賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「オーストラリア2周」後編:第2回 アデレード→アリススプリングス

※全行程4131キロ(ダート5本2613キロ)

 (『バックオフ』1997年4月号 所収)

 

 さー、シンプソン砂漠の横断に挑戦! 最大の難関だ。

 大陸中央部のアリススプリングスを離れて行くときは、“豪州の熱風カソリ”、思わずスズキDJEBEL250XCに乗りながら、

「ウォー!!」

と、腹の底から思いっきり叫んでやった。

 失敗したら命を落とすかもしれないといった不安を吹き飛ばすためだ。最後の給油地マウントデアでDJEBELの17リッタータンクを満タンにし、さらに23リッターの予備ガソリンを持ち、10リッターの水を持ち、際限なく砂丘が連なる熱風のシンプソン砂漠に入っていった‥‥。

 

ワイン、ガブ飲みのアデレードの大宴会!

 今回の出発点・アデレードでは「ラックサッカーズ」に泊まった。ぼくにとってはオーストラリアで一番忘れられない場所のひとつだ。ここには「オーストラリア2周」前編(ロード編)のときに2度、泊まっている。日本人ライダーの溜まり場的存在のバックパッカーズで、何人もの日本人ライダーに会った。

 ところが今回は1人もいない。日本人ライダーとの出会いをけっこう期待していたのでちょっと、ガッカリ‥‥だ。

 

 日本人ライダーこそいなかったが、「ラックサッカーズ」での夜はよかった。シェア飯(みんなでお金をすこしづつ出し合ってつくる食事)の夕食のあと、ここに長期滞在しているオーストラリア人のイアンが音頭をとり、大宴会がはじまる。みんなで5ドル(450円)から10ドルぐらいを出し合っての、ワインの飲み会だ。

 メンバーはイアンを含めてオーストラリア人の男が4人、イギリス人のカップルが2組、スイス人の女の子の2人組み、スイス人の男の2人組み、それとぼくの全部で13人だ。

 

 13人全員がよく飲む。ガブ飲みという感じで飲むので、4リッター入りのパックが次々にあいていく。

 おもしろかったのはスイス人。女の子たちはドイツ語圏のスイス人で、男たちはフランス語圏のスイス人。女の子たちは英語を話せるが、男たちはほとんど話せない。そのため、同じスイス人なのにまったく話しが通じ合わないのだ。オーストラリアという国にいながら、スイスという国が、手にとるようによくわかった。

 大宴会は夜中までつづいた。ワインのパックを全部で5個、20リッターを飲みつくした。すごい量だ!

 

 翌朝、ふらつく頭で出発。「ラックサッカーズ」のマーガレットおばさんが見送ってくれたが、途中で食べなさいと、リンゴ、オレンジ、バナナ、ペアー(洋ナシ)を持たせてくれた。このようにマーガレットはやさしくて、めんどうみがいいのだ。

 

ダート630キロ、マリーからマーラへ

 前回のマリーからアデレードまでのコースを逆に、今度はアデレードからマリーへと走る。ポートオーガスタまでの300キロ間では、次々とまっ黒な雨雲が襲いかかってくる。その中に入ると、まるで嵐。強風をともなった雨がザーッと降ってくる。

 ポートオーガスタのシェルのロードハウスで、ブ厚いラムステーキの昼食を食べ、北へ、北へとDJEBELを走らせていく。すると、黒雲はフーッと吹き払ったかのように消え去り、快晴の青空が広がっていた。

 

 アデレードから600キロ走り、夕方、リンドハーストに着く。ここで舗装が途切れ、第4本目のダート、リンドハースト・マリーロードに入っていく。左手の地平線に夕日が沈むのとほぼ同時に、右手の地平線には満月が昇る。透き通るような透明感あふれる夕暮れの空。その空の下をDJEBEL250XCで走っていくと、たまらないほどの幸福感がジワーッと体の中に湧き上がってくるのだった。

 ナイトラン。78キロのダートを走り、19時30分、マリーに到着。「マリー・ホテル」に泊まる。シャワーを浴びたあと、パブで冷たいビールをキューッと飲み、レストランで夕食にする。タイ風のフィッシュカレーだ。あまりの辛さにヒーヒーいって食べたが、なかなかの味だ。

 

 レストランの壁には、オールド・ガン(アデレードとアリススプリングスを結ぶマリー経由の鉄道。今は廃線になっている)が完成した頃の、19世紀後半の写真が何枚も貼られてあった。白人の入植者やラクダ、ラクダ使いのアフガン人の写真がいい。

 それらセピア色の写真を見ていると、オーストラリア内陸部の開拓最前線基地だったマリーの歴史が偲ばれ、胸に迫ってくるものがあった。

 

 翌日は第5本目の、ダート630キロのウーダナダッタトラックに挑戦だ。200キロ先のウィリアムクリークまでは何もない。宿泊費と食事代を払って出発しようとすると、ホテルのマダムにいわれた。

「ウィリアムクリークには、何時ごろ着く予定なの?」

「お昼ぐらいですかね」

「着いたら、すぐに電話しなさいね。もしあなたからの電話がなかったら、何か、トラブルが起きたのに違いないと思って、人をやりますよ」

 マダムがぼくのことを心配してくれたのには訳がある。前夜のタイ風フィッシュカレーなのだ。激辛で、おまけにビーフやラムの肉ではなく魚だったので、ほかのオーストラリア人客にはえらく不評だった。その中で、ぼくだけが、おいしい、おいしいといって食べたので、マダムはことのほか喜んでくれたのだ。

 

 8時、「マリーホテル」を出発。オールド・ガンの旧マリー駅舎、うち捨てられたようなジーゼルカー、砂漠の中に消えていく廃線跡を見る。

 ウーダナダッタトラックは400キロ先のウーダナダッタまで、オールド・ガンの廃線跡に沿っている。

 DJEBEL250XCのアクセルを開き、荒野の中に延びる一筋のダートを突っ走る。80から90キロぐらいのスピードをキープできるほどの路面の状態。200キロ先のウィリアムクリークまでの間は、無人の荒野がはてしなくつづく。

 その間では、真っ白な塩原が広がるエーア湖を見る。海面下12メートルというオーストラリアの最低地点。モワーッとした蒸せかえる暑さだ。エーア湖は塩湖で、オーストラリア最大の湖になっているが、湖畔に立っても湖水はまったく見えなかった。

 

 マリーとウィリアムクリークの間では、もう1か所、砂漠の中に湧き出ている温泉の“バブラー”を見る。その名の通り、池の底の泥の中からブクブク泡をたてて湯が湧き出ている。自然を保護するという理由で入浴が禁止されている。“温泉のカソリ”としては、きわめて残念‥‥。ぬるめの湯を手ですくい、顔を洗い、チョッピリ温泉気分を味わった。

 12時、ウィリアムクリークに着く。すぐさま「マリーホテル」に電話すると、マダムは、

「無事だったのね」

 といって喜んでくれた。

 

「ウィリアムクリークホテル」のパブでまずは冷たいビールを飲み、そのあとで、昼食のハンバーガーを食べる。ウワーッとハエが群がってくる。パブの壁には、旅行者の貼ったステッカーや名刺が無数、ある。

 その内の1枚、デンマーク人女性の名刺に書かれた一言がおもしろい。

「私はこんなにハエの多いところは、ほかに知らない!」

 オーストラリアのアウトバックというのは、どこに行ってもそうなのだが、おびただしい数のハエの群と戦わなくてはならない世界なのだ。

 

 ウィリアムクリークから、さらに200キロのダートを走ったウーダナダッタを過ぎると、日が暮れる。カンガルーとウサギがひんぱんに飛び出してくる。

 19時、630キロのダートを走りきり、スチュワートハイウエーのマーラに着く。舗装路がありがたい。ロードハウスで夕食を食べ、さらにスチュワートハイウエーを200キロ走り、ノーザンテリトリーに入る。22時、クルゲラ着。1晩泊まり、翌日、アリススプリングスへと走った。

 

ヤッタゼー! シンプソン砂漠横断!!

 オーストラリア内陸部の中心都市アリススプリングスで、シンプソン砂漠横断の準備を整える。

 まずはDJEBEL250XCのタイヤとチェーン、スプロケットを交換し、次に、スーパーマーケットのウールワースで食料を買い込む。24枚入りの食パン2本、12枚入りのスライスチーズ2個、ペーストのベジマイト、生食用のニンジンとタマネギ、それとオレンジ6個だ。

 さー、シンプソン砂漠横断の開始だ。

 アリススプリングスからスチュワートハイウエーを南に275キロのクルゲラまで戻り、そこから東へ、フィンケに通じるダートに入っていく。アボリジニのコミュニティーのあるフィンケまでは150キロ。その間は交通量は少ないが、道幅の広い、走りやすいダートだ。

 

 フィンケから最終の給油ポイントのマウントデアへ。その間は110キロ。道幅は狭くなり、ところどころ、かなり砂の深いダートになる。フィンケから64キロ地点の涸れ川を渡ると、いっぺんに緑は薄れ、砂漠の風景に変わっていく。フィンケから100キロ地点でノーザンテリトリーとサウスオーストラリアのボーダーを越える。360度の地平線。そんな中にあるマウントデアのホームステッド(牧場主の家)に着く。

 ここでガソリンを用意する。DJEBEL250XCの17リッタータンクを満タンにし、10リッター、3リッター、2リッターの3個のポリタンと4リッターの容器2個、全部で40リッターのガソリンを持った。

 

 マウントデアのホームステッドでは宿泊もできる。夕食と朝食がついて62ドル(約5500円)。日本の民宿並の料金。夕食のスパゲティーに、ワインを1本つけてくれた。

「はたして、うまく、シンプソン砂漠を横断できるだろうか‥‥」

 と、不安な気持ちに襲われ、その夜は寝苦しい。おまけに、夜中過ぎには雷鳴がとどろき渡り、強風が吹き荒れ、たたきつけるような雨が降ってくる。クソーッ。これじゃ、道がズタズタだ‥‥と、泣けてくる。雨は夜明け近くまで降りつづいた。

 

 翌朝6リッターのキャンバス地の水入れにいっぱい水を入れ、0・5リッターのミネラルウォーターを8本買い、全部で10リッターの水を持って出発。シンプソン砂漠入口のダルフーシーへ。40リッターのガソリンと10リッターの水が重いよ‥‥。

 恐れた通り、ダートは雨でヌルヌルズタズタ。あちこちに大きな水溜まりができている。ダルフシーまでの70キロに3時間近くかかったが、DJEBELは泥まみれだ。

 ダルフーシーにはオーストラリア最大の温泉がある。大きな池全体が天然の露天風呂。水着に着替え、湯につかり、昼食のパンを食べ終えると、いよいよ、シンプソン砂漠に入っていく。命を天にあずけるような気分だ。うまくいきますように!

 

 ダルフーシー・ホットスプリングからシンプソン砂漠横断のメインルート、リグロードを100キロ走るとフレンチラインとの分岐点に着く。

 このシンプソン砂漠横断のフレンチラインこそ、オーストラリアのダートの中でも最難関ルート。

「行くゾー!」

 と、気合一発、フレンチラインに入り、四駆の轍を追っていく。

 目の前には、立ちふさがるような赤い砂丘。勢いをつけて登り、徐々にギアをシフトダウンさせていく。セコンドで登りきれないときは、ローギアまで落とし、両足で思いっきり砂を蹴って砂丘を越える。

 そんな砂丘越えが際限なくつづく。熱風に吹かれ、のどが焼きつく。体力の消耗が激しい。DJEBELを止めると、水をガブ飲みし、しばらくは砂の上にひっくりかえる。おまけに、夕方になると、猛烈な西風。ゴーゴーと吹き荒れ、砂嵐の様相だ。

 

 わずか40キロに3時間以上もかかり、コルソントラックとの十字路に出た。すでに水を6リッターも飲んでしまい「もう、ダメだ」と、フレンチラインをいったん断念。コルソントラックを南下し、リグロードに出た。リグは走りやすい。1晩、野宿。翌日、リグを140キロ走り、クノルストラックとの分岐点に出た。

 フカフカの砂道がつづくクノルストラックを北に走り、再度、フレンチライン挑戦。あいかわらず、際限なく砂丘がつづくが、ガソリン、水が減った分だけ走りやすい。ついにサウスオーストラリア、クイーンズランド、ノーザンテリトリーの3州境のポッペルコーナーに到着。助かった!と、思わず叫ぶ。もう大丈夫。

 

 K1経由でQAAラインを東へ、東へと走り、バーズビルの町を目指す。最後の難関がビッグレッドだ。その名の通りの赤い大砂丘。砂丘下の平地でDJEBELのエンジンを全開にし、大砂丘を駆け登っていく。やったゾー、越えたゾー!

 マウントデアから616キロ、シンプソン砂漠を横断し、夜8時、バーズビルに到着した。その間では約1100本もの砂丘列を越えた。水はギリギリだったが、ガソリンは15リッター余らせた。燃費はあの砂道で・24・5キロと驚異的な数字だ。

 バーズビルからは、エーア&ディアマンティナ・ディベロップメンタルロード、ドノフエ&プレンティーハイウエーと2本のロングダートを走り、アリススプリングスに戻った。