賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの峠越え(15) 四国編(4):祖谷の峠 (Crossing Ridges in Japan: Shikoku Region)

 (『月刊オートバイ』1995年7月号 所収)

      

 四国の峠越え第4弾目は徳島県の祖谷(いや)の峠だ。

 祖谷といえば、かつては富山県の五箇山や熊本県の五家荘とともに、“日本三大秘境”などとよくいわれた。

 祖谷は西祖谷山村と東祖谷山村に分かれているが、古くは祖山とか弥山、伊屋山などと書かれたという。

 祖谷は四国第2の高峰、標高1955メートルの剣山を源とする祖谷川流域の山村で、平家の落人伝説でよく知られている。

 周囲をぐるりと険しい山々に囲まれた祖谷は、よその世界とは隔絶されたような世界。まさに隠れ里にふさわしい。祖谷からはどこに行くのにも峠を越える。それだけに、祖谷の峠越えはじつにおもしろい。

 

大歩危・小歩危の青石

 祖谷の峠越えの出発点は徳島県西部の池田。

“四国三郎”の異名を持つ四国最大の川、吉野川中流の町だ。交通の要衝で香川、愛媛、高知に通じる道の十字路になっている。

 峠越えの相棒スズキDJEBEL200とともに、JR池田駅前に立つ。

 池田は土讃線と徳島線の分岐駅。駅舎前で記念撮影。出発の儀式を終えると、セルスターターを押す。一発でエンジンがかかり、軽くアクセルをひねって走りだす。

「さー、行くぜ、DJEBELよ!」

 

 池田からは吉野川沿いに国道33号を走る。風景は平地から山地へと大きく変わる。

 吉野川の両側には、切り立った崖がそそりたち、激流が岩をかんで渦を巻き、白いしぶきをあげている。

 名所の大歩危・小歩危に入っていく。小歩危が下流で、大歩危が上流になる。

 大歩危・小歩危はまさに青い世界。“阿波の青石”で知られる緑泥結晶片岩がきわだった目立ち方をしている。

 吉野川の清流の青さと、青石の青さが不思議な魅力をたたえている。

 DJEBELを止めてながめていると、スーッと、激流の中に吸い込まれてしまいそうになるほどなのだ。

 

 吉野川は、全長194キロ。四国の最高峰、石鎚山(1982m)の東、瓶ヶ森山を源にしている。高知県内を東に流れ、徳島県に入ると、北の方向に流れを変える。そして、この大歩危・小歩危の峡谷を流れ、四国山脈を縦断し、山地を抜け出た池田で流れを東に変え、約80キロ流れて徳島で紀伊水道に注いでいる。

 大歩危・小歩危というのは、吉野川が四国の中央分水嶺の四国山脈を断ち割って流れている現場なのだ。

 

祖谷温泉の露天風呂

 大歩危・小歩危の峡谷美を目の底に焼き付け、国道32号で池田方向に戻り、JR土讃線の祖谷口駅まで戻る。

 ここが吉野川と祖谷川の合流点。赤い鉄橋を渡り、吉野川本流と別れ、祖谷川沿いの祖谷街道を行く。

 祖谷街道は幅狭い道。松尾川が合流する地点にある出合の集落を過ぎると“祖谷渓”と呼ばれる大峡谷に入っていく。

 断崖絶壁が連続し、祖谷川の流れをはるか眼下に見下ろす。神峡とか馬蹄渓、小金剛などの絶景ポイントがいくつもあり、その数は60近くにもなるという。

 池田町出合から西祖谷山村一宇までの10キロあまりにわたってつづく祖谷渓だが、その中に祖谷温泉がある。

 

 峡谷を見下ろす断崖上に一軒宿の「ホテル祖谷温泉」が建っている。

 DJEBELを止め、ひと風呂、浴びていく。入浴料は1500円。

 この祖谷温泉には露天風呂がある。祖谷川の谷底にある露天風呂。傾斜角が42度という逆さ落としのようなケーブルカー(ケーブルカーの受付は午後4時で終了)に乗って下っていくのだ。

 祖谷川の川原の露天風呂は、男女別になっている。源泉の湯温は約40度。湧出量は毎分1500リッター。湯量豊富な温泉。祖谷川の渓流を目の前に眺めながら、気分よく湯につかれる露天風呂だ。

 祖谷温泉を過ぎると、池田町から、西祖谷山村に入る。祖谷渓を抜け出、西祖谷山村の中心、一宇に着いたところで、食堂に入り、昼食にする。祖谷は昔からのソバの名産地。ここでは手打ちそばを食べた。

 

落人伝説の祖谷

 西祖谷村の中心、一宇からさらに祖谷川の上流へとDJEBELを走らせる。

 善徳に、有名な祖谷のかずら橋がある。410円を払い、ゆらゆら揺れるかずら橋を渡る。足下に祖谷川の渓流を見下ろす。ちょっぴり恐い。

 山口県岩国市の錦帯橋、山梨県大月市の猿橋とともに“日本三奇橋”に数えられている祖谷のかずら橋だが、この善徳のかずら橋は長さ45メートル、幅1・5メートルで、川面から15メートルの高さのところにかかっている。

 

 この橋は昭和3年に完成したそうで、それ以降、3年ごとに架け替えられてきた。カズラの中の水分が少なく、虫のつきにくい12月から1月にかけて架け替えるのだという。

 祖谷のかずら橋の材料は、海抜600メートル以上の高地に自生しているシロクチカズラ。このカズラは太いものになると、周囲は15センチにもなるとのこと。火にあぶると屈曲自在になり、細工しやすくなるという。

 かつては祖谷のあちこちにあったというかずら橋は、弘法大師がつくったものだとか、屋島の合戦で敗れた平家の一門が、追手を避けるためにすぐに切り落とせるようにしたものだとか、その起源には諸説がある。

 明治末期には全部で8つのかずら橋がかかっていたという。

 

 ところで祖谷にかぎらず日本の山村には、フジやカズラでつくった橋が各地にあった。だが、近代になって鉄製のワイヤーでつくったつり橋が普及すると、あっというまにその姿を消していった。

 それだけに祖谷のかずら橋は貴重なもので国の重要民俗文化財に指定されている。

 

 祖谷川沿いにさらに走り西祖谷山村から東祖谷山村に入る。

 栃ノ瀬で“与作国道”で知られる国道439号にぶつかるが、そこから山の中腹にある阿佐という集落まで行ってみる。阿佐には平家の落人の子孫、阿佐家があるのだ。

 周囲を高く険しい山々に囲まれた祖谷は、平家の落人伝説でよく知られている。

 屋島の合戦で源氏に敗れた平家一門は、四国山中の祖谷山に落ちのびたのだ。

 平敦盛の次男、平国盛んの子孫が阿佐家だとのことで、現当主はなんと26代目になるという。平家の大旗、小旗の赤旗が、子孫代々、大事に保存されている。

 阿佐家のほかにも、久保家や菅生家、奥井家、有瀬家などの平家の落人の子孫がこの地に住んでいる。

 

 祖谷川沿いに池田から祖谷に通じる祖谷街道が開通したのは大正年間のこと。それ以前は小島峠を越えて貞光へ、落合峠、桟敷峠を越えて三加茂へ、水ノ口峠を越えて井川へ、京柱峠を越えて大豊へと、高さ1000メートル級の峠を越えて吉野川流域の町々に通じていた。

 それらはどれも険しい峠道で、越えるのは容易でなかった。

 祖谷はよその世界とは隔絶された、まさに隠れ里のようなところなのである。

 

四国第一の絶景峠

 さー、いよいよ、祖谷の峠越えの開始だ。

 まず、栃ノ瀬から“与作国道”の国道439号で、京柱峠に向かう。

 祖谷川の支流に沿って一気に駆け登っていく。国道439号は国道とはいっても、林道を舗装した程度の道だ。

 グングン高度を上げ、峠に近づくと、急激に気温が下がる。やがてチラチラと雪がふってくる。北西の季節風が身を切るような冷たさ。

 

 標高1150メートルの京柱峠に到着。

 徳島・高知の県境の峠で、四国第一といってもいいほどの絶景峠。京柱峠は、祖谷の南側の出入口になっていた。

 徳島側には剣山へとつづく高峰が連なり、山頂周辺は雪化粧している。ひときは目立つのは標高1812メートルの天狗塚。ドーンとそびえている。

 高知側には見渡すかぎりゆるやかな山並みがつづき、山々の中腹には点々と集落が見える。徳島側とはうってかわって、ポカポカ陽気であたたかな日差しが差し込めていた。

 京柱峠からは、一気に高知側を下っていく。JR土讃線の豊永駅近くで国道32号にぶつかるが、そこを折り返し点にし、もう一度、京柱峠を越えて祖谷の栃ノ瀬に戻った。

 

剣山の峠、見ノ越

 栃ノ瀬では、自販機でホットのカンコーヒーを買う。まずは手をあたため、そのあとで祖谷川にかかる橋の上で飲む。ひと息入れたところで、国道439号で今度は剣山の峠、見ノ越に向かっていく。

 祖谷川沿いの道。上流に向かって走る。

 東祖谷山村の役場前を通り、郵便局のある落合、菅生の集落、そして最奥の集落、名頃と通り、剣山の山頂直下の峠、見ノ越を目指して登っていく。すでに、祖谷川は小さな流れ。やがて雪化粧した剣山が見えてくる。

 

 標高1450メートルの見ノ越に到着。

 ここには食堂や売店があるが、冬期間は休業なのだろう、どこもシャッターを下ろし、人影はない。剣山の山頂近くまで行くリフトも止まっている。見ノ越はまさに冬景色一色で、寒風に吹かれながら、峠の剣山神社に参拝した。

 見ノ越は東祖谷山村と木屋平村の境の峠。峠は短いトンネルで貫かれている。ここで国道438号と合流するが、見ノ越からはその国道438号で貞光に向かっていく。

 丸笹山の西側の名無し峠をこえていく。目の前にそびえる剣山がものすごい迫力で迫ってくる。

 丸笹山の名無し峠を越え一宇村に入ると、北側斜面の峠道はツルンツルンのアイスバーンだ。こういうときは、両足ベタづきできるDJEBELは強い。転倒もしないでアイスバーンの峠道を下っていく。

 一宇村から、さらに吉野川の河畔の貞光まで下り、国道192号との交差点に出た。

 

雪と氷の峠越え

 貞光からは、来た道を引き返し、一宇村から県道で標高1380メートルの小島峠を越える。峠には、新しいお堂ができ、地蔵がまつられていた。

 小島峠は一宇村と東祖谷山村との境の峠。祖谷山側には3キロのダート区間があったが、峠を下ると、R439の菅生に出る。そこから落合まで下り、祖谷山の峠越えのメインイベントといってもいい落合峠を目指すのだ。

 落合峠は祖谷山でも、一番高い峠だ。

 すでに峠は雪で覆われているので越えるのは無理ではないかと、地元の人にもいわれたが、それでもどうしても行ってみたい。行ってだめだったら諦めがつくというもので、そこから引き返してくればいい。

 

「行くゾー!」

 と、腹に力を入れ、気合を入れ、落合から落合峠に向かっていく。

 峠道を登るにつれて、猛烈な寒さ。冬用のグラブなのにもかかわらず、手の指がちぎれそうな寒さなのである。

 四国がこんなにも、寒いなんて‥‥。泣きの連続でDJEBELのハンドルにしがみついている。

 峠に近づくと、路面には青氷が張りついている。そこで見事に転倒。DJEBELを起こそうにも、ツルツル滑って足場がつくれないので、なかなか起こせない。冬の峠道の厳しさをいやというほど味わうのだった。

 やっとの思いでDJEBELを起こし、ふたたび、峠道を登っていく。

 

 標高1519メートルの落合峠に到着。

 だが、峠を吹き抜けていく雪まじりの烈風は、すさまじいものだった。DJEBELごと吹き飛ばされるのではないかと、不安におののいてしまう。

 さらに、その風の冷たいことといったらなく、ズブズブズブズブと錐が体に突き刺さってくるような痛みを感じる。

 峠に立ち止まる余裕もなく、尻尾を巻いて逃げるようにして、落合峠を下っていった。 雪もアイスバーンも消えたときは、心底、ホッとした。この落合峠の下りでは、10キロ区間がダートだった。

 落合峠を越えると、もうひとつ、標高1012メートルの桟敷峠を越え、吉野川流域の三加茂に出た。

 

ナイトランの峠越え

 三加茂から国道192号で池田方向に走り、隣町の井川で国道を離れ、祖谷の最後の峠となる水ノ口峠に向かっていく。すでに日はとっぷりと暮れ、ナイトランの峠越え。大光量ライトのDJEBELなので、すごく助かる。

 水ノ口峠は標高1116メートル。井川町と西祖谷山村の境の峠だ。祖谷の峠越えでは京柱峠にはじまり、この水ノ口峠まで、全部で7つの峠を越えたがすべてが標高1000メートル以上の峠になる。そのことからも祖谷がいかに高い山々に取り囲まれているかがよくわかる。

 腕山(1332m)の北側の水ノ口峠からは、まったく交通量のない夜の峠道を下っていく。

 山中にポツンポツンと明かりの見える小祖谷を通り、祖谷渓入口の出合に出る。そして国道32号の祖谷口に出ると南下した。。

 大歩危・小歩危を通り、徳島県から高知県に入る。

 大豊町の大杉にある「日和佐屋旅館」に泊まる。夜の9時という遅い時間の到着にもかかわらず、宿の女将さんは夕食を用意して待っていてくれていた。それがなんともいえずにうれしかった。