賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

日本食べある記(24)輪島のいしる汁

(『市政』1995年11月号 所収)

輪島の朝市

 輪島を出発点にして、バイクで秋の能登半島を一周した。

 輪島では早朝の町を歩き、漁港に行った。ちょうど、水揚げされた魚のセリがおこなわれていて、漁港はにぎわっていた。

 セリが終わるころになると、海女さんたちは船に乗って出かけていく。沖合の七ッ島周辺で潜るという。

 輪島には海士町という町名があるくらいで、昔から海女(海士)漁が盛んだった。

 七ッ島のさらに北の舳倉島は夏の間、海士町の海女たちが季節的に移住し、海女漁をする島として知られている。

 海女さんとは別な女性の一団は朝市に、行商にと、手押しのリアカーに魚を積んで出かけていく。輪島の女性たちは働き者だ。

 次に有名な輪島の朝市を見に行く。

「買うてくれやー」

 と、オバサンたちの元気な声が飛び交う輪島の朝市は、八時から正午ぐらいまで、目抜き通りの本町通り

で開かれる。

 200あまりの露店が並び、新鮮な魚介類のみならず、野菜類や果物、菓子、雑貨類などを売っている。買い物客は、地元の人のほかに、観光客も多く見られた。

 輪島の朝市で私の目を引きつけたのは、ビンに入って売られている「いしる」だ。

 いしるというのは、イワシやイカなどを原料のしてつくる魚醤油のことで、おそらく「魚汁」からきた言葉であろう。輪島を中心とした奥能登特有の調味料で、場所によっては、いしりともいっている。

能登半島一周

 輪島の朝市を見てまわったあとは、いよいよ「能登半島一周」に出発。バイクを走らせ、時計まわりに半島を一周する。

 まずは外海の外浦海岸に面している“奥能登の千枚田”を見る。奥能登の山々が海に落ち込むあたりの斜面を切り開いてつくった千枚田。一枚一枚の田は、猫の額ほどの広さしかなく、それが段々になって海に落ちていく。

 その風景は日本人の米づくりへの執念を見せつけているし、また日本人の勤勉さを物語るものでもあった。

 奥能登はちょうど稲の刈り入れの季節。丸太を立て、孟宗竹を渡してつくった稲架に、刈り取った稲を掛けて干していた。高い稲架になると、12段になるものもあった。

 上時国家、下時国家の両豪農の家を見、断崖が海に落ち込む曽々木海岸を見、揚浜塩田を見ていく。

 日本海を左手に眺めながら走り、能登半島最先端の禄剛崎に到着。岬への道を歩いていく。柿の実が色づきはじめ、コスモスの花が咲いていた。

 禄剛崎には「日本列島、ここが中心」の碑が建っている。たしかに禄剛崎を中心に円を描くと、日本本土最北端の宗谷岬と日本本土最南端の佐多岬が円周上にくる。

 この「日本のヘソの地」碑だが、ほかにも長野県の松本市や辰野町、群馬県の渋川市、岐阜県の関市や美並村、兵庫県の西脇市などでも見たことがある。

 禄剛崎を過ぎると、能登半島も大きく変わる。

 外海の外浦海岸に沿った道から、内海の内浦海岸に沿った道になる。外浦海岸は波の荒い日本海の海だが、内浦海岸になると波静かな海で、海面にはさざ波ひとつない。まるで湖。外海から内海へと鮮やかな変化だ。

 珠洲市の中心、飯田の町並みを通り抜け、軍艦島の見附島を見、宇出津漁港ではイカを原料にして「いしる」をつくっている工場を見学した。

いしる汁を食べる

 輪島に戻ると料理屋で「いしる汁」を食べた。

 土鍋の煮たったいしるの中に、薄切りにしたナスと千切りダイコン、それとネギを入れて食べるというシンプルなものだが、これがすこぶるうまかった。

 ナスやダイコンにしみこんだいしるの味は、何か、特別の隠し味でも使っているかのようで、独特のうまみをかもしだしている。

 ここではそのほか、タコボウシとシシッポ、コブクを食べた。

 タコボウシというのはタコの頭で、アワビに似た味。シシッポは白身の魚で、淡白な脂分の上品な味わい。骨酒にもするという。コブクは唐揚げで食べた。輪島の海の幸に大満足だ。

 さて、いしるである。

 輪島でいしる汁を食べながら、思わず秋田のしょっつるの味がよみがえったが、輪島のいしるも秋田のしょっつるも、日本に残された数すくない魚醤油なのである。

 魚醤油というのは、魚を塩漬けにし、重しをかけて長期間、漬け込み、できた汁を漉し取ったもの。魚のたんぱく質が、魚の内臓にある酵素の働きによって分解されてできたものである。

 かつては日本の沿岸各地で魚醤油をつくっていたが、醤油に押され、次々に消えていった。最後まで残ったのが奥能登のいしると秋田のしょっつる。「食」の文化財といってもいいようなものだ。

 奥能登のいしるも輪島で2軒、珠洲で1軒、それと宇出津で1軒でつくられているだけだという。いしるができあがるまでには長い日数がかかり、イワシの場合で約半年、イカだと肉が固い分だけ発酵がおそくなり、1年近くもかかるという。

 その仕込みの開始の時期は、とくには決まっていないとのことだが、発酵がより早く進む夏を間にはさむという。

 いしるは煮もののほかにも、漬ものにも使われる。ナスやダイコンをいしるに漬けて一夜漬けにしたり、イカやフグなどの魚肉を漬けたりする。奥能登の人たちにとっては、いしるは欠くことのできない調味料になっている。

 ところで私は1992年から翌93年にかけて、バイクでインドシナを一周した。

 タイ、ラオス、ベトナム、カンボジアの4ヵ国をまわったのだが、それらインドシナの4ヵ国でつかわれている調味料はいしると同じ魚醤油だ。

 タイではそれをタイ語でナムプラーという。ナムが水を意味し、プラーが魚を意味する。いしるが魚汁からきているのではないかといったが、秋田のしょっつるも塩魚汁からきており、タイのナムプラーも、やはり同様に魚汁の意味なのである。

 ラオスではラオス語でナムパーといい、ベトナムではベトナム語でニョクマムといい、カンボジアではクメール語でトゥクトレーといっている。

 インドシナを旅すると、一目でわかることだが、この魚醤油抜きの食生活は、まったく考えられない。

 たとえばラオスである。海からはるかに遠い山岳地帯に住む山地民族の調味料も魚醤油のナムパーである。

 普通の家庭での食事というと、日本でいえば強飯になるが、もち米を蒸かしたカオニオに青菜の汁、それと塩漬けにした豚肉といった食事が一般的である。それに、調味料のナムパーがつく。

 ナムパーの中に、チョンチョンと刻んだトウガラシがはいっていることが多い。慣れるとご飯のカオニオに、このトウガラシ入りの魚醤油をつけただけでも、十分においしく食べられる。

 日本はインドシナを中心とした魚醤油の食文化圏の東端に位置している。その残り火が、奥能登のいしるや秋田のしょっつるなのである。