賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリが選ぶ「ニッポン郷土料理」(9)中部編(その2)

147、ほうとう(山梨)

ほうとうといえば甲州ではなくてはならない家庭料理。とくに山村では毎夕といっていいくらいに食べている。それだから飯を“ご飯”というように、ほうとうと呼び捨てにしないで“おほうとう”と“お”をつけるのが一般的だ。ほうとうは小麦粉をこねて塊をつくり、それをのし板の上にのせ、のし棒でのし、ちょっと塩をふって幅広に切り、ゆであげずに、生のまま具だくさんの味噌仕立ての汁に入れる麺。いわばうどんの原型だ。うどんは「饂飩」と書くが、中国から日本に伝わったのは奈良時代から平安初期だといわれている。「饂飩」の北京語発音が“フォントン”で“ほうとう”はそれに由来するという説もある。国道20号や国道52号沿いにはほうとうのうまい店が何軒もある。

148、酒まんじゅう(山梨)

甲州街道の宿場町、上野原には酒まんじゅう専門の店もあるが、家庭でつくる酒まんじゅうの味はまた格別だ。酒まんじゅうは大麦の麹からつくる甘酒で小麦粉をこね、夏だと数時間、春や秋だと一晩寝かせて発酵させ、それを丸め、中にあんを入れ、蒸籠で蒸したものである。このように手間をかけてつくるものなので、昔は盆などのハレの日にしか食べられなかった。茶をすすりながら食べる酒まんじゅうは甲州の郡内地方(笹子峠以東)の山村を実感させてくれる。まんじゅうのほのかな発酵の香りと、抑えた甘さのあんの取り合わせが絶妙なのだ。

149、煮貝(山梨)

国道20号を東京方面から甲府方向に走ると、大月の市街地を抜け、国道139号との分岐を過ぎた右手に「竹馬」という郷土料理店があるが、ここでは甲州名物の煮貝が食べられる。煮貝というのは醤油味がほどよくしみ込んだアワビのこと。鍋に醤油、味醂、砂糖を入れ、アワビを煮、そのまま煮汁に漬けたものである。山国の甲州でアワビが名物というのが何ともおもしろいところ。江戸時代末期、沼津の魚問屋の主人が伊豆七島産の生アワビを極上醤油で加工し、樽詰めにして馬の背にのせ、甲州に送ったのが始まりだという。峠を越えて甲州に着くころには、最上の食べごろになっていたのだ。

150、甲州ワイン(山梨)

勝沼の観光施設「ぶどうの丘」から見渡す山の斜面はすべてがブドウ畑。このブドウ畑一色の風景は圧巻だ。勝沼は「日本一のブドウの産地」であるのと同時に、日本のワイン発祥の地であり、「日本一のワインの産地」になっている。「ぶどうの丘」の建物の地階には勝沼産ワインの300銘、3万本が眠っているが、ここではタートヴァン(きき酒杯)で甲州ワインを存分に試飲できる(有料)。2階のレストランではワインつきの食事もできる。ワイン好きの人には、たまらない甲州路の旅のポイントだ。

151、馬刺し(長野)

伊那谷の中心、伊那の精肉店をのぞいてみると、馬肉が幅をきかせている。店先をのぞいたかぎりでは、伊那では①馬肉②豚肉③鶏肉④牛肉といった順の肉の重要度のように見受けられた。伊那といえば、なんたって馬刺しだ。馬肉料理店で馬刺しを食べたが、本場の味はもう最高。うす切りにした最上のロース肉を生のまま、ショウガ醤油につけて食べる。クセがなく、さわやかな、さっぱりとした味わいで、いくらでも口に入ってしまう。故郷を離れた伊那人の、一番に恋しがる味が馬刺しだというのがよくわかる。ところで伊那谷では、昔はどの家でも農耕馬を飼い、現役を退いた農耕馬をつぶして食用にしていた。そのような馬肉を食べるという食の伝統が今でもしっかりとこの地には残っている。

152、桜鍋(長野)

赤味を帯びた馬肉は肉の色から桜肉ともいわれるが、桜鍋とは馬肉を入れた鍋で、馬肉のすき焼きのことである。それにしても、桜鍋とは何ともきれいな呼び名ではないか。鉄鍋に醤油と味醂、酒を少々入れて下地をつくり、それに信州味噌をきかせて煮たて、その中に馬肉とネギ、ハクサイ、シュンギク、しらたき、豆腐を入れる。桜鍋にはもも肉を使うが、馬肉と下地の信州味噌の味がことのほかよく合っている。底冷えのする伊那谷の冬にはもってこいの料理で、腹の底からあたたまる。

153、伊那桜(長野)

伊那桜とは馬肉のステーキのこと。さすがに馬肉料理の本場、伊那だけあって、馬肉料理店のメニューには、馬肉のステーキがあるのだ。馬肉の味はどちらかというと淡白なので、ステーキにするとちょっともの足りない。しかし体には滅法いいのだ。馬肉の特徴は低カロリー、低脂質、高蛋白、高グリコーゲン。それだからカロリー過多、コルステロール過多の現代人には最適の肉といえる。ビーフステーキばかりを食べているとブクブク肥ってしまうが、馬肉のステーキならばそんな心配はいらないとのことだ。

154、おたぐり(長野)

馬の臓もつをブツ切りにし、長時間、煮込んだもの。まず4~5時間水煮し、そのあとで信州味噌で煮込む。長時間煮込むので、くさみは消え、やわらかくなる。馬の小腸、大腸はとびきり長いものだが、それをたぐり寄せ、たぐり寄せしたところから、「おたぐり」と呼ばれるようになったという。このおたぐりは、料理の材料にするまでが大変だ。取り出した小腸、大腸を水をふんだんに使ってたんねんに洗い、表面を包丁でこそいで脂分を取り除く。さらにそれを細かく切って2~3時間、流れ水に打たせるのである。

155、蜂の子(長野)

信州人、特に南信地方の信州人は蜂の子が大好きだ。蜂といっても食用にする種類は決まっている。ジバチとかスガリ、スガレと呼んでいるクロスズメバチで、ジバチの名前どおり、地中に巣をつくる蜂である。蜂の子はフライパンで乾煎りしてから塩をふったり、甘露煮にしたり、炊きたてのご飯に混ぜて蜂の子飯にする。蜂の子飯といえば、昔からの客人をもてなす御馳走だ。酒の肴にも好まれる。ほんとうに蜂の子の好きな人は生を食べる。それが一番うまい食べ方。プチュッとつぶれて口の中に広がるほのかな甘さが、う~ん、たまらん!

156、イナゴ(長野)

イナゴの佃煮は信州ではスーパーなどでふつうに売られているが、それほどによく食べられる。味にクセがなく、またカルシウム分などの栄養価もたっぷり。イナゴとりは秋にする。稲穂の垂れた田で、稲を十分に食べたイナゴを各人がさまざまな工夫をこらしてとっている。バイクを使う方法もある。バイクのマフラーをはずし、バリバリッと排気音を響かせ、バイクの後ろにパラシュート風の網をくくりつけ、それを引っ張りまわして田の畦を走りまわる。爆音に驚いて飛び上がったイナゴが網の中に入る仕掛けになっている。

157、蚕のさなぎ(長野)

信州では、かつては山間部を中心にして養蚕が盛んにおこなわれていた。蚕のまゆを原料とする製糸も盛んにおこなわれ、まゆ玉を大釜で煮たてて生糸をとったあとに残る蚕のさなぎを食用にしていた。信州では“さなぎ”といえば、蚕のさなぎを指すほど。蚕のさなぎを食用にする伝統は今でもしっかりと残り、その佃煮はパック詰めにされて売られている。栄養価満点で、たんぱく質、脂肪、ビタミンB2などがとくに多く含まれ、なんとさなぎ3匹で卵1個分もの栄養だという。

158、ザザ虫(長野)

天竜川の水がぐっと冷たくなる12月になると、ザザ虫とりがはじまる。ザザ虫というのは、トビゲラ類の幼虫を総称するこの地方の言葉。ザザ虫は川石の底にくっついているので、そのような川石をけとばしながら、下流側に籠や網を置いてとる。ザザ虫は体長が数ミリと小さいだけに、とってからの、細かい砂利やゴミとの選別が大変だ。寒風が吹きすさぶ冬の間中、ザザ虫とりはおこなわれる。佃煮にして食べるが、天竜川のザザ虫は激減しているので、今では蜂の子よりも高価なものになっている。

159、アカウオの甘露煮(長野)

諏訪湖を水源とし、伊那谷を流れる天竜川は川魚の宝庫。アカウオとはこの地方の呼び名でウグイのことだ。腹に赤い縦線があるのでアカウオと呼ばれている。アユ漁が解禁になるまでの天竜川での釣りといえば、このアカウオが中心になる。アカウオは骨っぽいので、ふつうは甘露煮にする。醤油と砂糖で下地をつくり、下地を煮立てたところで、その中にアカウオを入れ、タレが若干残る程度まで煮つめる。あったかなご飯のおかずに、アカウオの甘露煮をまるかじりすると、伊那谷を味わえるというものだ。

160、モロコの甘露煮(長野)

モロコも天竜川に生息する川魚。体長10センチほどで、アカウオの半分くらいだ。このモロコも甘露煮にする。信州・伊那谷の人たちは、川魚の甘露煮が大好き。フナやヨナ(体長4、5センチの小魚)、カジカなどを甘露煮にして食べている。さらに沢ガニや川エビも甘露煮にする。伊那の川魚専門店で客を見ていると、都会に出ていった息子や嫁いでいった娘に送るのだといって川魚類の甘露煮の詰合せを注文する人が多かった。

161、ワカサギ(長野)

大正初期に霞ヶ浦からワカサギが移入されてからというもの、諏訪湖は日本一のワカサギの水揚げ高を誇っている。秋にワカサギが解禁されると、諏訪湖沿岸の船溜まりからは、たくさんのワカサギ釣りの船が出てにぎわう。また、冬になり湖に厚い氷が張ると、氷に穴をあけてワカサギを釣る穴釣りが盛んになる。ワカサギは利久煮と呼ばれる佃煮にしたり、唐揚げにしたり、酢に漬けた南蛮漬けやサラダオイルに酢を混ぜて漬けたオイル漬けなどにする。

162、鯉料理(長野)

山国の信州では鯉料理といえば何よりものご馳走だが、その本場といえば佐久地方だ。かつては田植えの終わったあとの水田に鯉の養魚を放ち、秋の彼岸までそこで育て、そのあとは家まわりの池で飼って大きくした。鯉料理のフルコースといえば、鯉のあらいに鯉のうま煮、それと鯉こくだ。刺し身風にした鯉のあらいは酢味噌につけて食べる。鯉のうま煮は醤油と砂糖を下地に煮詰めたもの。鯉こくは鯉のとろっとした味がしみ出た味噌汁だ。臼田の旅館「清集館」に泊まり、鯉のフルコースを食べたことがあった。そのときの女将さんの言葉は忘れられない。「今度は彼女と一緒に来なさい。コイ(鯉)を食べればね、ほんとうのコイ(恋)が芽生えるものなのよ」。そうか!

163、信州そば(長野)

関東方面からだと国道18号もしくは国道20号で、名古屋方面からだと国道19号などで信州に入ってすぐにわかることは、そばのうまさだ。「信州そば」というのは、当たり外れなくうまい。街道沿いの名もない食堂のそばでさえ十分にうまい。信州そばの名産地というと、すぐに戸隠高原や開田高原が頭に浮かぶが、先日、それ以上のそばの里に出会った。それは松本の西にある「唐沢」。ここには民家風のそば屋が10軒近くある。“唐沢のそば”といえば、そば通の間では有名で、県外からの客も多かった。ここではつなぎなしの、ソバ粉のみの“十割りそば”を賞味できる。地粉の質よさと麺を打つ技術の高さが舌で味わえるのだ。

164、野沢菜(長野)

今や信州どころか、全国区の漬物になった感のある野沢菜だが、発祥の地はその名の通り北信の野沢温泉である。江戸時代の中期、野沢温泉の健命寺の住職が上方に行った折りに天王寺カブの種を持ちかえった。それを寺の畑に蒔くと、根は大きくならずに、葉丈だけが1mくらいも伸びる菜になった。冷涼な気候と野沢の土壌がそうさせたのだろう。それ以降というもの、絶好の漬菜として使われるようになった。一番うまいのは家庭で漬けた野沢菜だ。信州人は茶を飲みながら野沢菜を食べはじめると、もう止まらない。不思議なことに、その同じ野沢菜の漬物を東京に持ちかえって食べてみると、味がまったく違ってしまう。まさに食の神秘。野沢菜は信州の空気にふれてうまみを保ち、うまみを増す。

165、おやき(長野)

国道18号などを走っていると、“おやき”の看板をよく目にする。今では信州、特に北信の名物といっていい。小麦粉をこねて丸めた饅頭の中にあんを入れて焼いたもの。甘い小豆あんのみならず、野沢菜や山菜、キノコなどのあんも入れる。おやきは野菜饅頭といってもいい。ところで、信州の秘境ともいわれる秋山郷では家庭でアンボをつくっている。アンボは昔はヒエ粉を使ったというが、今は米粉とソバ粉を混ぜてこね、その中にあんを入れて焼く。あんには野沢菜とゆでた青菜を味噌で和えたもの、それと小豆あんの3種がある。おやきももともとは、焼畑などで盛んにヒエなどの雑穀をつくっていた北信の山村特有の食べもので、小麦粉ではなく、雑穀粉やソバ粉が使われていた。

166、謙信ずし(長野)

笹ずしの一種で、田植えが終わったあとのご馳走としてつくられた。おもしろいことに、この笹ずしは上杉謙信が越後の春日山城(上越市)から峠を越えて信州に入り、武田信玄勢との決戦の地、川中島を目指したその道筋だけに伝わっているものなの。すし箱を使ってつくる押しずしで、甘辛く煮たカンピョウやシイタケ、ゼンマイなどの具をすし飯に混ぜたもの。甲州には信玄ずしがあるが、これも謙信ずしとよく似た笹ずし。謙信ずしにしても信玄ずしにしても、クマザサの葉が見た目のきれいさのほかに、防腐効果の役目をはたしている。

167、朴葉味噌(岐阜)

飛騨・高山の旅館の朝食で食べた朴葉味噌の味は忘れられない。あったかなご飯の上にのせて食べるのだが、もうほかにはおかずはいらないといったうまさだった。朴葉味噌はおかず味噌。朴葉は山で拾い集めた落ち葉だ。それを1枚1枚ていねいに布巾でふいてきれいにし、陰干ししたもの。この干し朴葉を水に浸し、その上に飛騨味噌と刻みネギをのせ、炭火にかける。ジュクジュクと泡立ってきたところで、かきまぜ、熱々のをご飯の上にのせて食べる。朴葉は飛騨人の食生活にはなくてはならないもの。朴葉ずしや朴葉餅をつくったり、高山の食堂などのメニューには朴葉そばもある。青い朴葉の葉を敷いたザルそばだ。高山の朝市でも夏の青い朴葉と冬の干し朴葉は欠かせないものになっている。

168、アユの塩焼き(岐阜)

岐阜の長良川の鵜飼は有名だ。この鵜飼でアユをとる漁法はかつては全国的におこなわれていたが、現在では岐阜のほかには大分県の日田や愛媛県の大洲などで見られるだけにってしまった。鵜飼には海鵜を使う鵜飼と川鵜を使う鵜飼があるが、岐阜や日田、大洲の鵜飼は海鵜を使ったもの。鵜は目の前を素早く逃げようとする魚しか取らない。鵜飼ではアユを主にとるが、それは何も鵜がアユが好きなのではなく、川魚の中ではアユが一番逃げ足が速いからなのだ。そんな鵜の習性を知り、幻想的な鵜飼の美しさを見ながら食べるアユの塩焼きはひときわうまいものになる。

169、アユずし(岐阜)

「アユずし」というのは、姿ずしのこと。腹裂きにしたアユの骨やひれ、えらを取り除き、水洗いしてから塩を少々まぶし15分ほどおいておく。さらに甘酢につけて15分ほどおく。それをすし飯の上にのせ、姿づくりの格好にして器に盛って出す。塩焼きとはまた違うアユのうまさが味わえる。長良川はアユの本場だけあって、川沿いではアユ料理が発達している。このほかにもアユ雑炊やアユの甘露煮、アユの田楽、アユの吸い物、アユの塩辛のうるかなどがある。

170、蜂屋柿(岐阜)

岐阜県は日本でも有数の柿の産地。その大半は富有柿や次郎柿などの甘柿で、西濃地方が大産地になっている。そんな岐阜県に堂上蜂屋柿という名産がある。ふつうは「蜂屋柿」と呼んでいるが、渋柿で、旧蜂屋村(現美濃市)でつくられた。堂上蜂屋柿は干し柿にする。その歴史は富有柿などとは比較にならないほど古いもので、今から900年以上も前に、美濃の国司が京都の堂上の人(貴族)に献上したという記録があり、そこから堂上蜂屋柿といわれるようになった。蜂屋柿の名を一躍有名にしたのは、関ヶ原の合戦前夜。大垣城を攻め落していた徳川家康の陣中に、西濃の名刹、瑞林寺の和尚が蜂屋柿を献上した。家康はおおぶりの蜂屋柿の干し柿を見て、「これで、大垣(大柿)が手に入った!」といって、おおいに喜んだという。

171、いばら飯(岐阜)

海のない岐阜県なので、川魚は貴重だ。その代表が岐阜周辺の長良川のアユと、木曽川、長良川、揖斐川の3大河川の合流地である南濃地方のコイである。いばら飯というのは、コイを丸ごと使った炊き込み飯で、小骨がツンツンと飛び出しているので“いばら”飯と呼ばれるそうだ。これは南濃地方では客人をもてなす最高の料理になっている。いばら飯にはコイの味噌汁がつきもの。いわゆるコイコクなのだが、南濃地方の味噌というのは赤味噌なので、信州などのコイコクとはずいぶんと違う味になっている。

管理人より:

この記事の山梨県が「中部編」?と疑問に思ったので、早速カソリに問い合わせました。

すると:

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ご指摘ありがとうございます。

山梨は中部でないとまずいんですよ。

山梨、長野、岐阜の「海無し3県」で

「中部山岳編」なんです。

「中部編」は

1、北陸編

2、中部山岳編

3、東海編

から成っています。

ということでよろしくお願いします。

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とのこと。今回の食文化というくくりでは、必然性があるようです。

ということで、このままで公開します。