賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの島旅(94)東京→石垣→石垣

(『ジパングツーリング』2003年1月号 所収)

 いよいよ「島巡り日本一周」も最後の行程。

 2002年4月12日、沖縄・八重山諸島に向けて東京・日本橋を出発。スズキバーディー90を走らせ中山道経由で名古屋へ。名古屋港のフェリー埠頭では「飛龍軍団」の面々がぼくを待ち構えていてくれた。

 鰐淵渉さんが呼びかけてくれたのだが、ぼくの見送りがてら一緒に有村ラインの「クルーズフェリー飛龍」で大阪南港までの船旅を楽しもうという企てなのだ。北川直樹さん、桜田雅幸さん、藤原延興さん、林昭伸さん、吉田和宏さん、鈴木稔さんと、なんと7人ものみなさんがバイクを走らせて名古屋にやってきた。さらにうれしいことに、有村ラインの足立浩二さんも大阪南港まで同行してくれた。

「クルーズフェリー飛龍」は11時に名古屋港を出港。12時には船内のレストランで昼食。「飛龍軍団」の面々とはレストランの円形テーブルを囲んで沖縄料理を食べた。

 ぼくは大好物の「沖縄そば」だ。気分はすでに沖縄!

「クルーズフェリー飛龍」は伊勢湾を南下。14時には大王崎沖を通過し、熊野灘に入っていく。「飛龍軍団」は足立さんに招かれ、船内のバーで泡盛やオリオンビールをいただいた。ほろ酔い気分で聞く足立さんのお話がすこぶるおもしろい。バイク大好き、アウトドア大好き人間の足立さんだ。17時、潮岬沖を通過し、紀伊水道に入っていく。大阪南港到着は22時だった。

「クルーズフェリー飛龍」の大阪南港出港は4月14日の午前0時50分。那覇新港到着は午前7時30分。その日の20時に那覇新港を出港し、宮古島を経由し、八重山諸島の中心、石垣島の石垣港に到着したのは4月16日の10時15分。名古屋港からは71時間45分の船旅だ。今回の「島巡りの日本一周」では最長の船旅になった。

 名古屋港から石垣港までは竹澤裕介さん、高地洋子さん、村瀬和紀さん、田中俊哉さんの4人のライダーと一緒になった。竹澤さん、高地さんは一緒にサハリンを縦断した「サハリン軍団」の仲間。2人はともに「日本一周」中。竹澤さんは「島巡り日本一周」のまさにキーパースンで、伊豆大島で出会ったのを皮切りに新島、佐渡島、苫小牧、焼尻・天売島と再会を繰り返し、今回が6度目の再会ということになる。

 JOG50に釣り道具満載の村瀬さんは沖縄の海で大物を釣りたいといっている。釣り師なのだ。田中さんは20歳の旅立ち。きらめくような感性がまぶしい。

 ぼくを含めた5人の「石垣組」、夜は一緒に米原キャンプ場でキャンプしようと約束し、石垣港で別れた。

 さー「石垣島一周」の開始だ。胸がわくわくしてくる。

 スズキバーディー90に「行くぞ!」とひと声かけて走りだす。日本最南の市、石垣の市街地をぐるりとめぐり、石垣を出発点に反時計まわりで島を一周する。まずは給油だ。1リッター101円と、それほど高くはない。

 日本最南の国道390号を北へ。太平洋岸を行く。宮良川河口のマングローブ林を見、白保海岸を歩く。サンゴの海。白保の食堂「マエザト」で昼食。ゴーヤチャンプル(500円)を食べた。ボリューム満点。ゴーヤの苦みが強烈に沖縄を感じさせてくれる。

 国道390号をさらに北へ。国道沿いにはサトウキビ畑やタバコ畑、黒毛和牛の牧場も目立つ。黄色い花をつけたオクラ畑では、老夫婦がオクラの実を摘み取っていた。

 伊野田キャンプ場前を通り、玉取崎の展望台に立つ。正面には北へと延びる平久保半島を見る。右手の太平洋と左手の東シナ海、同時に2つの海を見る。

 伊原間で国道390号は終点になり、県道206号で平久保半島に入っていく。ところで日本最南の国道390号だが、伊原間は石垣島内の終点で、さらに宮古島から那覇へとつづいている。

 平久保半島ではサビチ鍾乳洞を見学。入洞料は700円。洞窟入口の池には体長2メートルという大ウナギがいる。エサを投げ入れると、丸太のような頭を水面上に出す。洞窟を抜け出ると、太平洋の浜に出た。

 石垣島最北端の平久保崎へ。そこには白い灯台。猛烈な風が吹き荒れている。強風にあおられ、停めたバーディーを倒してしまった‥。ごめん、バーディーよ。

 石垣島最北端の平久保崎からは、来た道を伊原間まで引き返し、今度は県道79号で石垣島の西海岸、東シナ海側を南下していく。

 吹通川の河口一帯にはマングローブ林。富野からは島を横断する県道87号で石垣まで行った。その途中では、沖縄の最高峰、於茂登岳(526m)を貫く沖縄最長のトンネル、於茂登トンネル(1174m)を走り抜けた。トンネルを抜け出たところがロックフィル式の底原ダム(堤長1331m)で、島とは思えないような規模の大きさだ。

 石垣から富野に戻ると、米原キャンプ場の前を通り、川平湾ではグラスボートに乗った。川平湾だけで200種以上ものサンゴが生息しているとのことで、枝サンゴ、テーブルサンゴ、シイタケをひっくりかえしたようなサンゴ、ヒノキの枝のようなサンゴ‥と、様々だ。最後に御神崎に立ち、夕日を浴びた名蔵湾を見下ろし、石垣に戻った。

 8の字にまわった「石垣島一周」は179キロだった。

 石垣からは県道87号で於茂登トンネルを抜け、米原キャンプ場へ。砂浜で「石垣組」の面々と、暮れゆく海を見ながらオリオンビールを飲んだ。

 石垣島の石垣港を拠点にしての八重山諸島の島巡りの開始。

 その第1島目は竹富島だ。

 八重山観光フェリーの高速船「はまゆう」で竹富島に渡る。バイクは乗せられないので、バーディー90は石垣港に置いておく。「石垣-竹富」の往復料金は1100円だ。

 竹富島には10分で到着。竹富の集落まで歩き、そこで「水牛車」に乗った。1人1000円。サンゴの石垣と赤瓦の家並みの間の狭い道を乗客を乗せた水牛車は上手に走り抜けていく。30分ほどかけて水牛車で集落内を見てまわったあとは、徹底的に竹富島を足で歩いた。日差しが強いので、あっというまに汗がダラダラ流れおちてくる。

 まずは北岬へ。きれいな海だ。対岸には石垣島。この北岬にはうっそうとおい茂る亜熱帯の樹木に囲まれた美崎(みしゃし)御嶽がある。周囲が10キロにも満たない小さな竹富島だが、島内には美崎御嶽を含め、全部で28もの御嶽があるという。次に東岬、最後にコンドイ岬に立った。コンドイ岬は竹富島の最西端で西岬といったところだ。

 竹富島から石垣島に戻ると、次は第2島目の黒島へ。石垣港から安栄観光の高速船「あんえい88号」に乗る。往復で2250円。やはりバイクは乗せられないので、バーディー90は石垣港に置いておく。

「あんえい88号」は竹富島のわきを通り、石垣港から25分で黒島に到着。黒島では港でレンタサイクルを借りた。一番、程度のよさそうなママチャリを選んだが、それでもひどいオンボロ。黒島は竹富島以上に日差しが強く、ジリジリ照りつける太陽に頭がクラクラしてくる。

 黒島港から仲本の集落に向かう途中にある食堂「パームツリー」で「八重山そば」(450円)を食べた。「八重山そば」は沖縄本島などで食べる「沖縄そば」と変わらないが、石垣島に到着して以来、すっかりはまっている。石垣島の米原キャンプ場に近い「知花食堂」で食べて以来、すでのもう5食目の「八重山そば」だ。島唐辛子(泡盛にトウガラシを漬けたもの)をたっぷりふりかけ、豚肉やさつまあげ、刻みネギの入った「八重山そば」を食べた。う~ん、大満足!

 旧藩時代の監視所だったフズマリ展望台に立ち寄り、その近くの「黒島ビジターセンター」(入館無料)を見学し、仲本へ。仲本の集落からは仲本海岸に出た。サンゴの海。対岸は古い焼き物の 「パナリ焼き」で知られるパナリ島。上地島と下地島の2つの島から成っている。島の中心、東筋からは黒島灯台まで行き、黒島港に戻った。

 黒島から石垣島に戻ると、第3島目の波照間島へ。波照間島には9時発の波照間海運のフェリー「はてるま」にバーディー90ともども乗り込んだ。船内ではグース350で「日本一周」中の朋ちゃんとうれしい再会。さらに我々は船長に招かれ、一緒に泡盛の「八重泉」を飲んだ。船長は飲むほどに、三線(さんしん)をひきながら、渋い声で沖縄民謡を聞かせてくれた。なんとも忘れられない船旅になった。

 日本最南端の有人島、波照間島に到着したのは11時30分。石垣港から2時間30分の船旅。波照間島には何日か滞在するという朋ちゃんと別れ、さっそく「波照間島一周」に出発。時計回りでまわる。サトウキビ畑の中を走り、「日本最南端之地」碑が建つ高那崎へ。そこでハンディーのGPSで緯度、経度を計ると、北緯24度02分37秒、東経123度47分46秒だった。

 波照間島は島一周で約15キロ。全部で3回、「波照間島一周」を走り、その日のフェリーで石垣港に戻った。

 石垣のコンビニ「ホットスパー」でオリオンビールを箱で買い、米原キャンプ場に直行。そこでまたしても「石垣組」とのオリオンパーティーだ。

 沖縄ではこの「オリオンビール」が一番、合う。

 オリオンを飲んでいると、

「今、自分は沖縄にいる!」

 という気分にさせてくれる。

 オリオンパーティーは夜中の3時過ぎになってやっとお開きになった。

 浜辺でシュラフでごろ寝し、夜明けとともに米原キャンプ場を出発。第4島目の小浜島に向かう。

 石垣のコンビニ「ホットスパー」で弁当を買う。この石垣の町中にある「ホットスパー」には毎日のように通った。ここでは刺し身も売っている。

 コンビニ弁当の朝食を食べおわると石垣港へ。そして7時55分発の八重山観光フェリーの高速船、小浜島行きの「サザンドリーム」に乗った。バイクは乗せられないので、バーディー90はまたしても石垣港に置いていく‥。

 石垣港から小浜島までは25分の船旅。小浜島はレンンタバイクでまわることにし、港前の「小浜島総合案内所」で赤いホンダのパルを借りた。2サイクルの50㏄スクーター。1日1000円。「小浜島一周」に出発だ!

 レンタサイクルでまわるよりは、レンタバイクの方がよっぽどおもしろい。あらためてバイク大好きな自分を確認。

 小浜島といえばヤマハリゾート「はいむるぶし(小浜島の言葉で南十字星を意味する」で有名だが、その入口まで行ってみる。そこから島の南岸を通って最西端の細(くば)崎へ。赤土のサトウキビ畑が広がる。製糖工場もある。細崎に立つと、目の前には西表島が横たわっている。山々が海に迫り、山の中腹より上には雲がかかっている。さすが八重山諸島で一番、大きな島、一番、自然の残されている島と、そう思わせるような西表島の風景だった。

 細崎から北へ。東海岸の石長田海岸では、かなりの規模のマングローブ林を見た。島の北西端のアカヤ崎では放牧している牛の一群を見た。

 島中央部の集落内に入ると、NHKの連続テレビ小説「ちゅらさん」に出てくる「こはぐら荘」の家を見た。ここはちょっとした観光地で、マイクロバスでやってきた観光客の一団が、ゾロゾロと「こはぐら荘」の前を行ったり来たりして歩いていた。

 小浜島の最高峰、大岳(99m)に登る。山頂は絶好の展望台。八重山の島々を一望する。こうして島の北岸を通って小浜港に戻ったが、「小浜島一周」は20キロ。つづいて第2周目、3周目とまわったが、小浜島を2周した距離は全部で56キロ。石垣港に戻ると、すぐさま港前の食堂「ソムリエ」で「八重山そば」(500円)を食べるのだった。

 第5島目の与那国島には福山海運のフェリー「よなくに」で向かった。人は3460円、原付は1740円。しかし原付というのは50㏄だけで、バーディー90は2輪料金の3460円。この日の「よなくに」には2台のバイクが乗った。ぼくのバーディー90とハーレーだ。バーディー90とハーレーの料金が同じというのはなんとも納得できないことだったが、まあ仕方ないか‥。

 フェリーターミナル内の食堂で「八重山そば」(400円)を食べ、10時出港の「よなくに」に乗り込む。石垣港を出港すると、甲板で島を見る。

 石垣港の防波堤を出ると、目の前には竹富島。さらに加屋間島(無人島)、小浜島、西表島、鳩間島と八重山諸島の島々を見る。この「アイランドウオッチング」がなんとも楽しい。石垣港を出て1時間半ほどすると西表島が後ろに去り、前方にはもう島影ひとつ見えない。与那国島は絶海の孤島だ。

「よなくに」は石垣港を出てから3時間45分で与那国島最東端の東(あがり)崎沖を通過。14時30分に与那国島西端の久部良港に入港した。目の前が日本最西端の西(いり)崎になる。

 与那国島に上陸すると、まっさきにその西崎へ。そこには「日本最西端之地」碑と灯台。断崖上に立ち、水平線に目をやったが、残念ながら台湾は見えなかった‥。

 久部良港に戻ると、「与那国島一周」に出発。時計回りで島を一周する。与那国島は一島一町で、与那国町役場がある祖納の「マルキ食堂」で「与那国そば」(500円)を食べた。これも「八重山そば」と同じようなものだ。カツオの刺し身とかきあげつき。

 そしてさきほど船上から見た東崎へ。岬の断崖上の広々とした草地では、与那国馬が放牧されている。ここから与那国島の南岸を行く。サンニヌ台、立神岩の展望台に立ち、比川浜、カタブル浜と見て夕暮れの久部良港に戻り、港近くの民宿「はいどなん」に泊まった。

 与那国島から福山海運のフェリー、「よなくに」で石垣島に戻ると、港に出迎えてくれた「石垣組」の面々と沖縄の最高峰の於茂登山に登り、夜は米原キャンプ場でキャンプした。毎夜のオリオンパーティー。

 第6島目の西表島には「石垣組」と一緒に渡ることになった。

 9時30分発の八重山観光フェリーのフェリー「かりゆし」で、バイクともども西表島に渡った。西表島の大原港到着は11時20分。その夜は西表島北端の「星の砂キャンプ場」でキャンプしようということで、大原港でみなさんと別れ、さっそく西表島を走り出す。

 西表島には島一周道路はないので、まずは島の南の行き止まり地点、南風見田の浜に向かう。その途中の「開拓の里」の屋上からは波照間島を見た。そして南風見田の浜の砂浜を歩き、大原港に戻り、港近くの食堂「満八」で「八重山そば」の大盛り(500円)を食べた。これが第9食目の「八重山そば」。もう「八重山そば」中毒だ。

 大原では仲間川の日本最大のマングローブ林を遊覧船(1260円)に乗って見る。仲間川は全長18キロの川だが、河口から6・5キロ地点までの両岸がマングローブ林。ここではオヒルギ、ヤエヤマヒルギなど6種のマングローブ林を見ることができる。船は大きな板根を張った樹齢400年のサキシマスオウの大木のあるところで折り返す。仲間川流域の風景は亜熱帯、というよりも熱帯のジャングルを思わせるものだ。

 大原からは古見を通り、水牛車で由布島に渡り、日本最南の温泉の西表温泉前を通り、船浦港まで行ったところで、あまりの暑さに裸になって海に飛び込んだ。気分よく泳いだ。ところがここでアクシデント発生。岸壁に上がるとき、貝で足を切り、鮮血が吹き上がった。かなり太い血管を切ってしまった。足をギュッとしばったタオルはあっというまに真っ赤に染まる。ブーツははけないので、ビーチサンダルでバーディー90に乗った。

 船浦港から「星砂の浜」近くを通り、東経123度45分6・789秒の子午線のモンユメント前を通り、祖納の集落を走り抜け、白浜まで行く。西表島のもう一方の道はここで尽きる。

 出血がひどく、足は血まみれ状態。白浜から祖納に戻ると、診療所へ。すでに診療の時間が終わっていたのにもかかわらず、先生は足の傷をみてくれた。局所麻酔をされ、2針縫って破傷風予防の注射をされた。助かった!

「星の砂キャンプ場」に行くと、「石垣組」の面々は、全員がすでに到着していた。ぼくの足を見てみんな驚いていたが、バイクの事故でないとわかると、みんなに笑われた。その夜はぼくが傷のせいでアルコール類を飲めないので、みなさんもつき合ってノンアルコールでの宴会になった。アルコール抜きでも、我ら「石垣組」の宴会はいつものように夜中までつづいた。

 翌日は日本最南の温泉、西表温泉を断念し、そのかわりに白浜まで行き、そこから船に乗って船浮の集落に渡り、亜熱帯樹の森を抜け、きれいなビーチまで行った。我ら「石垣組」は名も知らぬ西表島のビーチで1日、楽しんだ。

 夕方の船で白浜港に戻ると、祖納のスーパーで買い出しし、「星の砂キャンプ場」で「石垣組」との最後の宴会だ。「オリオンビール」を24本、それと泡盛の「いりおもて」、「八重泉」をドンとおいて、「これを飲み尽くすまでやろう!」と全員で乾杯!

 夕日が星砂の浜に落ちていく。

 半月の明るい月夜。

 大盛り上がりに盛り上がった「石垣組」の宴会は夜明け近い午前4時までつづき、アルコール類は一滴も残さずに飲み干した。

 2時間ほど死んだように眠り、いつものように夜明けともに出発。今日のフェリーで石垣島に戻るのだ。足の傷がひどいので、ブーツははけず、ビーサンでバーディー90に乗る。雲ひとつない快晴だ。大原港へ。その途中では「西表野生生物保護センター」(無料)を見学した。

 大原港には「石垣組」の全員が見送りに来てくれた。みなさんと港近くの食堂「満八」に入り、オリオンの生ビールで乾杯。そのあと一緒に「八重山そば」を食べた。そして13時30分発のフェリー「かりゆし」に乗り込んだ。

「石垣組」との別れ。

 彼らはこのあと石垣島から台湾に向かっていく。

 2002年4月25日、石垣港。6時45分発の有村ライン「クルーズフェリー飛龍」に乗り込み、名古屋港へ。名古屋からは東海道を走って東京に戻った。

 こうして全行程14ヵ月の「島巡りの日本一周」が終わった。