賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの峠越え(4) 九州編(その4):阿蘇の峠 (Crossing Ridges in Japan: Kyushu Region)

 (『月刊オートバイ』1996年9月号 所収)

 

 阿蘇は世界一の火山だ!

 外輪山に囲まれた東西18キロ、南北24キロにもおよぶ大カルデラの中には、いくつもの町や村がある。広々とした水田もある。鉄道も走っている。

 

 その中央には、高岳、中岳、搗島岳、烏帽子岳、根子岳の“阿蘇五岳”と呼ばれる中央火口丘がそびえている。そのうちの中岳からは白い噴煙が上がっている。

 

 俵山峠を第1番目の峠として、この阿蘇をとりまく外輪山の峠をひとつづつ、越えた。地蔵峠のように、歩いて登った峠もある。

 

心にしみるうどん屋

「筑肥山地」の峠越えを終え熊本に着くと、菊南温泉の「菊南温泉観光ホテル」に泊まった。翌朝は、阿蘇外輪山の峠を徹底的に越えたかったので、5時に起き、朝風呂だけ入って、朝食なしで5時半には温泉ホテルを出発した。

 

 まずは国道3号で熊本市内へ。その途中に、24時間営業のうどん屋があり、そこで朝食にした。

 客はぼく1人。これから阿蘇に行くというと、店の主人は、ここがいい、あそこがいいと、阿蘇についての情報をいろいろと教えてくれた。

 

 店には主人のほかに、もう1人、女性がいた。奥さんだという。夫婦で仕事をしているのだ。

 2人とも阿蘇が好きで、休日というと、車でよく阿蘇に行くという。阿蘇がきっかけになって、うどんを食べながら、店に主人の話を聞いた。

 

 店の主人は東京の人で、やとわれ店長として熊本にやってきた。奥さんも東京の人。ぼくは「神奈川から来たんですよ」というと、なつかしそうに東京の話をする。

 

「住めば都でね、熊本も、いいところですよ。でも、やっぱり、東京に帰りたいなあ‥って、そう思うことがありますね」

 

 うどん屋の夫婦は、すごく仲がいい。うどんを食べ終え、外に出ても、体も心も温泉に入ったようにホカホカとあたたかかった。心にしみるうどん屋だった。

 

絶景の俵山峠

 前回の「筑肥山地編」のゴールは、JR熊本駅だったが、今回の「阿蘇篇」の出発点も、JR熊本駅。駅前にスズキDJEBEL200を止め、「さー、行くゼ!」と、ひと声かけて走り出すのだ。

 

 前夜見た熊本城に、もう一度、立ち寄り、そこから市電通りをまっすぐ行く。水前寺公園の前を通り、市電の終点の健軍を通り、阿蘇に向かっていく。この道が阿蘇外輪山の峠、俵山峠を越える県道28号熊本高森線だ。

 

 益城町を通り、西原村に入ると、前方に連なる阿蘇外輪山の山々が、グッと大きくなる。やがて、山中に入り、俵山峠に向かって登っていく。

 

 西原村と久木野村境の俵山峠に到着。展望台に立つ。絶景だ。

 目の前には阿蘇中央火口丘の山々が迫り、足下にはこれから下っていく峠道がクネクネと折り曲がってつづいているのが見える。後ろには阿蘇外輪山の俵山。米俵のように見えるので、その名前があるということだが、標高1095メートルの鐘状火山だ。

 

 俵山峠を越える。タイトなコーナーが連続する峠道を下り、カルデラ内の“火の国・阿蘇”の世界に入っていく。

 

歩いて登った地蔵峠

 同じ阿蘇の外輪山でも、北阿蘇と南阿蘇では違う。県道28号熊本高森線の南側に連なる南阿蘇の外輪山は、キューッと弧を描いてそそり立ち、それを越える峠も、峠らしい峠。それを証明するかのように、南阿蘇の外輪山には、峠名のついた峠がいくつもある。

 

 それにひきかえ、北阿蘇の外輪山は風化が進み、全体がなだらか。そのため、そこを越える峠はどこが峠なのかわからないほどで、峠名のついた峠はほとんどない。

 

 北阿蘇と南阿蘇にはそのような違いがある。“峠のカソリ”にとっては当然のことだが、南阿蘇の方がはるかにおもしろい。

 

 県道28号を右に折れ、俵山峠にひきつづいての第2番目の峠、地蔵峠に向かっていく。だが、この地蔵峠は途中で道が途切れてしまう。舗装路からダートに入り、行き止まり地点にDJEBELを止め、その先は山道を歩いて登っていく。けっこう急な登りで、ハーハー肩で息してしまう。

 

 やっとの思いで地蔵峠にたどり着く。阿蘇外輪山の久木野村と矢部町境の峠。風が強い。地蔵峠の名前どおりに、峠には地蔵がまつられていた。この「地蔵峠」だが、日本中にある峠名の中でも、おそらく上位にくる峠名であろう。

 

 来た道を引き返し、DJEBELに乗って下る。

 阿蘇温泉めぐりの開始。第1湯目は村営の久木野温泉、第2湯目は四季ノ森温泉と、久木野村内の2湯の温泉に連続して入った。

 

高森から越える3峠

 国道325号の南側、阿蘇外輪山の裾野を通る県道28号熊本高森線で、高森まで行く。高森は阿蘇カルデラの一番奥にある町。JR豊肥本線の立野を始発駅にする南阿蘇鉄道の終点にもなっている。ここで、国道265号と国道325号が合流し、阿蘇外輪山の高森峠を越えていく。

 

 高森峠の前に、中坂峠を越える。高森の町の真南にある阿蘇外輪山の峠だ。道幅の狭い峠道を登っていくと、桜並木になる。その間からは、高森の町並みを見下ろした。

 

 高森町と蘇陽町境の中坂峠に到着。そこで「南外輪山自然歩道」と交差する。峠に立っている案内板によると、自然歩道は高森峠から中坂峠、清水峠、天神峠、駒返峠、地蔵峠と経由し、俵山峠までつづいている。南阿蘇の外輪山上の自然歩道なのだ。

 

「そうか、こういう道も、あったのか‥‥」

 DJEBELを峠に置いて、無性に歩いてみたくなった。そんな気持ちをグッと抑え、「また、次の機会だな」と、自分で自分にいいきかせ、中坂峠から国道265号の蘇陽へと下った。

 

 来た道を戻り、中坂峠への道と分かれ、清水峠を登っていく。清水峠は中坂峠よりも西側で、久木野村と清和村境の峠になる。峠を下ったところに古刹の清水寺があるが、峠名は寺名からきているようだ。清水寺では、犬にさんざん吠えられた。

 

 高森に戻ると、今度は、高森峠を越える。

 峠のトンネルの入口に東屋風の休憩所。峠のトンネルを抜け出たところで、国道325号は左に折れ、宮崎県の高千穂に通じる。国道265号は直進で、阿蘇外輪山の外側の斜面を下っていく。さきほどの、中坂峠を下ったときに出た地点で引き返し、高森に戻った。 

 峠を越えたあとは、温泉だ。国道325号で隣りの白水村に入り、まずは、膨大な量の水が湧き出る白川水源を見る。自然のすごさを思い知らされる白川水源だ。

 

 そのあとで、白水温泉に行く。大規模な温泉施設で、大浴場と露天風呂の湯を楽しんだ。

 

箱石峠で食べた団子汁

 前回の「筑肥山地編」は山鹿の町がキーポイントだったが、今回の「阿蘇編」では、高森の町がキーポイントになる。白水温泉から高森に戻ると、国道265号を北に行く。“阿蘇五岳”のうちの、ギザギザした山容の根子岳が目の前だ。

 

 高森温泉の湯に入り、阿蘇外輪山の大戸ノ口峠を登る。このあたりは北阿蘇、南阿蘇に対して、東阿蘇といったところだ。

 

 標高880メートルの戸ノ口峠に到着。高森町と波野村境の峠。高森町が阿蘇外輪山の内側、波野村が外側になる。国道265号はここからはスカイラインになって東阿蘇の外輪山上を箱石峠まで走る。

 

 箱石峠も、戸ノ口峠と同じ高さで、標高880メートル。一ノ宮町と波野村境の峠になる。ここには「波野路」という峠の茶屋があった。

 

“峠の茶屋”には必ず立ち寄るというのが“カソリの峠越えの法則”。ここで昼食にする。熊本名物の団子汁を食べる。箱石峠の団子汁は昔風というか、味噌味の汁の中に、カボチャやニンジンなどとともに、こねた粉をそのままちぎって入れたようなスイトン風麺が入っていた。

「ウーン、いいネー!」

 カソリ、大満足。

 

 甲州のホウトウもそうだが、最近のものはいかにも麺といった感じの麺になっている。もともとのホウトウにしても、団子汁にしても、こねた小麦粉を汁の中にちぎっては入れ、ちぎっては入れていた。箱石峠の団子汁は、より原型に近いものだった。

 

 箱石峠からは、カルデラ内に下っていく。走りながら眺める阿蘇の風景がいい!

 

北阿蘇の名無し峠越え

 箱石峠を下っていくと、国道57号に出る。それを熊本方向に走り、JR豊肥本線の宮地駅前で右折し、北阿蘇の外輪山に向かっていく。

 

 その前に、阿蘇神社に立ち寄る。肥後の一ノ宮で、その歴史は神代の代までさかのぼる。門前の「神乃泉」を飲む。うまい水だ。豪壮なつくりの楼門をくぐって境内に入り、拝殿の前で参拝した。このようにぼくは、日本各地の旧国の一ノ宮近くを通るときは、必ず、参拝するようにしている。

 

 さて、北阿蘇外輪山の峠だ。DJEBELのアクセルを開き、一気に、前方に立ちふさがる山並みに向かって突っ走る。外輪山内側の壁を登り、城山展望台に立つ。ここからの阿蘇の眺めはいい。俵山峠からの展望とはまた違って、広々とした阿蘇を一望する。

 

 城山展望台を過ぎたあたりが、北阿蘇外輪山の峠なのだが、アップダウンがつづき、どこが峠なのか、よくわからない。南阿蘇の外輪山よりも、はるかに地形が風化しているからだ。

 

 どこが峠なのかわからないまま下り、左に折れ、今度はミルクロードを行く。この道は、外輪山の稜線に沿って走っている。大観峰の展望台に立ったあと、国道212号と交差する地点に出る。ここも、北阿蘇外輪山の峠だが、峠名はついていない。

 

 北阿蘇の名無し峠から、国道212号でカルデラ内に下っていく。峠下の阿蘇最大の温泉地、内牧温泉では、共同浴場「田町温泉」の湯に入った。内牧温泉はすごいのだが、「田町温泉」を含め、全部で11もの温泉公衆浴場がある。今度、阿蘇に来るときは、それら11湯の全湯制覇をしてやろうと思うのだった。

 

さらば、阿蘇よ!

 阿蘇内牧温泉から国道57号に出、熊本方向に走り、赤水で国道を右折。二重峠に向かっていく。この二重峠は西阿蘇外輪山の峠ということになる。峠下の赤水温泉「外輪山荘」の湯に入り、峠道を登るにつれて、眺望がどんどんと開けてくる。

 

 標高683メートルの二重峠は阿蘇町と大津町の境の峠で、“清正公道”と呼ばれている。戦国の武将、加藤清正への思いの強い肥後人は、清正とは呼び捨てにはしない。で、“清正公”と尊称の“公”をつけて呼ぶ。そのあたりも、甲州の武田信玄と似ている。甲州人はいまでも“信玄公”と、“公”をつけて呼んでいる。

 

 話は横道にそれたが、二重峠の“清正公”の道は、熊本から江戸への参勤交代路だった。 熊本から江戸への参勤交代路は2本あった。1本は熊本から北へ、前回でもふれた国道3号の小栗峠を越えて北九州の小倉に出るルートで、もう1本は、熊本から東へ、この二重峠を越え、阿蘇を越え、豊後路で鶴崎(大分市)に出るルート。この2本のルートのうち、東ルートがより重要だったので、二重峠に清正公道といった名前がついている。

 

 二重峠を越え、大津に下る。そこから国道57号で阿蘇に戻った。

 阿蘇への入口の立野では、JR豊肥本線の立野駅に寄り、駅舎内の売店兼軽食堂で熱いコーヒーを飲んだ。

 ここは阿蘇外輪山の唯一の割れ目で、北阿蘇の黒川と南阿蘇の白川が合流し、白川となって熊本平野に流れ下っていく。もし、この立野で阿蘇外輪山が割れなかったら、阿蘇は満々と水をたたえた日本最大のカルデラ湖になっていた。

 

 国道57号を右折し、国道325号に入り、峡谷にかかる橋を渡る。左手には“日本の滝100選”にも選ばれている数鹿流ヶ滝が見える。栃木温泉に寄り、R325を左折し、阿蘇中央火口丘中腹の垂玉温泉へと登っていく。今晩の宿は、南阿蘇温泉の国民宿舎「南阿蘇」。湯量の豊富な湯船につかり、食堂での夕食を食べ終わると、すぐ近くの地獄温泉の湯に入りにいくのだった。

 

 翌日は、阿蘇登山道路で阿蘇山上へ。噴煙を上げる中岳を間近に眺め、阿蘇山上神社と西厳殿寺に参拝。そして阿蘇を下る。途中で湯ノ谷温泉の露天風呂に寄り、国道57号に出た。

 

 再度、立野駅まで行く。別れがたい阿蘇‥‥。「よし、行くゾ!」と、気合を入れ、国道57号で大分県の竹田へ。

 阿蘇外輪山の最後の峠、滝室坂を越えると、もう、阿蘇はどこにも見えない。阿蘇との別れに、後ろ髪を引かれるような思いがした。