。

 さきほどの物部村の中心大栃に出、国道195号で別府に戻った。

 いよいよ、四ツ足峠を越える。別府からいっきの登り。峠は全長1857メートルのトンネルで貫かれている。トンネルを抜け出ると、徳島県の木頭村。

 腹がたつほどなのだが、雨足はいっそう早くなった。

 

 ところで、この高知・徳島県境の四ツ足峠は、標高1017メートル。旧道の峠には、“四ツ足堂”と呼ばれるお堂があって、地蔵がまつられている。峠名は四ツ足堂に由来。“四ツ足堂峠”と呼ばれることもあるという。4本の足で支えられたお堂で、そのうちの2本が高知側、もう2本が徳島側に立っている。

 四ツ足峠を徳島側に下っていく。

 木頭村役場前の店でパンを買う。冷たい雨に降られながらボソボソ食べ、それを昼食にし、次の峠、東川千本谷林道の駒背峠に向かった。

 

東川千本谷林道の峠

「今日は1日中、雨だな」

 と、腹をくくり、ザーザー降りの中を走る。それにしても辛い冬の雨。ブーツの中はグジョグジョズボズボ状態。ただひたすらに、我慢、我慢の、冬の雨。

 国道195号で四ツ足峠の方向に戻り、峠下で左折し、東川千本谷林道に入っていく。すぐにダートがはじまる。道幅の狭い曲がりくねった峠道。交通量はほとんどない。雨で地盤がゆるみ路肩がザラザラ崩れているところもある。

 国道から12キロで、徳島高知県境の駒背峠に到達。峠はトンネルで貫かれている。こういうときのトンネルはありがたい。トンネルに入ったところでDJEBELを止め、雨宿りを兼ねて休憩する。フーッと、大きく息をつく。

 

「さー、行くゾ!」

 自分で自分を励まし駒背峠を下っていく。高知県側は安芸市になる。とはいっても、とても“市”とは思えないような山深い風景がつづく。

 ダート15キロの東川千本谷林道を走りきり、伊尾木川に沿って下っていく。点々と、山あいの集落がつづく。

 山々が海岸のすぐ近くまで迫る四国。山地を抜け出た伊尾木川は、河口にわずかな平野をつくって太平洋に流れ出る。上流→中流→下流という川の流れのうち、中流がスポッと抜け落ちているかのような伊尾木川の流れだった。

 

歴史を秘めた峠

 安芸市から国道55号で太平洋岸を走り、奈半利町で国道491号に入る。このルートは室戸岬を経由する国道55号のバイパス的な国道だが、距離は短いけれども山越えのルートなので、交通量は少ない。

 奈半利の隣町の北川町では、北川温泉「森林センターきたがわ」(入浴料400円)の湯に入った。なにしろ降られっぱなしで、冬の雨に徹底的に痛めつけられているので、大浴場の湯につかった瞬間は地獄で仏に出会ったようなもの。しみじみと温泉のありがたさを感じた。

 湯から上がると、不思議なもので、またしばらくは冷たい雨の中を我慢して走ることができる。これが温泉効果というものだ。

 

 国道493号は、四郎ヶ野峠を越える。この峠は歴史の古い野根山街道の峠。峠の案内板には、野根山街道について、次のように書かれてあった。

「この街道は、安芸郡奈半利町から東洋町にかけての野根山連山の尾根づたいの道。大和時代に野根山官道として整備された。それ以降、一千数百年の歴史を秘め、土御門上皇の遠流の悲しい旅の道となり、天正年間には長宗我部元親が四国制覇の道として使った。

 江戸時代になると、参勤交代の行列が通る華やかな道となり、清岡通之助らの十三烈士は野根山に屯集した。

 また、オオカミを退治して妊婦を守った飛脚の話、関守の娘の秘話、奇怪な笑いの栂の木、旅人四、五人が泊まれたという巨大な洞のある宿屋杉などなど、歴史と伝説が街道全体にちりばめられている」

 

 かつての野根山街道というのは奈半利町から装束峠に上り、そこから尾根道となり、野根山(983m)を越え、この四郎ヶ野峠から東洋町の野根に下っていくというもの。昔の街道というのは、野根山街道に限らず、今の時代の街道よりも、ずっと山の上の方を通っていた。

 いろいろな時代の歴史が積み重なった野根山街道の四郎ヶ野峠だが、まるで何事もなかったかのように、ひっそりと静まりかえっている。あいかわらず、冷たい雨が降りつづいている。

 四郎ヶ野峠からの下りは急坂で、下るにつれて太平洋が見えてくる。そして、国道55号の野根に出た。

 

四国の峠は“と”だ!

 東洋町野根から国道493号を引き返し、もう一度、野根山峠を越える。

 日が暮れる。四郎ヶ野峠下で国道493号を右折し、最奥の集落、竹屋敷へ。そこから竹屋敷林道に入っていく。林道ナイトランだ。こういうときにDJEBELの大光量ライトは、おおいに威力を発揮する。

 荒れたダートを3キロほど走ると、高知・徳島県境の吹越峠に到着。

 峠を越えて、徳島県に入り、さらに5キロのダートを下っていく。今でこそ見捨てられたような吹越峠だが、かつては阿南海岸の宍喰と竹屋敷を結ぶ50人乗りのバスが走っていたという。

 

 阿南海岸の宍喰に向かって走る。

 その途中では、もうひとつ峠を越える。猪ノ峠だ。これで“いのと”と読む。中国地方だと峠のことを“たわ”とか“たお”ということが多いが、それが四国になると“と”とか“とう”になる。

 四国山脈を横断する国道439号(別名ヨサク国道)の大峠も“おおと”という。

 猪ノ峠の短いトンネルを抜け、国道55号に下り、宍喰へと急ぐ。雨をついて走る。とうとう、最後の最後まで冬の雨は降りつづいた。

 

 宍喰では国道55号沿いの「宍喰温泉保養センター」に泊まる。目の前には、国定公園になっている阿南海岸の暗い海が広がっている。

 宿に入ると、さっそく大浴場の湯につかる。生き返るような思いだ。冬の雨にさんざん痛めつけられた体のすみずみにまで、ドクドクと音をたてて血が流れていくようだ。湯は灰を溶かしたような色をしている。かなり塩分の強い食塩泉である。

 

 湯から上がると、宿のレストランで、一人、ビールで乾杯!

「雨にも負けず、よくがんばったねえ~」

 それにしても、辛い1日だった‥‥。

 ビールでの乾杯を終えたところで、夕食にする。

 さすがにスダチの本場の徳島だけあって、刺し身にも、カツオのたたきにもスダチがついている。それをしぼってふりかける。スダチの上品な酸味がアクセントになって、味をぐっとひきたてた。

 翌朝は、目をさますとすぐに朝風呂に入る。湯につかりながら、阿南の海を眺める。朝食を食べ、8時、出発。昨日の雨は上がり、青空が顔をのぞかせている

「さあ、徳島の峠越えだ!」