賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

海道をゆく(20)「能登半島編」ガイド

(『ツーリングGO!GO!』2005年8月号 所収)

1、金沢城

 すっかり新しくなった金沢駅前をスタートし、まずは「加賀百万石」の城下町、金沢のシンボルの金沢城へ。石川門をくぐり、金沢城公園を歩いた。藩祖、前田利家の銅像ともご対面。「いやー、いやー、利家さん!」とあいさつをかわした。「加賀百万石」と言われたように、加賀藩は幕府を除けば、最大の石高を有する大藩だった。第2位は73万石の薩摩藩、第3位は62万石の尾張藩なので、加賀藩の石高がいかにすごかったかがよくわかる。金沢城は犀川、浅野川の2つの川にはさまれた小立野台の先端にある。2つの川が天然の堀の役目をはたす要害の地だ。

2、金石(かないわ)

 金沢の中心街、武蔵辻から県道17号で犀川河口の町、金石へ。ここは江戸時代には金沢の外港として繁栄した。当時は宮の腰と呼ばれていた。北国街道の武蔵辻から宮の腰に通じる「宮の腰往還」は加賀の重要な街道だった。宮の腰は江戸時代の豪商、銭屋五兵衛、通称「銭五」の本拠地だった。「銭五」の最盛期には松前、箱館、青森、弘前、江戸、大坂、兵庫、長崎に支店があった。幕府の目をかすめてロシア船やアメリカ船と密貿易もしたという。金石の県道8号沿いには、そんな銭屋五兵衛の資料を展示している「銭屋五兵衛記念館」がある。

(データ)「銭屋五兵衛記念館」 電話076-267-7744 入館料500円 9時~17時 火曜休み

3、なぎさドライブウエイ

 千里浜(ちりはま)の波打ち際を走る「なぎさドライブウエイ」は、ロードバイクでもまったく問題なく走れた。爽快度満点。固く締まった砂浜が延々と続く。大型観光バスやトラックまで走っているのは驚きのシーン。有料の能登道路の今浜ICから千里浜ICまでの7キロ間が走行可能区間だ。今浜IC近くの海岸には何軒かの屋台が並んでいる。そのうちの1軒で「焼きはまぐり」と「サザエの壺焼き」を食べたが、目の前の砂浜を行き来する車やバイクを眺めながら食べる気分は最高だ。前方には滝漁港の岬がひときわ目立って見える。

4、気多大社

 能登の一の宮の気多大社は、滝漁港近くのR249からわずかに山側に入ったところにある。祭神は「大己貴命(おおなむちのみこと)」。出雲神話で知られる「大国主命(おおくにぬしのみこと)」のことだ。神社の裏手は「入らずの森」と呼ばれる原生林。シイやタブ、ツバキなどの照葉樹林がうっそうとおい茂っている。この気多大社の社叢は北陸地方では第一の自然林で、太古からの姿を今にとどめている。毎年12月16日におこなわれる「鵜祭り」は有名だ。七尾市の鵜ノ浦断崖で鵜を捕らえるところから始まるこの神事は、大国主命を迎えた時以来、連綿と続いているという。

5、福浦港

 三方を丘陵で囲まれた福浦は天然の良港。北陸一の避難港として昔からにぎわった。港を見下ろす高台には「福浦よいとこ入船出船 波に黄金の花が咲く」と、福浦の繁栄を歌った歌碑が建っている。奈良時代の宝亀3年(772年)に渤海国の使者、壱万福らの乗った船がこの港に漂着して以来、120年間、福浦港は渤海使節の船の着く港だった。大陸にも近い福浦港は当時の日本の表玄関だった。ここには(現存するものとしては)日本で一番古い木造灯台(明治9年に建造)が残されている。慶長年間には地元の住人、日野長兵衛が篝火(かがりび)を焚いたという。江戸時代の元禄年間には灯明堂が建てられ、日野家が代々、灯明役として灯台を守ったという。

6、能登金剛

 福浦港から関野鼻までの風光明媚な33キロの海岸線は「能登金剛」といわれている。その間には海食洞の「巌門(がんもん)」や能登二見といわれる夫婦岩の「機具岩」、断崖がスパッと割れて奥深くまで入り込んだ「義経の舟隠し」、能登金剛では一番スリリングな断崖絶壁の「ヤセの断崖」などの名所がある。関野鼻は能登金剛一の観光地で、遊歩道を下った関野鼻洞窟内にはなまめかしい裸弁天がまつられている。「関野鼻パークハウス」内のレストランでは「いしる貝焼き定食」(1500円)を食べた。能登半島独特の魚醤油のいしるを使った貝焼きでホタテやカニ、野菜類が入っている。とくにいしるのしみ込んだナスなどの野菜類がうまい。

7、猿山岬

「天領北前船資料館」のある黒島でR249と分かれ、さらに海沿いのルートを行くと、深見漁港で道は尽きる。その先は人を寄せつけない大断崖がそそり立っている。深見から舗装林道経由で能登半島西北端の猿山岬へ。駐車場にバイクを止め、遊歩道を歩く。まずは娑婆捨(しゃばすて)峠へ。水平線上にはかすかに日本海の孤島の舳倉島が見えている。そこからは断崖上の小道を歩く。駐車場から徒歩15分で猿山岬に到着。断崖上には猿山灯台が建っている。岬周辺には雪割草の群生地。猿山岬から皆月湾の皆月に下っていくが、深見から皆月にかけての一帯はまさに能登半島の秘境だ。

8、大沢の間垣

 間垣というのは高さ5メートルほどの竹を隙間なく並べ立てた垣根で、日本海を渡って吹いてくる冬の強烈な季節風から家々を守るもの。西保海岸の大沢の間垣は見事なものだった。冬の厳しさが想像できたし、この間垣を維持するために、どんなに大変な思いをしていることか…。冬の大沢をものすごく見たくなった。

9、輪島

 輪島では輪島温泉の国民宿舎「輪島荘」に泊まった。海岸を見下ろす高台上にある人気の国民宿舎だ。さすが漆器の町、輪島だけあって、夕食には輪島塗りの見事な蒔絵の漆器が使われた。なんともリッチな気分の夕食になった。翌朝は国民宿舎に近い鴨ヶ浦海岸の遊歩道を歩いてから輪島の町に入った。漁船で埋めつくされた輪島漁港の一角から舳倉島への船(1日1往復)が出ている。「う~ん、舳倉島に渡ってみたい…」。そして250店以上の露店が並ぶ朝市を歩いた。歩きながらいしる焼きの「鯛ちくわ」(1本200円)を食べた。ここは「日本三大朝市」のひとつ。輪島は魅力度満点だ。

10、白米(しらよね)の千枚田

 輪島から曽々木海岸に向かう途中のR249沿いにある。山の斜面には全部で1004枚の棚田。それが日本海へと落ちている。国道わきの「千枚田ポケットパーク」からはこの風景を一望できる。どれもがチマチマした田で、1枚の田は平均2坪(約6・6平方メートル)にも満たない。米作りに執念を燃やし、懸命になって生きてきた日本人の姿、日本の歴史というものを白米の千枚田は見事に描き出している。おすすめは夕日を浴びた千枚田。とにかくきれい。日本海と1000余枚の田がまぶしいくらいにキラキラ光り輝くのだ。

11、曽々木海岸

 曽々木海岸のシンボルはR249のすぐわきにある窓岩。海岸の岩の真ん中に直径2メートルほどの穴があいている。長年に渡る風や波でできたものだ。「能登の親不知」といわれるほどの曽々木海岸のすごさは、R249で曽々木トンネルを走り抜けてしまったらわからない。トンネルの入口にバイクを止めるスペースがあるが、そこから歩いて岩肌むき出しの遊歩道のトンネルを抜け出てみよう。見上げるような断崖がストンと海に落ちている。すごい光景だ。400メートルほどの遊歩道を歩いたところには高さ15メートルの垂水(たるみ)の滝が海へと流れ落ちている。

12、禄剛崎

 能登半島東北端の禄剛崎は大きな分かれ目。ここで外海(日本海)に面した外浦海岸と内海(富山湾)に面した内浦海岸に分かれる。まさに「能登」を2分するポイントだ。切り立った岬先端の断崖上に立つと、目の前には大海原が広がっている。ここからは海から昇る朝日と海に沈み夕日を見られる。崖下の千畳敷と呼ばれる岩礁には荒波が打ちつけ、白く砕け散っていた。禄剛崎は古来より、日本海航路の重要地点とされてきた。このあたりの地名が狼煙(のろし)であることからもわかるように、海岸防備の拠点で、奈良時代にはすでに狼煙台が置かれていたという。

13、見付島

 岸辺に浮かぶ軍艦のような島なので「軍艦島」ともいわれる。その昔、弘法大師が佐渡から能登へ渡ったとき、真っ先に見つけた島なので「見付島」の名がついたという。どこからでも目につく島で、内浦海岸の絶好の目印になっている。

14、穴水の弁天島

 海沿いを走る県道34号から歩いて渡れる島。弁天と恵比寿がまつられている。祠の前には「魚霊塔」。ここからは能登島がよく見える。内浦海岸にはこのほか蛸島、恋路海岸など、全部で5ヵ所に「弁天島」がある。全国的にみても、「弁天島」は一番、多い島名。そのほとんどが漁港周辺にある小島だ。

15、能登島

 七尾湾に浮かぶ大きな島。能登島大橋とツインブリッジのとの2本の橋で島に渡れる。島一周は約40キロ。能登島を境に七尾湾は七尾北湾、七尾西湾、七尾南湾と、3つの海に分けられる。島の南側にはひょっこり温泉「島の湯」(入浴料450円)。大露天風呂からは対岸の七尾の町並みを望む。