賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの峠越え(25) 中国編(8):山口の峠(パート2) (Ridges in Chuugoku Region)

 (『月刊オートバイ』1996年4月号 所収)

 

「山口の峠」の第2弾は、秋吉台周辺の峠。日本最大のカルスト台地、秋吉台は山口県内でも最高のツーリング・スポットだ。

 台地に露出した石灰岩の岩柱(ラピエ)が無数、林立している風景は、

「おー!」

 と、思わず声が出てしまうほど。日本離れした風景なのである。

 

 その地下にある大鍾乳洞の秋芳洞が、これまたすごい。地下神殿といった趣の日本一の鍾乳洞なのだ。

 秋吉台、秋芳洞をしっかりと目に焼き付け、山陽から山陰へ、山陰から山陽へと、次々に中央分水嶺の峠を越えていくのだった。

 

連泊の湯田温泉

 前回の「山口の峠・パート1」では、山口県の県庁所在地、山口市を出発点にして、山口盆地の峠を越えた。

 最後に防長(今の山口県は周防と長門の2国からなっていた)の歴史がしみついた萩往還(往還とは街道のこと)の坂堂峠を越え、山口に戻ったのだ。

 

 この坂堂峠だが、下っていくとすぐに山口の市街地が見え、五重塔のある瑠璃光寺のわきに出る。山々が山口の町並みのすぐ背後まで迫っているのがよくわかる坂堂峠だった。

 宿泊は山口の中心街に隣あった湯田温泉。民営国民宿舎の「小てる」に連泊した。受付のオッサンはブスッとしているし、サービスのあまりよくない宿(1泊2食6000円という安い宿泊費なのだから、当然のことか‥‥)だが、連泊すると、わが家に帰ってきたような安堵感を感じる。

 

 さっそく、温泉に入る。無色透明の湯につかると、1日走った疲れがスーッと抜けていく。ツーリングには、なんたって温泉だ!

 湯上がりにキューッと飲む冷えたビールがうまい。そして食堂で夕食。そのあとは、部屋でビールを飲みながら、

「さーて、明日はどんなふうに走りまわろうか‥‥」

 と、計画をねる。

 

 部屋に広げた地図(昭文社の分県地図・山口県)をたんねんに眺める。ぼくはこの時間が好きなのだ。地図はビールのつまみには最高!

 あきることなく、いつまでも見つづける。頭の中いっぱいに、夢がふくらんでいく。ぼくにとっては、地図ほど夢をかきたてられるものはない。

 日本の地図でも、世界の地図でも、地図ならば何でもいいのだ。地図を見ていると、無性にオートバイを走らせて、思いっきり駆けまわりたくなってくる。

 

 存分に地図を楽しむと、今度は時間をかけてゆっくりと湯につかる。温泉効果と1日オートバイで走りまわった疲れとあいまって、ぐっすりと眠ることができる。この眠りの気持ちよさがあるので、ぼくはよけいに温泉が好きなのだ。

 

防長国境の峠

 翌朝は、いつものように朝風呂に入り、宿で朝食を食べ、8時に「小てる」を出発。峠越えの相棒スズキDJEBEL200のエンジンを始動させ、あたためたところで走りだす。

 第1番目の峠はR435の大峠だ。

 山口の市街地を抜け出るとすぐに登りがはじまる。登坂車線のある峠道を一気に駆け登り、峠を貫くトンネルにさしかかる。

 

 トンネルの入口には、

「国道435号 最高地点大峠 標高298m」

 と書かれた木標が建っている。

 さらに、そのわきには、駐車場つきの峠公園があるのだ。DJEBELを止めて、日本風庭園の東屋でひと休みする。

 山口県はほんとうにエライのだが、多くの峠で、キチッと峠名を表示しているし、このような峠公園がいくつもある。

 ところで大峠は日本中にある峠名。峠名のベスト10に入るくらいに多い。大峠に対して小峠もあるが、小峠の方は、大峠ほど多くはない。

 

 大峠のトンネルを抜け、峠下ったところで、国道を右折し、今度は旧道で大峠を越える。峠の頂上には、石づくりの“国境”の碑が建っている。

 大峠は山口市と美東町の境の峠だが、山口市は旧国名でいうと周防(防州)になり、美東町は長門(長州)になる。大峠は防長国境の峠なのである。

 

 R435の旧道の大峠近くからは、県道309号に入り、明敷峠に向かう。車1台がやっと通れるくらいの道幅。小刻みなコーナーが連続する。

 美東町と旭村の境の明敷峠に到着。大規模林道(舗装路)が、峠で分岐している。この明敷峠は大峠の北側の峠になるが、中央分水嶺の峠で、瀬戸内海側の山陽と日本海側の山陽を分けている。

 明敷峠を越え、R262の旭村の中心地、佐々並まで下る。カンコーヒーを飲んで気合を入れ、

「さー、行くゾ」

 と、DJEBELにひと声かけ、来た道を引き返しもう1度、明敷峠を越え、旧道の大峠からR435戻るのだった。

 

城下町の萩へ

 美東町からR490を北上。途中の分岐を右へ。県道32号萩秋吉線で雲雀峠を越える。標高246メートルの中央分水嶺の峠だ。ここにも峠名を表示する木標が立っている。

 この県道32号は、萩秋吉線の名前どおり、萩と秋吉を結ぶメインルートで、交通量も多い。

 

 美東町と旭村の境の雲雀峠を下るとR262に合流し、山口県の日本海に流れ出る川のなかでは最大の阿武川に沿って走る。もう、日本海がすぐ近くだというのに、阿武川の両側には山々が迫っている。

 突然、といった感じで山が途切れると、海沿いの平野の向こうにミニ富士の山が見える。萩の指月山だ。

 

 阿武川は、海に入る手前で松本川、橋本川の2つに分かれ、三角州をつくる。その上にできたのが、毛利氏36万石の城下町、萩なのだ。萩は島のようなもの。2つの川に挟まれた“島”が川内、川向こうが川外と呼ばれている。

 DJEBELで城下町の萩に入っていく。萩は戦災にもあわなかったし、急激な近代化の波にもまれることもなかったので、今でも城下町の面影がよく残っている。“城下町絵図”といった古地図を見ながらでも町をまわれるくらいだ。

 

 萩城址に行く。萩城は日本海に突き出た指月山にあった。どこからでも目につく形の山なので、町の中から、ひょっとした拍子に屋根と屋根の間に見えたりする。

 萩城は指月山麓の本丸と一の丸、二の丸、指月山頂の詰の丸から成っていた。麓の平城と山頂の山城を組み合わせた平山城だった。DJEBELを止め、かつては五層の天守閣がそびえ建っていた天守台に立ち、冷たい木枯らしに吹かれていると、

「諸行無常」

 の言葉どおりの、歴史の無常を強く感じるのだ。

 

 萩からは日本海沿いのR191を下関方向にわずかに走り、左折し、R490を今度は南下する。国道とは名ばかりのマイナーなルートで、山中に入ると、ルートをフォローするのも難しい。2つの名無し峠を越え、中央分水嶺の笹目峠を越え、また、美東町に戻ってくるのだった。

 

秋芳洞と秋吉台

 美東町から秋芳町に入り秋芳洞を見学。さすがに東洋一といわれる大鍾乳洞だけあって、観光シーズンを外れた季節にもかかわらず大勢の観光客が来ていた。とくに、団体が目立つ。

 秋芳洞の入口までは、500メートルほどの歩道。その両側には、みやげもの屋がずらりと並んでいる。特産の大理石を加工した置物などのみやげものが目につく。

 

 入洞料の1240円は、ちょっと痛いが、秋芳洞にはそれだけの見る価値がある。洞内のひんやりとした空気。音をたてて流れる透き通った水。“黄金柱”と呼ばれる高さ15メートルの大石灰崋柱や“百枚皿”と呼ばれる“千枚田”風の石灰華段丘は目に焼きつく自然の神秘だ。秋芳洞を歩いていると、地底の大神殿かなにかに、迷い込んだような錯覚にとらわれる。

 

 秋芳洞からは、通称“カルスト・ロード”の県道32号萩秋吉線で、カルスト台地の秋吉台を行く。

 ラピエと呼ばれる白っぽい石灰岩柱が、無数、草原に林立している。この風景は、色こそ違うが、アフリカのサバンナ地帯や北部オーストラリアなどで見る無数のアリ塚に似ている。

「この下が、秋芳洞なのか‥‥」

 と、感動してしまう。

 同じ石灰岩でできたものだけど、カルスト台地の秋吉台と、鍾乳洞の秋芳洞では、まったく異なる世界。それが地上と地下で、隣りあっている。これは、まさに芸術品。自然は天才だ!

 

 カルスト台地の秋吉台を走り、大正洞の前を通り、景清洞へ。ここでは鍾乳洞に入らず、人工温泉の「景清洞トロン温泉」(入浴料500円)の湯に入った。

 さっぱりした気分でふたたび走り、県道32号から28号に入り、中央分水嶺の山中峠を越える。気がつかないまま、越えてしまいそうになるほどの、ゆるやかな峠。中国山地もこのあたりになると、角のとれた、台地に近いような山並みになる。

 そんな山中峠を下り、三隅町のR191に出た。

 

心に残る於福温泉

 三隅町のR191のすぐ近くに、湯免温泉がある。町営の「湯免ふれあいセンター」(入浴料500円)の大浴場と露天風呂に入り、食堂で遅い昼食を食べ、もう1軒、「湯免観光ホテル」の大衆浴場(入浴料150円)にも入った。

 連チャンの湯にのぼせ、フラフラになったところで寒風を切り裂いて走るのもなかなか、気分のいいものである。

 

 湯免温泉を出発し、R191を萩方向にわずかに走り、国道を右折。県道36号で中央分水嶺の杉山峠に向かう。さきほどの山中峠よりは、はるかに峠らしい峠で、山深い風景になる。

 三隅町と秋芳町の境の杉山峠を越える。秋芳町に入り、峠を下ったところで、白糸ノ滝に寄り道する。県道から2キロほどの距離。

 

 白糸ノ滝の入口には、雌雄2体のカッパ像がまつられている。遊歩道を歩いて滝の下までいったが、その名のとおり、優美な滝だ。

 滝壺の水を手ですくってバシャバシャと顔を洗う。

「ヒェー!」

 と、思わず声が出てしまうほど冷たい水だ。頭の芯にまでズッキーンと響くような冷たさだった。

 

 杉山峠を下り、山地を抜け出たところで、県道239号で鐙峠を越える。ゆるやかな峠を下っていくと、さきほどの景清洞の近くに出る。急に、もう1度、カルストが見たくなり、秋吉台を往復した。そして、再度、鐙峠を越え、秋芳町の中心、秋吉に出た。すでに日は落ち暗くなっていた。

 秋芳町の秋吉からは、R435で美祢へ。炭鉱で栄えた美祢だが、今では、セメントの原料、石灰岩の大産地になっている。

 

 美祢からは、R316を北上。日本海側の長門市を目指す。大ヶ峠の下、於福温泉でDJEBELを止めひなびた温泉宿の「ふくや旅館」で泊まる。

 湯に入り、夕食を食べたあと、浴衣に半天という格好で、下駄をカランコロン鳴らしながら、駅まで歩いていく。JR美祢線の於福駅だ。駅の待合室でカンコーヒーを飲む。ただ、それだけのことだけど、すごく幸せな気分になる。

 

 次に、共同浴場(入浴料150円)に行く。

 番台のおじいさんに、どこから来たのかと聞かれ、

「神奈川県から」

 と答えると、

「それは遠くから、よく、来たねー!」

 といわれ、

「この於福温泉は1300年前に弘法大師によって発見されたので“弘法の湯”ともいわれているのだよ。湯の放射能の成分が、体にとってもよく効く。今の時代、湯を循環させて使っている温泉が多いけれど、ここは、みんな、流しっぱなし。使い捨てだから、いつも、新しい湯だよ」

 と、於福温泉の説明もしてくれた。

 

 共同浴場の湯船は2つ。やはり、おじいさんが、湯につかっていた。今度は、そのおじいさんと“湯の中談義”をする。

「こうして、毎日、温泉に入れるのが、人生の最高の幸せだね」

 

 翌朝は、朝風呂に入り、早めにしてもらった朝食を食べ、7時半に於福温泉を出発。じきに、大ヶ峠にさしかかる。峠のトンネルの入口には、

「国道316号最高地点 大ヶ峠 標高213m」

 の木標が立っている。

 

 大ヶ峠は美祢市と長門市の境の峠。美祢市側にはラブホテルがあって峠の風景をブチ壊しているが、トンネルを抜けた長門市側には“大ヶ峠隧道開通”の記念碑が建つ峠公園がある。錦鯉の泳ぐ池があり、きれいなトイレもある。

 大ヶ峠を下ったところが長門湯本温泉。共同浴場の「恩湯」(入浴料140円)に入ったあと、長門市の中心街へ。JR山陰本線の長門市駅前を「山口→長門」のゴールにするのだった。