賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

日本食べある記(23)阿蘇の高菜飯と団子汁

(『市政』1995年10月号 所収)

阿蘇の旅の出発点は立野

 バイクで阿蘇をまわった。出発点は立野。阿蘇外輪山をぶち破るようにして流れ出る白川北岸の崖上の集落だ。

 JR豊肥本線が走り、立野駅がある。鉄道は急勾配のために、ここではスイッチバック方式になっている。また、立野駅からは、南阿蘇を通り、阿蘇外輪山の高森峠下の高森まで通じている南阿蘇鉄道が分岐している。

 立野は道路交通の要地でもある。熊本から大分に通じる国道57号が通り、宮崎県の高千穂に通じる国道325号が分岐している。

 ところで、立野に来る前に、肥後の一宮の阿蘇神社に参拝した。阿蘇神社の祭神は日本初代天皇の神武天皇の孫、健磐龍命だが、神社の案内には、

「古い昔のことですが、この阿蘇谷は満々と水をたたえた湖水でありました。阿蘇大神の健磐龍命は湖水の水を切って落とし、美田を開き、農耕の道を教え、国土の開拓に尽くされました」

とある。じつに興味深い阿蘇神社の由来だが、その案内どりに、大昔の阿蘇は、大カルデラ湖の阿蘇湖だったのだろう。その阿蘇の水が、外輪山の一番弱いところを破って流れ出た。その現場が立野なのである。

 阿蘇山は九州中央部の、霧島火山帯北部に位置する二重式火山の総称で、東西18キロ、南北24キロのカルデラは世界最大級のもの。阿蘇五岳といわれる高岳、中岳、杵島岳、烏帽子岳、根子岳の中央火口丘が阿蘇山の本体になっている。

 最高峰は高岳で標高1592メートル。活発な火山活動をつづけているのが中岳で絶えず噴煙を上げている。この中央火口丘の周辺には、地獄温泉とか垂玉温泉、湯ノ谷温泉といった温泉が何湯もある。

 阿蘇カルデラをとり囲む外輪山は、高低差が400メートル前後もあって岩屏風となってそびえている。

 阿蘇カルデラの北部、北阿蘇の谷は阿蘇谷と呼ばれ、黒川が流れている。南阿蘇の谷は南郷谷と呼ばれ、白川が流れている。黒川と白川は立野で合流し、白川となって熊本へと流れ下っていく。これがおおまかな阿蘇の構図だ。

高菜飯と団子汁

 JR豊肥本線の立野駅前では、一緒にオーストラリアをバイクで走った「豪州軍団」の仲間の錦戸陽子さんと落ち合う。さらに、錦戸さんのバイク仲間の小笠原隆一さんと小林良彰さんもやってくる。みんなでバイクを走らせ、近くの喫茶店「とちのき」に行き、コーヒーを飲みながら話した。

 小笠原さんは熊本市内で「小笠原写真館」という写真館をやっている。オフロードバイクが大好きで、休みというと九州各地の林道を走っている。小林さんは大学生で、すっかりバイクのおもしろさにはまりこみ、これから阿蘇北麓の小国周辺の林道を走りに行くという。

 熊本市内の病院で看護婦さんをしている錦戸さんは、素敵な肥後美人。バイクを乗りこなし、日本各地の山々を登るような強さをも持ち合わせている。

 彼女からは、「肥後モッコス」で知られる肥後の男について聞いた。よくいえば芯が通っていて、意思強固なのだが、悪くいえば頑固ということになるらしい。

 私は阿蘇の温泉めぐりをするつもりだったが、錦戸さんはそれにつき合ってくれるのだ。小笠原さんと小林さんも最初の温泉には同行してくれるという。

 ということで喫茶店「とちのき」のすぐ近くにある栃木温泉「荒牧旅館」の湯に入った。大浴場の湯につかりながら、目の前の、阿蘇の外輪山を眺める気分は最高だ。

 小笠原さんの話によると、阿蘇の中でも天然の樹林に覆われているのは、このあたりの外輪山だけだという。

 栃木温泉の湯から上がったところで、小笠原さんと小林さんは林道を走りに小国へと向かっていった。

 私と錦戸さんは、次の栃木原温泉「いろは館」へ。栃木温泉同様に湯量の豊富な温泉で、広々とした大浴場と露天風呂に入った。

 湯から上がったところで昼食。高菜飯定食を頼む。これがじつによかった。高菜飯のほかに団子汁、辛子蓮根、馬刺しと、熊本の郷土料理がひととおり食べられる定食なのだ。

 高菜飯は軽く塩をふりかけて炒めたご飯に、細かく刻んで油炒めした高菜漬と炒りたまごを混ぜ合わせたもの高菜の産地の阿蘇を代表する郷土料理になっている。

 簡単につくれるということもあって、この地方では欠かすことのできない家庭料理にもなっている。また、高菜飯にするのではなく、炒めた高菜漬をご飯のおかずにしたり、酒の肴にしている。

 高菜は辛子菜の一変種といわれ、野沢菜や壬生菜などに近い種類の菜だ。

 阿蘇を代表する郷土料理の高菜飯に対して、団子汁は熊本を代表する郷土料理といっていい。熊本の人たちはそれを“だごじる”といっている。

 団子汁とはいっても、汁の中に団子が入っているのではない。見た目には、名古屋のきしめんを厚くしたような麺が味噌味の汁の中に入っているが、これはゆであげた麺ではない。粉をこねたままの麺で、シコシコッとした歯ざわりと、小麦粉特有のざらついた舌ざわりがある。小麦粉をこねて団子にし、それをちぎっては汁の中に入れ、またちぎっては汁の中に入れるので、その名があるという。

 錦戸陽子さんは団子汁をつくるのが上手で、以前、食べさせてもらったことがある。きっと、母親ゆずりのつくり方なのだろう。

 彼女にそのつくり方を教えてもらったが、それは次のようなものだった。

 ①小麦粉に水を加え、耳たぶくらいの固さになるまでよくこねる。それを三〇分くらい寝かせておく。

 ②ニンジン、ダイコン、サトイモをいちょう切りにし、ごぼうをささがきに切る。

 ③炒めた豚肉と②の野菜を鍋で煮る。野菜が煮えてきたら、①の団子を手でちぎって入れる。

 ④小ネギをちらしてでき上がり。

 このように団子をちぎっては入れ、ちぎっては入れの、団子汁なのである。

 熊本県の隣、大分県でも、団子汁は熊本に負けず劣らずの郷土料理。だが大分では“ほうちょう汁”とも呼ばれ、アワビの腸を意味する鮑腸汁の字が当てられている。その由来がおもしろいというか、滑稽だ。

「その昔、肥後の殿さまは参勤交代の道中の宿で、アワビの腸を好んで食していた。ところがあるとき、海が荒れてアワビがとれず、困った家来が、小麦粉でこねて細く延ばしたものをゆでてアワビに似せたところからその名がある」

 私はほうちょう汁の語源は、山梨のほうとうや栃木のはっと汁などと同じものだと考えている。

 ところで「ウドン」だが、漢字で書くと「饂飩」になる。ところが、平安時代、もしくはそれ以前に中国から伝わった時点では「○(混の食偏。以下同様)飩」と書かれていた。○飩は小麦粉で皮をつくり、中にあんを入れたものだったという。つまりワンタンだ。日本では「ワンタン」も漢字で書くと「饂飩」になる。

 日本人は「ウドン」と「ワンタン」を取り違えてしまい、ウドンは千何百年もの間、名前と中身の違うまま現在に至っている。

 中国では「○飩屋」に入ってもウドンは食べられない。出てくるのはワンタンだ。「雲呑屋」の看板を掲げた店もあるが、そこでもやはり出てくるのは「ワンタン」。繰り返しになるが、「○飩」というのはワンタンのことなのである。

「○飩」の北京語発音は「フォントン」、上海語発音は「ユントン」、広東語発音は「ワンタン」になる。

 私は大分のほうちょう汁や山梨のほうとう、栃木はっと汁などの言葉がフォントンに由来していると考えている。それはおいて、熊本の団子汁や大分のほうちょう汁、山梨のほうとう、栃木のはっと汁などは、日本のうどんの原形であることに間違いはない。

 熊本名物の辛子蓮根は蓮根の穴に辛子味噌を詰め、衣をつけて油で揚げたもの。その歴史は熊本藩・細川家三第目の忠利の時代にまでさかのぼり、藩主側近の玄宅和尚が病弱な主君のために考案したものだという。

 阿蘇の火山灰が流れ、それが堆積した白川流域の熊本平野は、昔から上質な蓮根の産地として知られている。また蓮根は増血や精力増強の作用が大きいことでも知られている。そこで玄宅和尚は熊本産の蓮根でつくった辛子蓮根を藩主に差し出した。藩主は蓮根の歯ざわりと辛子味噌の刺激と味の調和がことのほか気にいったという。

 それ以来300年というもの、辛子蓮根は細川家の珍味、栄養食として、門外不出の料理となった。それが明治維新後、一般庶民の間にも広まり、弁当のおかずや酒の肴にと幅広く利用されている。

 馬刺しは信州や甲州、東北でよく知られているが、西日本で馬刺しといったら、熊本だけといってもいいほどだ。霜ふりの刺し身をショウガ醤油につけて食べる味のよさは、熊本ならではのもの。なぜ、熊本で馬刺しなのかよくわからないが、戦前、軍馬の生産が盛んだったことがかなり影響しているようだ。

 高菜飯、団子汁、辛子蓮根、馬刺しと熊本の郷土料理を十分に堪能したあと、阿蘇山上を目指して出発。その途中では、阿蘇中腹の湯ノ谷温泉の露天風呂に入った。

 有料の阿蘇登山道路を登っていったところでは阿蘇を一望する。阿蘇カルデラ内の町や村がよく見える。阿蘇の外輪山を目で追っていくと、その山並みが立野あたりでスパッと切れているのがよくわかった。