賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの島旅(93)那覇→東京

(『ジパングツーリング』2002年12月号)

「沖縄本島一周」を終え、那覇に戻ると、泊港近くの「沖縄オリエタルホテル」に泊まった。そこから大ちゃんこと高橋大輔さんに電話すると、すぐに来てくれた。大ちゃんには1999年の「本土編・日本一周」のときに、八甲田で開催されたスズキのイベント、ツーリングオアシスで出会った。

 青森市の職員だった大ちゃんは、公務員を辞め、心機一転、沖縄に移り住み、就職情報誌「イエローブック」の営業をしている。

 そんな大ちゃんとは那覇のメインストリート、国際通りにある民謡酒場「地酒横町」に行き、生ビールで乾杯し、しばらくぶりの再会を喜びあった。そのあとは生の琉球民謡を聞きながら、乾杯を繰り返す。大ちゃんに教えてもらいながら、阿波踊りのような「カチャーシャ」を一緒になって踊った。

 民謡酒場を出ると、今度は国際通りからわずかに入ったところにある「うちなー家」に行き、泡盛を盛大に飲みながら、ジーマミー豆腐、島ダコの刺し身、海ブドウ(海草)、マグロ&カツオのガーリック、島ラッキョウ、サメの煮つけ‥と、琉球料理を食べまくった。「うちなー家」を出たのは3時。「沖縄オリエンタルホテル」に戻ると、バタンキューで深い眠りに落ちた。

 翌日は午前中は那覇、午後は首里をまわり、夕方、那覇に戻った。

 大ちゃんは泊港までスクーターに乗って迎えにきてくれ、那覇を案内してくれたのだ。行ったところは牧志公設市場。国際通りから入ったところにあるが、那覇の台所のような市場。「金壺中華食堂」で朝粥(300円)を食べ、牧志公設市場を歩く。

 そこには日本というよりもタイのバンコクやインドネシアのジャカルタなど、東南アジアそっくりの空気が漂っている。ずらりと並んだ初めて名前を聞くようなトロピカルフルーツの甘い香りに、頭がクラクラッとしてくる。異国情緒満点。魚売り場では本土で見られないような原色の、色鮮やかな魚が所狭しと並んでいる。その中でも、赤い魚のミーバイが最高級魚だと大ちゃんが教えてくれた。

 野菜売り場ではタロイモの一種、水田で栽培されるターム(田芋)、乾物売り場では、乾燥させて棒状になった海ヘビのイラブーが見られた。

 圧巻はなんといっても肉売り場。肉といっても豚肉である。豚の顔の皮のチラガーや豚の耳のミミガーが目につく。豚足が山積みにされている。塩漬けにされた三枚肉が無造作に並んでいる。内蔵もごく当たり前の顔をして店先に並んでいる。沖縄人がよく豚を食べるのが一目でわかる牧志公設市場での光景だ。

 牧志公設市場近くの食堂「きよちゃんぐあ」で昼食を食べたあと、大ちゃんと別れ、那覇から琉球王朝の都の首里へ。高台にある復元された首里城を歩く。守礼門から歓会門、瑞泉門、漏刻門、広福門と5つの門をくぐり抜けると、中庭の「下之御庭」に出る。そこでは琉球古典音楽の演奏と琉球古典舞踊をやっていた。

 広福門で入場券を買い、奉神門を通って「御庭」に入る。正面に正殿、右手に南殿、左手に北殿。首里城は日本の城というよりも朝鮮半島や中国の城に近いもの。首里城は資料館にもなっているが、そこに展示されている14世紀から16世紀にかけての「大交易時代図」には目を奪われた。当時の琉球はアジア各地と盛んに交易していた。

 首里城の見学を終えると、城の周辺の園比屋武御嶽石門、王陵の玉陵(たまうどん)、琉球王家別邸の識名園と見てまわり、金城町の石畳道を歩いた。那覇に戻ると、大ちゃんと夕食を食べ、大ちゃんの家に泊めてもらった。

 那覇の泊港から出るフェリーに乗って島巡りをする。

 その第1弾が久米島だ。

 9時30分発の「フェリーなは」(久米商船)にスズキ・バーディー90とともに乗り込む。フェリーが泊港を出ていくときがすごくいい。

港をまたぐ泊大橋をくぐり抜け、泊漁港、那覇新港を右手に見、港外に出ていく。防波堤に大きく書かれた「アジアの十字路・那覇港」の文字が誇らしげで強く印象に残った。そうなのだ、那覇はアジアの十字路なのである。

 天気は快晴。海がよけいに青い。フェリーの甲板からずっと海を見る。最初に見える島は慶伊瀬島。平べったい島で、今にも波間に消えてしまいそう。日本で一番、低い島?

 次に左手に慶良間諸島の島々が見えてくる。前島、渡嘉敷島、座間味島という順に見える。11時45分、渡名喜島の渡名喜港に到着。渡名喜島は1島1村で、渡名喜村になっている。人口は600人ほど。沖縄では2番目に小さな村だ。

 12時に渡名喜港を出港。前方には久米島がうっすらと見えている。2つの島のように見える。北と南に山があって間が平坦だからだ。

 久米島に近づき、最南端の岬のすぐ近くを通過。切り立った岸壁がストンと海に落ちている。海が青い。色が濃い。吸い込まれそうな群青色だ。久米島の兼城港に到着したのは13時30分。那覇・泊港からは4時間の船旅。水深が見るからに浅そうな港で、フェリーの操船の難しさが容易に想像できた。

 久米島に上陸すると、港のターミナルビル内の喫茶店「蛍」で、沖縄そばと同じような久米島そば(500円)を食べ、「久米島一周」に出発。バーディー90を走らせ、時計回りで島を一周する。天気は変わらず、朝からずっと快晴で雲ひとつない。久米島はサトウキビ栽培の盛んな島。島のあちこちでサトウキビの刈り取りをしている。

 島の西側にある久米島空港に立ち寄り、島の北側では海辺の具志川城跡を見る。石垣が残っている。この具志川城主が沖縄本島に逃げ落ち、本島最南端の喜屋武岬近くに具志川城を築いたという。沖縄を代表する銘酒「久米仙」の工場を見学し、島の最高峰、宇江城岳(309m)山頂にある宇江城の城跡に立ち、久米島を一望した。

 島の北部、比屋定バンダの断崖上の展望台からは渡名喜島、慶良間諸島、粟国島を見た。この比屋定にはウィダ石(太陽石)がある。今から500年前、この地の“堂の比屋”という人が石に刻んだ数本の線を目印にして太陽の動きを測定したという。夏至の日の出は粟国島の真上に、冬至の日の出は慶良間諸島の久場島の真上にくるとのことだが、その間を往復する太陽を観測しつづけた。新奥武橋で奥武島に渡り、夕日が沈むころ兼城港に戻り、仲泊の民宿「南西荘」に泊まった。

 久米島から那覇に戻ると、泊港から出るフェリーに乗っての島巡りの第2弾目、慶良間諸島の渡嘉敷島に向かう。

 10時発の渡嘉敷村営の「フェリーけらま」にバーディー90ともども乗り込む。フェリーが那覇港外に出ると、那覇空港に着陸する旅客機、つづいて航空自衛隊の戦闘機がフェリーの真上を横切っていく。あまりの轟音にビックリ。

 慶良間諸島の一番、沖縄本島寄りの島、無人島の前島に近づいたところで船内放送があり、ザトウクジラを見ることができた。慶良間諸島は「ホエールウオッチング」の名所になっている。

 11時10分、「フェリーけらま」は渡嘉敷港に到着。さっそく渡嘉敷島を走る。まずは北へ。城島が目の前に見える。干潮のときには歩いて渡れる島だ。海岸通りの行き止まり地点からは前島がよく見える。

 港に戻ると、島北端の「国立青年の家」へ。そこから大谷林道に入っていく。この大谷林道の入口にはゲート。それはハブの進入防止のためのゲートで、いかにも沖縄らしい。「国立青年の家」の広大な敷地も、ハブ進入防止のコンクリートで囲まれている。舗装路を3キロほど走ると待望のダート。1キロあまりのダートを走ったが、あともうすこしで抜け出るというところで大崩落現場。そこから来た道を引き返した。

 渡嘉敷港に戻ると、今度は南へ。山間の水田では、3月中旬だというのにすでに田植えが終わっていた。

 渡嘉敷島の最南端を目指して走る。渡嘉志久ビーチ、阿波連ビーチと見ていくが、すばらしい海の青さ。とくに阿波連ビーチは今までの「島巡り日本一周」で見たビーチの中では、最高の美しさといっていい。阿波連ビーチの白い砂浜を歩きながら、対岸の阿嘉島、慶留間島、外地島を眺めた。

 渡嘉敷島の南端は舗装林道の前岳林道。行き止まり地点にバーディー90を停め、渡嘉敷島南端の風景を目に焼き付けた。狭い海をはさんで対岸のウン島を見る。

 渡嘉敷港に戻ると、港のターミナルビル2階の「渡嘉敷村民俗資料館」を見学。油壺のアンダチブや水瓶のミジガミ、豚肉の塩漬け用のスウチキーガミなどが展示されている。そこでぼくの目を引いたのは、戦前の島にあった鰹節工場の模型だ。カツオの頭、内臓をとるところから始まる鰹節づくりの工程が詳しく書かれている。

 16時発の「フェリーけらま」で那覇に戻ると、泊港には大ちゃんが出迎えに来てくれていた。大ちゃんの家に荷物を置くと、大ちゃんの同僚の山さんと3人で那覇の中心街にある天然温泉、ゆんんたくあしび温泉「りっかりっかの湯」(入浴料950円)に入った。温泉でさっぱりし、民謡酒場「地酒横丁」に行き、そのあとは居酒屋の「むつみ園」で夜中過ぎまで泡盛を飲んだ。

 那覇・泊港発のフェリーに乗っての島巡り、第3弾目は阿嘉島&座間味島だ。

 10時発の座間味村営の「フェリーざまみ」に乗船。このフェリーは阿嘉島を経由して座間味島まで行く。

「フェリーざまみ」は 11時30分、阿嘉島の阿嘉港に到着。ここで下船し、阿嘉島と橋でつながっている慶留間島、外地島の3島をめぐる。

 まずは昼食。港近くのパーラー「みやま」でタコライスを食べた。これはタコスのライスバージョン。タコスの中身をトウモロコシ粉の皮で包むのではなく、ライスの上にのせてある。メキシコ生まれのタコ(メキシコでは最後のSを発音しないのでタコになる)がアメリカ経由で沖縄に入り、沖縄料理のタコライスになった。タコスとライスを結び付けるところがすごい。阿嘉島でタコライスを食べながら、中米から琉球へと伝わった食文化、世界をダイナミックに駆けめぐる食文化に思いを馳せるカソリだった。

 タコライスに大満足して阿嘉島を走り始める。島には限られた道しかないが、その行き止まり地点まで行ってみる。まずは天城展望台に立ち、目の前に連なる岩礁と慶良間諸島最西端の久場島を眺めた。そして北へ。道の両側はうっそうとおい茂る亜熱帯樹に覆われている。阿嘉港から8キロ走ると、人一人いないきれいなビーチに出て道はそこで尽きる。目の前には屋嘉比島。久米島へのフェリーから見た目立つ島だ。そこから阿嘉港に戻った。

 次にもう1本の道を北へ。その道は3キロで行き止まり。やはりきれいなビーチで、対岸の座間味島とその周辺の無人島の島々を見る。誰もいないのを幸いに、すっ裸になり、透き通った青い海で泳いだ。慶良間諸島の海を独占しているかのような気分だった。

 阿嘉港に近い民宿「オーシム」に泊まり、翌日は南へ。阿嘉大橋で慶留間島に渡り、さらに慶留間橋で外地島に渡った。

 慶留間島は慶良間諸島の有人島の中では、一番小さな島。慶留間の集落内にある「高良家」を見る。船頭主家(しんどうしゅや)と呼ばれる旧家で、先祖は琉球の大交易時代には、唐船の船頭として大活躍したという。

 外地島は無人島。ここには慶良間空港があり、RAC(琉球エアーコミューター)が1日1便、那覇との間を飛んでいる。この島には「世界平和祈念碑」が立っている。太平洋戦争末期の1945年3月26日早朝、米軍第77師団がこの地に上陸した。外地島は太平洋戦争での「米軍上陸第一歩」の地。

 慶良間諸島に米軍が上陸したことによって、多くの島民が集団自決した。渡嘉敷島では329人、座間味島では171人、慶留間島では53人、屋嘉比島では10人、阿嘉島では2人と、言葉を失うほどの悲惨さだ。

 阿嘉港発11時45分の「フェリーざまみ」で座間味島に渡る。12時、座間味港到着。港前の食堂「ざま味」で「沖縄そば」を食べ、バーディー90を走らせ、島の西半分を時計回りでぐるりと回る。

 阿真ビーチからは対岸の阿嘉島を見る。

 島の西端、神の浜展望台からは目の前に屋嘉比島、左手に阿嘉島、その間に久場島を見る。

 島の北岸、稲崎の展望台ではホエールウオッチングをしている人たちがいた。ここでクジラを発見すると、無線でホエールウオッチングの船に連絡する。この季節だとほとんど毎日、クジラを見ることができるという。

 最後に島一番の絶景ポイントの高月山の展望台に立ち、座間味港に戻った。15キロの島半周。

 次に島の東側の行き止まり地点のチシ展望台まで行ってみる。その途中の古座間味ビーチがきれいだった。

 座間味港に戻ると、「慶良間海洋文化館」を見学し、港に近い「ペンションざまみ」に泊まり、翌日、那覇に戻った。

 那覇・泊港発のフェリーに乗っての島巡りの最後は粟国島だ。

 10時発の粟国村営の「フェリーあぐに」に乗り、12時30分、粟国島に到着。フェリーターミナルビルの「港食堂」で「ソーキそば」(500円)を食べると、さっそく粟国島を走りはじめる。

 まずは島の西端のマハナ岬へ。そこまで6キロ。岬の高さ100メートルの断崖上には展望台と灯台。港に戻ると、サンゴ礁のウーグ浜を歩く。そこではタナジャーという貝を採る人たちを見る。ソテツの大群落を見、最後に洞寺へ。琉球民謡「むんじゅる」発祥の地碑と「むんじゅる像」が建っている。港に戻ると、14時発の「フェリーあぐに」で那覇泊港に戻った。

 那覇泊港から那覇新港へ。

 大ちゃんらが見送りにきてくれる。有村ラインの「クルーズフェリー飛龍21」に乗船。那覇から名古屋へ。「島巡り日本一周」もあとは八重山諸島編を残すだけとなった。