賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「南米・アンデス縦断」(62)

 2008年1月14日、「ホテル・ティエラ・デル・フエゴ」のクロワッサンとパン、コーヒーの朝食を食べ、8時、ウシュワイアを出発。「ルータ・トレス」(国道3号)でアルゼンチンの首都、ブエノスアイレスに向かっていく。

 ウシュワイアを出ると、フェゴ島南部の山並み(アンデス山脈の南端)を越えてリオグランデへ。

 リオグランデの町を走り抜け、大平原の中を貫く国道3号の舗装路をひた走る。どの車も100キロ以上の高速で走っているので、大型トラックとすれ違うときなどものすごい風圧を受ける。そんな大平原でのピクニックランチ。360度の地平線を眺めながらカップヌードルとハム&チーズのサンドイッチを食べた。

 フェゴ島のど真ん中を国境線が南北に走っているが、アルゼンチン側での出国手続きを終え、チリ側に入た。「南米一周」(1984年~85年)での思い出が鮮やかによみがえってくる。この国境では往路でも復路でも忘れられない思い出があるのだ。

「南米一周」で、アルゼンチン側の国境事務所に着いた時には、すでに日は暮れていた。そこでは往路で通過した時に顔なじみになった若い係官たちに、

「おー、戻ってきたのか!」

 といって歓迎された。

 パスポートとカルネ(バイクの通関手帳)に出国印を押してもらい出国の手続きを終えると、湯気のたちのぼるコーヒーを入れてもらった。冷えきった体にしみ込むようなうまさ。国境の若い役人たちにはコーヒーを入れてもらっただけでなく、何と毛糸で編んだ帽子とマフラーまでもらった。さっそくマフラーを首にまいて走ったが、その温かさが身にしみた。

 夜道を走ってたどり着いたチリ側の国境事務所では、一晩、泊めてもらった。国境の仕事は夜中の12時で終了するが、一日の勤務を終えたイミグレーションや税関の係官たちとおおいに飲んだ。5リッターのワインの大ビンをあけ、チーズやハムをつまみにして飲んだのだが、あっというまに5リッターのワインを飲みつくした。

 そのあとはふらつきながら、チリ対日本の、真夜中のピンポン大会をした。チリ側の国境の役人のみなさんは誰もが気持ちのいい人たち。たっぷりと汗をかいたところで、湯の出るシャワーを浴び、ソファーの上にシュラフを敷いて寝た。時間は午前2時を過ぎていた。

 そんな思い出にひたりながらチリ側に入ったのだ。

 チリに入るとダートに変わり、ここぞとばかりにDRのアクセルを開き、大型トラックや乗用車などをゴボウ抜きにして走った。ダートといってもDRにとっては超高速ダートで100キロ以上で走れる。フェゴ島は島とは思えないほどの大きさ。大平原が際限なく広がる。ただひたすらに地平線を目指して走りつづける。その途中ではかなり規模の大きな油田を見た。

 ダートが舗装路に変わり、マゼラン海峡に到達。大型トラックや乗用車が列をつくって並んでいたが、フェリーには待たずに乗れた。

 マゼラン海峡の対岸へ。

 このあたりがマゼラン海峡の一番、幅の狭いところで、30分ほどで対岸の大陸側に到着。そこから再度、国境を越えてアルゼンチンに入り、アルゼンチン南部の中心地、リオガジェゴスに22時30分に着いた。ウシュワイアから585キロの走行距離だ。

 南緯52度のリオガジェゴス。真夏で、さらに1時間の夏時間をとっていることもあって、22時30分といっても夕方ぐらいの明るさ。「ホテル・コメルシオ」に泊まったが、24時を過ぎてやっと日が沈み、きれいな夕焼けが見られた。

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フェゴ島の国境に到着

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国境を越えてチリ側に入る

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マゼラン海峡のフェリー

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大型トラックがフェリーから降りてくる

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フェリーに乗船

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フェゴ島が遠ざかっていく