賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの峠越え(13) 四国編(2):徳島の峠 (Crossing Ridges in Japan: Shikoku Region)

(『月刊オートバイ』1995年5月号 所収)

 

 高知を出発点にした「四国一周」の峠越えの第2弾は、「徳島の峠」だ。

 前回では「高知・徳島県境」の峠を越え、徳島県南端の宍喰温泉に泊まったが、今回は宍喰温泉を出発点にして徳島県内の峠を越えた。

 国定公園になっている阿南海岸の海南町から、国道193号で霧越峠、十二弟子峠、土須峠、倉羅峠と、次々に越え、四国最大の川、吉野川の河畔に立った。

 この国道193号は最高におもしろい峠越えルートといえる。

 次に、吉野川沿いの鴨島町から梨ノ峠、旭丸峠と越え、最後は県都の徳島に出たが、険しい山並みのつづく四国山地東部の峠越えだった。

 

阿南と阿北

 ひと晩泊まった阿南海岸の宍喰温泉はいいところだった。目の前が徳島最南の海。早朝の砂浜を散歩したが、寄せては返す波の音が心地よかった。

 太平洋の水平線にかかる雲間から昇る朝日が、海を赤々と染めた。

 宿の「宍喰温泉保養センター」に戻り、朝風呂に入り、朝食を食べてから出発。

 宍喰から海南までは、ずっと阿南海岸の海を右手に見ながら国道55号を走った。

 ところで、この阿南海岸の“阿南”は、徳島県の旧国名、阿波の南という意味である。伊豆の東が伊東になるのと同じようなものである。

 四国山脈東部の最高峰、剣山(1954m)から東に延びる山並みを境に、その南が阿南になる。国道55号沿いには阿南市がある。

 阿南に対する阿北は、その山並みの北側で、おもに吉野川の中・下流域の地方を指している。

 

名前どおりの霧越峠

 海南の町に入ったところで国道55号を左折し、国道193号を走りはじめる。

 この国道193号は海南から高松まで通じている四国縦断の国道だが、途中でいくつもの峠を越えていく。カソリおすすめの峠越えルートだ。

 まず、最初の峠、霧越峠に向かって、峠越えの相棒のDJEBEL200を走らせる。“霧越峠29キロ”の標識を目にし、体がゾクゾクッとするような感動を味わう。

思わず、

「おー、霧越峠よ、待ってろよ、今、行くからな!

 と、叫びたくなるような気分だ。

“峠のカソリ”としては、このような峠までの距離を示す道標が、どんどん増えればいいと願っている。

 

 国道193号は、海部川に沿っている。

 阿南海岸の海辺はきれいに晴れわたっていたが、霧越峠に向かって内陸に入っていくとすっぽりと川霧に包まれる。

 四国の名瀑、轟滝への道との分岐点を過ぎると、一気に峠へと登っていく。

 谷間を埋めつくしている川霧も、勢いよく峠に向かって這い登っていくかのように見える。それはまさに、霧越峠の名前どおりの光景。おそらく昔の人も、同じような光景を見て、霧越峠と名づけたのだろう。

 そんなことを考えながら峠を越えるのは、楽しいものだ。

 タイトなコーナーが連続する幅の狭い峠道を登るにつれて、霧が晴れ、足もとに一面の雲海を見下ろすようになる。上空は抜けるような青空。

 雲海と青空の対比が鮮やかだった。

 

 海部からぴったり29キロで霧越峠に到着。峠には、「霧越林道開通記念」碑が建っている。それによると林道の開通は昭和43年。それ以降、国道に昇格した。

 海南町と上那賀町の境の霧越峠を越え、那賀川の谷間へと下っていく。またしても、眼下は雲海。その向こうには、四国山脈の山々が、青く霞んで連なっている。

 青い海と青い山の、“青い四国”をイメージするかのような風景だ。

 霧越峠を下ると、海川という集落に着く。そこからは、何かいわくのありげな峠名の、十二弟子峠をトンネルで抜ける。

 峠を下っていくと、国道195号にぶつかる。

 国道195号というのは、前回の高知・徳島県境の四ツ足峠を越えるルートだ。

 海南から霧越峠、十二弟子峠を越え、国道195号にぶつかるところまでが、国道193号の峠越えの第1ステージといったところだ。

 

四国山脈の土須峠

 国道193号の峠越えの第2ステージは、まさに、メインイベントといったところで、四国の背骨、四国山脈の土須峠を越える。

 国道193号は、平谷で国道195号と合流するが、2本の国道は那賀川沿いにしばらく一緒に走り、那賀川にかかる橋を渡った出合のT字路で分かれる。国道193号は、左へ。国道195号は、右へ。そのT字路を左折し、国道193号を行く。

 そこには、霧越峠のときと同じように、“土須峠21キロ”の標識。それを目にして、いよいよ本番だなと、身震いしてしまう。

 那賀川の支流に沿って登っていく。谷はあっというまに深く険しくなる。それとともに道幅も狭くなる。林道を舗装した程度といったらいいだろうか……。

 目のくらむような深い谷間に“大釜の滝”。DJEBEL200を止め、遊歩道で川床に下り、大釜の滝を見る。簡単に行って、戻ってこられる国道193号沿いの名瀑だ。

 

 峡谷を抜け、さらに峠道を登り、比較的平坦なところに出ると、日本最長のダートを誇る剣山スーパー林道に合流する。

 四国山脈の稜線上を走る剣山スーパー林道とは、土須峠まで一緒で、その間の2キロほどは、剣山スーパー林道も舗装路である。

 土須峠に到着。峠は短い雲早トンネルで貫かれているが、剣山スーパー林道はトンネルの手前で右に折れていく。

 土須峠のトンネルを走り抜け、木沢村から神山町に入る。さきほどの阿南と阿北でいえば、阿南から阿北に入ったのだ。そこには、木沢・神山林道の記念碑。林道の完成は、霧越峠とほとんど同じで、昭和42年。

 

 この土須峠も、記念碑に彫られた説明によると、昔からの峠だった。

 交通の手段が徒歩だった時代には、四国山脈を越える峠道は何本もあった。だがそれら峠の多くは、自動車道から取り残され、いつしか忘れられていった。土須峠のような、よみがえった峠のほうがまれなのだ。

 土須峠の神山町側からの眺望は絶景! 

 しばらくは峠からの風景を眺めた。

 眼下のパックリと口をあけた谷間を吉野川の支流鮎喰川が流れ、その向こうに吉野川本流との境になる山並みが連なり、さらにその向こうには徳島・香川県境の讃岐山脈が見える。

 それにしても、山また山といった、まさに山国の風景。それは“山国・日本”を象徴するかのような風景だ。

 名残おしい土須峠に別れを告げ、鮎喰川の谷間へ、峠道を一気に下っていった。

 

吉野川の堤防に立つ

 土須峠を下ると、国道438号にぶつかる。この国道もおもしろい峠越えルートになっている。四国山脈の北側を通っているが、剣山のすぐ北の峠、見ノ越を越えている。

 さて、国道193号の峠越えの第3ステージだ。

 神山町から美郷村へ、倉羅峠を越える。美郷村の峠下の集落が倉羅。それに峠名は由来しているが、このようなパターンの峠名は、日本中に数多くある。

 美郷村から山川町へ。

 国道192号を突っ切り、吉野川の堤防の上でDJEBELを止める。

 吉野川はさすがに四国第一の大河だけあって、ゆうゆうと流れる川の姿には、風格が漂っている。対岸には、徳島・香川県境の讃岐山脈がゆるやかに連なっている。後を振り向くと、きれいな山の姿をした高越山がスーッとそびえている。

“阿波富士”といわれるほどの名山だ。

 

 吉野川とそれをとり囲む美しい風景を眺めながら、ポカポカ陽気の堤防の上で地図を広げる。

 徳島県の地図を見ると、ひと目でわかることだが、吉野川は中流の池田から河口の徳島まで、ピューッと定規で引いたかのような直線上を流れている。この線が中央構造線だ! 中央構造線というのは、北は信州の諏訪湖から、南は九州の八代湾までつづいている大断層線。日本列島を走る無数の亀裂の断層線の中では、フォッサマグナと並んで桁外れに大きなものである。

 知識としてわかっていることが、オートバイに乗って、こうして実際の現場に立ってみると、

「あー、なるほどな!」

 と、実感できるというものだ。

 

 なお、中央構造線は諏訪湖から長野・静岡県境の青崩峠を通って三河湾へ。紀伊半島を櫛田川・紀ノ川のラインで横断し、四国を吉野川・佐田岬半島のラインで横断している。九州ではその線上で阿蘇山が噴火しているのでわかりずらくなっているが、佐賀関半島から八代湾を結ぶラインを通っている。

 中央構造線は、日本列島に入った最大の亀裂だが、この線を境にして北側は内帯、南側は外帯といわれている。

 中央構造線を追っての、「諏訪湖→八代湾」のツーリングはおもしろい。その途中には断層の露出しているところや、中央構造線にまつわる博物館・資料館などもあって、日本列島の構造を知ることができる。

 中央構造線のキーワードは“青石”。銘石“阿波の青石”をはじめとして、青崩峠の青石や紀州の青石、伊予の青石などの青石地帯がずっとつづいている。

 

温泉&林道の峠越え

 吉野川河畔の山川町で、国道193号の峠越えを終え、今度は国道192号で吉野川の下流に向かって走る。鴨島で国道を離れ、南へ。県道で梨ノ峠を越える。鴨島町と神山町の境の峠だ。

 神山町では、神山温泉の町営「保養センター」(入浴料500円)の湯に入った。

 湯につかりながら、地元のお年寄りと話す。

「東京に出ていった息子は毎年、リンゴをひと箱、送ってくれる。京都の漬物屋に嫁いだ娘も、毎年、漬物の詰合せを送ってくれる」

 といって、子供の自慢話をする。

 だが、おじいさんの息子や娘は、もう50代とか60代。親というのは、いくつになっても親だし、子供というのも、いくつになっても子供なんだなあ……と、妙な感心をしてしまうのだ。

 地元の、見ず知らずのお年寄りとこういう話ができるのも、温泉のよさ。ぼくはそれを“湯の中談義”といっている。湯の中で地元の人と、または旅人同士で話したことは、いつまでも印象深く残るものだ。

 

 神山温泉を出ると、待望の林道の峠越え。野間殿川内林道に入っていく。

 ところがいくら走っても舗装がつづく。

「えー、どうして、何で」

 と、急激な林道の舗装化に、思わず嘆きの声が出てしまう。

 何年か前に、この野間殿川内林道を走ったときは、林道に入るとすぐにダートだったのに…。

 やっと舗装が途切れ、ダートになったときは、

「そうだよ、こうでなくては……」

 と、全身で喜んでしまうカソリだった。

 

 旭丸峠に向かって、グングン高度を上げていくと、やがて天禺岩という岩山が見えてくる。この岩山が、“阿波・耶馬台国説”の根拠になっている磐座(神の座る場所。自然の巨石、巨岩をさす場合が多い)。阿波説ではこの近くの高根山にある大山城遺跡が、耶馬台国の女王卑弥呼の根拠地だったという。

 耶馬台国は日本人の永遠の古代史のロマンだが、九州説と畿内(近畿)説が激突している中にあって、四国説があるというのも、なんとも楽しくなってくる話ではないか。

 古代史は壮大なロマンだ!

 

 6キロのダートを走り、標高1200メートルの旭丸峠に到着。

 旭丸峠は神山町と上勝町の境の四国山脈の峠で、ここで剣山スーパー林道とぶつかる。上勝町側に下っていく前に、稜線上を走る剣山スーパー林道で、さきほどの土須峠までの区間を往復する。冬枯れの景色の中を走ったが、往復18キロのダート走行だった。

 旭峠に戻ると、上勝町役場のある落合に向かって下っていく。逆さ落としのような急坂だ。10キロのダートを走ると舗装路になり、落合に着く。

 予定した「徳島の峠」のすべての峠を走りきり、ホッとした気分で、上勝町の月ヶ谷温泉に行き、保養センター(入浴料400円)の湯に入る。湯から上がると、勝浦川沿いの道を走る。夕日が四国山脈の山々を赤々と染めるころ徳島に到着した。

「宍喰→徳島」の峠越えだった。