賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

1,500峠、達成!(2003年8月12日) Achieved 1,500 Ridges!

1500峠を越えて!

(『ツーリングGO!GO!』2003年11月号 所収)

 

「さー、1500峠だ!」

 と、意気揚々とした気分で北海道に乗り込んだ。

 1496峠を越えたところで、記念すべき1500峠目を北海道の峠で達成しようというのだ。

 東京からスズキDR-Z400Sを走らせ、出発点の帯広駅前に立った。感慨無量!

「峠越え」をはじめた日のことが鮮やかによみがえってくる。

 

 それは忘れもしない1975年3月28日。

 埼玉県の「奥武蔵の峠」を越えようと、西武線の飯能駅前を走り出し、国道299号で高麗峠、正丸峠と越えた。

「これから日本中の峠を越えてやる!」という期待感と、「ほんとうにできるのだろうか…」という不安感の入り交じった気持ちで峠を越えたが、結婚直後ということもあって当時27歳のカソリ、気持ちは大きく揺れていた。

 

 早朝の帯広駅前をスタート。DR400のアクセルをひとひねりし、第1番目の三国峠に向かった。十勝川を渡り、広大な十勝の平原を見ながら走っていると、この記念すべき日を迎えられた喜びで胸がいっぱいになってくる。

 

 今回の「北海道の峠越え」では1500峠を達成するだけでなく、ひとつづつの峠を越えながら、峠というものをあらためて考えてみようと思う。「カソリの峠考」だ。

 

 さて、第1番目の三国峠だが、「三国峠」という峠名は日本各地にある。そのほとんどが3国の国境にそびえる三国山とセットになっている。

 

 北海道の場合も同様で、三国山は十勝・石狩・北見3国の国境になっている。ところが山は3国の国境でも、峠は山頂を越える訳ではないので、例外なしに2国の国境になる。北海道の三国峠は十勝・石狩の国境の峠ということになる。

 

 峠名をつぶさにみいくと、その峠がどのような峠なのかがわかってくる。

 国境や郡境、市町村境といった境の峠だったり、峠をはさんだ2つの結びつきの強いエリアが鮮明に浮かびあがってきたり、峠にまつる神仏をうかがい知ることができたり…。 峠名にまつわるおもしろさは尽きることがない。

 

 国道273号で上士幌町の糠平温泉を過ぎると、一気に山中に入っていく。かつての鉄道の終点、十勝三股駅の周辺には白や紫、赤紫のルピナスの花が咲いていた。たまらなくいい匂いがする。十勝三股を過ぎると、三国峠に向かってグングン高度を上げていく。なんとも気分の良い峠越え。高度を上げるごとに、北海道中央部の石狩山地の山々の眺望がよくなってくる。

 

「三国峠」の碑の立つ峠の展望台に立ち、そこからの風景を目に焼き付け、峠のトンネルを抜けて石狩側に入った。三国峠の展望は十勝側の方がはるかに良い。

 三国峠を越えて石狩側に入ると、十勝川から石狩川へと川が変わる。

 

 峠道を一気に下り、国道39号に合流すると、次に石狩・北見国境の石北峠に向かって登っていく。

 峠上には食堂やみやげもの屋がズラリと並んでいる。

「峠越え」の苦労は昔も今も変わらない。そのため、峠にたどり着けばひと休みしたくなる。それが「峠の国」の日本人の習性というものだ。だからこそ「峠の力餅」に代表されるような峠の名物ができる。バイクでの峠越えもけっこうきついものがあり、峠に着くとほっとする。そこで飲む1杯の茶がうまい。

 

 石北峠で折り返し、石狩側の上川に下った。そこからは国道333号で北見峠に向かっていく。峠道を登りつめ、峠に立ったときは「あっ!」と声が出た。峠の様子がすっかり変わっていたからだ。北見峠には1999年の「日本一周」のときに越えた。そのときは台風の暴風雨をついてオホーツクの海岸から峠を目指し、やっとの思いで峠に着くと、びしょびしょの格好で峠の茶屋に飛び込んだ。そこで食べた「月見うどん」に生き返る思いがした。

 

 そんな北見峠だが、北見峠の真下をブチ抜くの旭川紋別自動車道の北大雪トンネル(全長4098m)が完成すると、北見峠を越える交通量は激減し、峠の茶屋も閉鎖に追い込まれていた。峠の盛衰を北見峠に見る思いがした。

 

 北見峠も峠で折り返し、峠を下ったところで国道273号で浮島峠に向かった。

 この峠は初めての峠。この「初峠」に向かっていくときの期待感がたまらない。どのような峠なのだろうか、どのような風景なのだろうか、峠はどのようになっているのだろうかと、初めての峠への想像をめぐらす。この「初峠」への情熱がここまで「峠越え」をつづけてこられた一番の理由だと思う。

 

 浮島峠は走りやすい峠道だった。

 峠を貫く新道の浮島トンネルを抜けたところで、「1497峠目」をカウントした。これで1500峠が一歩、近づいた。あと、3峠。

 

 ふたたびトンネルを抜けて戻ると、今度は旧道に入っていく。旧道の残っている峠では極力、それも走るようにしている。浮島峠の旧道は絶好のダートコース。

「おー、こういう峠道もあるのか」

 と、うれしくなってしまったほど。10キロあまりのダートを嬉々として走り、峠を越えたところで国道273号で滝上へ。さらにはオホーツク海の紋別まで下った。

 

 紋別で泊まり、翌朝、オホーツク海の海岸へ。

 オホーツク海には霧が漂い、水平線も定かではなかった。国道273号で滝上まで戻ると、道道61号で上紋峠へ。オホーツク海側はずっと濃霧。峠を登り、北見と天塩の国境の上紋峠に着くと、天気が劇的に変わった。

 

 峠の上空を激しい勢いで雲が流れ、雲の切れ目からは青空が顔をのぞかせていた。さらに驚かされたのは、天塩側へと峠を下っていくと、なんと天塩側では抜けるような青空が広がり、カーッと真夏の強い日差しが差し込めていたことだ。

 

 天塩川の源流地帯からは道道101号で於鬼頭峠に向かったが、峠のトンネルを抜けて石狩側に入ったとたんに上空には真っ黒な雨雲が広がり、峠を下っていくとザーッと雨が降ってきた。峠を境に北見は濃霧、天塩は晴天、石狩は雨天。なんとも鮮やかな天気の変化だった。

「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨がふる」

 と、鈴鹿峠の「鈴鹿馬子唄」で歌われているが、これが峠なのだ。

 

 峠の東側、坂下は晴れているが、鈴鹿峠は曇り、峠の西側の土山は雨というもので、上紋峠、於鬼頭峠の峠越えも「鈴鹿馬子唄」とまったく同じような状況だった。

 

 於鬼頭峠を下った上川盆地の中心地、旭川からは国道40号で石狩と天塩の国境の塩狩峠を越え、峠を下った士別から再度、上紋峠を越えた。滝上まで戻ると、そこでひと晩、泊まった。

 

 翌日は待望の1500峠達成を目指す。

 滝上を出発すると、道道61号から道道137号に入り、滝上町と西興部村の境の札久留峠を越えた。この札久留峠が1498峠目になる。あと2峠。

 

 西興部村に入ると、同じ道道137号で瀬戸牛峠を越えた。この瀬戸牛峠が1499峠目。ついに1500峠に「王手!」をかけたのだ。

 1500峠目を目指して気持ちがやはる。それ行け~!

 

 西興部からは国道239号で北見・天塩国境の天北峠を越えた。

 峠を下った下川からは道道60号で幌内越峠を越えた。幌内越峠を下ると、道道40号とのT字の分岐。この道道49号で越える松山峠が1500峠目になるのだ。

 

 2003年8月12日午前11時15分、DR-Z400Sともども松山峠に立った。 1500峠達成の瞬間だ。「オレはやったゼ!」といった高揚した気分。クマでも出てきそうな峠上で思いっきり大声を出して「万歳!」をした。

 

 目をつぶると、次々と過ぎ去った「峠越え」のシーンがまぶたに浮かんできた。

 長野・岐阜県境の神坂峠がハードなダートだったころ、雪解けをねらって峠を越えたのだが、土砂崩れにはまり込み、にっちもさっちもいかなくなった。あのときに助けてくれた営林署のみなさんの顔が浮かんでくる。ひと晩、宿舎に泊めてもらい、イノシシの肉を肴に酒をくみかわしたっけ…。

 

 松山峠はぼくにとっては忘れられない峠になった。

 1500峠を達成し、これで2000峠がぐっと現実味を帯びてきた。

「日本の全峠を越えよう!」ということではじめた「峠越え」。最終的な目標は3000峠においている。松山峠で1500峠を達成したことによって、無性に3000峠を越えたくなった。「よ~し、とことん、やってやろう」。それがぼくの松山峠での決心だ。

 

 松山峠を下った美深からは国道40号を北上。音威子府で天北峠に向かう。最後のカーブもスピードを落とさずに曲がり天塩・北見国境の天北峠に到着! ここが最後の峠だ。 天北峠からさらに北へと中央分水嶺はつづくが、この峠よりも北にはもう名前のついた峠はない。天北峠が名前のついた峠としては最北の峠になる。

 

 1500峠を達成した「峠越え」の最後を飾るにふさわしいドラマチックな夕焼け。峠にバイクを停めると、夕日が道北の山々に落ちるまで見つづけた。真っ赤に染まった夕空は刻々と色を変え、正面に見えるペンケ山、パンケ山をも染め、そして夕日はパンケ山の向こうに落ちた。それを見届けると峠を下り、峠下の中頓別町のピンネシリ温泉に入り、かつての天北峠を越える鉄路、天北線の中頓別駅前の旅館に泊まった。

 

 翌朝、日本本土最北端の宗谷岬へ。ここが中央分水嶺最北の地。日本列島は宗谷岬から佐多岬まで日本海と太平洋を分ける中央分水嶺の線できれいに2分されているが、そのうち北海道の三国山以北の中央分水嶺は日本海とオホーツク海を分け、最後は宗谷丘陵となって宗谷岬に落ちている。

 

 宗谷岬でカソリ、胸を熱くさせ、宗谷海峡の向こうのサハリンに向かって思わず叫ぶのだった。

「次は2000峠だ!」