賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの峠越え(23) 中国編(6):山口・島根県境の峠 (Ridges in Chuugoku Region)

 (『月刊オートバイ』1995年2号 所収)

 

 広島・山口・島根3県の県境にそびえる冠山(1339m)から西につづく山並みは、山口・島根の県境になっている。つまり、峠が県境なのだ。

 山口から島根へ、島根から山口へ……と、ひとつづつ県境の峠を越えていったのだが、あらためて、

「日本は“峠の国”だな」

 と、実感させてくれるほど、峠が多いエリアだ。

 

岩国で錦帯橋を見る!

 山口・島根県境の峠越えの出発点は、岩国だ。

 夜明けの岩国港の岸壁にスズキDJEBEL200を止め、瀬戸内海を赤々と染めて昇る朝日をながめる。感動の瞬間。思わず手を合わせたくなるほどの神々しい光景だ。

 空には、雲ひとつない。

「やったネー!」

 と、もう、それだけでうれしくなってしまう。

 

 早朝のJR山陽本線の岩国駅でもDJEBELを止め、カンコーヒーを飲みながら、地図を広げる。これはぼくの峠越えの、儀式のようなものだ。

「さあ、出発だ!」

 DJEBELのアクセルを軽く開き、R2で錦帯橋へ。

 

 岩国駅から4キロほどの錦帯橋は、錦川にかかる木造の名橋だ。歴史的な橋としては、日本を代表するものといっていい。錦川対岸の山の上には、岩国城が見える。

 錦帯橋は長さ210メートル、幅5メートル。5個の美しいラインを描くアーチをクギを1本も使わず、木組みによってつなぎ合わせた特殊な構造だ。そのために、“日本三奇橋”のひとつに数えられている。その他の2つは木曽ノ桟(長野県)と大月の猿橋(山梨県)になる。

 

 この錦帯橋は歴史の古い橋で延宝元年(1673)に、岩国藩主の吉川広嘉が架設したという。日本の技術のすばらしさを証明しているようなものだが、それ以来、20年ごとにかけかえられてきた。そんな錦帯橋を歩いて渡り、また、戻ってくるのだ。

 錦帯橋の下を流れる錦川の清流には、目を奪われてしまう。澄みきった流れなのだ。このあたりは山地から平地へ流れ出るところだが、瀬戸内海の河口まではわずかな距離でしかない。それでいて、この清流だ。“山紫水明”の国、日本を強く感じさせてくれる。

 

錦川に沿って傍示ヶ峠へ

 錦帯橋を十分に堪能したあと、錦川沿いにR2を走る。数キロ走り、左に折れていくR2と分かれ、R187に入っていく。このR187で、山口・島根県境の第1番目の峠、傍示ヶ峠を越えるのだ。

 R187はいい!

 たえず左手に、錦川の清流をながめながら走る。快適なリバーサイド・ラン。DJEBELのエンジン音も、ひときわ軽快に聞こえる、というものだ。錦川の両側には山々が迫っている。対岸には錦川清流鉄道が走っている。

 

 岩国から40キロ、錦町に到着。錦川清流鉄道の終点だ。錦町駅前でDJEBELを止め、記念撮影。この錦川清流鉄道は、旧国鉄時代は岩日線。岩国と島根県の日原を結ぶ計画だったが、残念ながら線路は錦町より先には延びなかった。

 錦町の、錦川にかかる橋のたもとのコンビニ店で、おにぎりとカン入りのお茶を買い、河原で朝食。朝日を浴びながら、錦川の清流を目の前にしておにぎりを食べる。ただ、それだけのことなのだけど、無性にうれしくなってしまうのだ。

 

 錦町を出発。R187の山口・島根県境の傍示ヶ峠へ。ゆるやかな登り。標高375メートルの峠に着くと、そこには戦前の昭和14年に建てられた石の道標があった。それには、

「山口線日原駅へ 九里三十四町 島根縣廰へ 六十三里十三町」

 と、彫り刻まれていた。

 

“傍示”というのは、杭などを立てて境界の目印にすることだか,信州の分杭峠と同じように、昔はこの峠にも、境界の杭が立っていたのだろう。

 なお、傍示ヶ峠の峠は、“たお”と読む。この地方では、峠を“たお”という場合が多い。

 

 この傍示ヶ峠がいいのは“峠公園”といってもいいような、駐車場つきの小公園が、峠にあることだ。そこには、周辺の案内板も立っている。これで、峠の歴史でも書いてあれば、もういうことはない。

 日本は“峠の国”なのだから、みんながもっと、もっと峠に目を向けたらいいと、ぼくはいつも思っている。そのひとつの方法として、傍示ヶ峠のような“峠公園”が、あちこちにできればいい。

 島根県に入り、峠を下っていくと、六日町。そのままR287を北へ、日原まで走る。六日町―日原間は30キロほどだ。

 

中国道に沿った峠越え

 日原からR187を再度走り、六日町へと戻る。その途中では、柿ノ木温泉と木部谷温泉の2湯に立ち寄る。

 柿ノ木温泉には「はとの湯荘」(入浴料250円)。体の芯から暖まる茶褐色の湯。湯から上がると、タダで使える全自動血圧計が目に入り、計ってみた。最高血圧136mmHg、最低血圧89mmHgで、正常値という結果がでた。

 

 なにしろぼくは、会社などには勤めたこともないので、健康診断を受けたこともない。「だいたいね、健康診断なんて受けるから、病気になるんだよ」

 などとウソぶいているカソリだか、血圧が正常値だとわかり、ホッとするというか、うれしくなってしまうのだ。

 

 木部谷温泉の「松の湯」(入浴料350円)は間歇泉。15分間休止したあと、5分間、茶褐色の湯が噴き上がる。

 ここの湯では、山口からやってきたという、60代半ばの人と一緒になった。

「この湯は体によく効くんでね、車を走らせて、けっこうひんぱんに来てるよ」

 という。

 

 その人は4年前に、車で北海道一周した。退職記念だったという。

「北海道はいいよ。キミも一度、行ってみたらいい。なにしろ広さが違う。20キロも30キロも、直線がつづくところもあるんだよ」

 温泉が大好きな人で、北海道各地の温泉に、入りまくったという。

 このように、湯につかりながら、人の話を聞くのはいいものだ。裸同士のつきあいとでもいうのか、まったくの見ず知らずの人とでも、うちとけて話すことができるのだ。

 

 傍示ヶ峠下の六日町に戻ると、今度は、島根県道12号六日町―鹿野線を走り、島根・山口県境の米山峠を目指す。この県道は、中国道に沿っている。

 中国道の全長3260メートルの米山トンネル入口を右手に見下ろす地点を過ぎると、道幅の狭い峠道に入っていく。交通量はほとんどない。

 

 ブラインドのコーナーが連続する峠道を登りつめ、県境の米山峠に到達。山口県側に入ると、島根県道12号は、山口県道12号に変わる。峠を下っていくと、米山トンネルを抜け出た中国道とふたたび出会い、峠下の集落、米山に着く。米山峠は、この米山にちなんだ峠名だ。

 

 山あいに点々とつづく集落を通り過ぎ、錦川沿いの小盆地の町、鹿野に着く。

 米山峠を越えるこのルートは、中国道の六日町ICと鹿野IC間ということになる。高速道を走ると、あっというまに走りすぎてしまう1区間。だが、こうして峠を越えていくと、しみじみとした旅の情感を味わえるのだ。

 

連続する峠越え

 鹿野の食堂で、早めの昼食。大盛りラーメンに、大盛りライス。腹ごしらえしたところで、R315で徳佐に向かう。これがおもしろい峠越えルートなのだ。

 錦川上流の鍋川に沿って走り、まず最初は、標高585メートルの河内峠を越える。この峠の周辺が、錦川の源流になる。

 

 錦川、佐波川、阿武川が山口県の“3大河川”になっているが、そのうち全長110キロの錦川が、最長の川になっている。岩国でその下流を見、錦町で中流を見、鹿野で上流を見、河内峠で源流を見た。こうして1本の川を通して見るのは、おもしろいものだ。

 河内峠を下ると、佐波川上流の河内の集落。ここには柚木慈生温泉(入浴料500円)があって、ひと風呂浴びていく。

 

 河内からすぐに、次の峠の野道峠への登りがはじまる。野道山(924m)の西側にある峠だ。R315はトンネルで峠を抜けているが、ここにはダートの旧道がある。距離は短いが、けっこう荒れたダートの峠道を走った。

 野道峠は、同じ山口県でも、瀬戸内海側と日本海側に分けている。佐波川は錦側と同じように瀬戸内海に流れていくが、野道峠を下った徳佐盆地になると、そこを流れる阿武川は、日本海に流れ出る。

 

 阿武川上流の小盆地、徳佐でR9にぶつかる。そこを折り返し地点にし、もう一度、野道峠、河内峠を越えて鹿野に戻る。鹿野-徳佐間の往復は50キロ。今度は鹿野から、小峰峠、仏峠という山口・島根県境の峠を越えるのだ。

 

 鹿野でカンコーヒーを飲んでひと息入れ、さ、出発だ。またR315を走り、鹿野、河内峠の中間点あたりで、“柿木30キロ”の標識に従って国道を右折。山口県道3号の新南陽日原線に入っていく。交通量は少ない。

 じきに小峰峠にたどり着く。DJEBELを止め、メインスイッチをオフにすると、あたりにはシーンとした静寂が漂っている。

 その静けさを破るかのように、伐採の音が聞こえてくる。それが山々にこだますると、よけいに静けさを感じさせるのだ。

 

 小峰峠を越えて島根県に入ると、さきほどの米山峠と同じように、ルートナンバーはそのままで、島根県道3号になる。峠を下っていくと、柿ノ木温泉のある柿木村だ。

 柿木村で来た道(島根県道3号)を引き返し、途中で右折し、仏峠に向かう。標識も何もないので、

「ほんとうに、この道でいいのかなあ……」

 と、頼りない気分だ。それでも、交通量のほとんどない、道幅の狭い峠道を登っていくと、県境の峠に到着。峠は切り通しになっているが、コンクリート壁には赤いスプレーで“仏峠・650m”と書かれてあった。

 

 仏峠を越えて山口県に入ると、佐波川の源流。渓谷を下っていくと、さきほどのひと風呂浴びた柚木慈生温泉の近くで、R315に出る。R315を走り、野道峠のトンネルを抜け、阿武川上流のの徳佐盆地へと下っていった。

 

最後はR9の野坂峠

 徳佐盆地は標高300メートルほどの高地で、山口県では一番の寒冷地になっている。そのため、ここでは、リンゴが栽培されている。特産の“徳佐リンゴ”である。西国・山口で、リンゴがとれるのだ。

 徳佐から石州(岩見)街道のR9で、山口・島根県境の最後の峠、野坂峠に向かう。ゆるやかな登り。峠の山口側が、野坂の集落。

 

“のさかだお”ともいわれる野坂峠は、標高370メートル。歴史の古い峠で、現在は山口・島根県境の峠だが、かつては長門(長州)と岩見(石州)の国境の峠になっていた。 また江戸時代には、長州藩と岩見の津和野藩の藩境の峠だったので、峠をはさんだ両側に、それぞれの藩の国境警備の番所が置かれていた。

 

 そんな野坂峠をトンネルで抜ける。山口側はゆるやかな登り坂だったけれど、峠を越えた島根側は、急な下り坂になる。峠を下ると津和野の町だ。

“小京都・津和野”をDJEBELでひと回りする。日本の“五大稲荷”に数えられている太鼓谷稲成神社に参拝。西日本の稲荷信仰のメッカなので、大勢の参拝者を見る。

 

 朱塗りの鳥居のトンネルを登るにつれて、津和野の町と津和野盆地を見下ろすようになる。その中を流れる津和野川もよく見える。社殿まで登ると息が切れるほどだが、境内からのながめはすばらしい。津和野盆地を一望! 目の前には、お椀をふせたような形の青野山(908m)がそびえたっている。

 

 心に残る津和野の町を後にし、R9で日本海に面した益田へ。そして浜田へ。その途中では荒磯温泉「荒磯館」(入浴料600円)の湯に入る。日本海を目の前にする大浴場と露天風呂はすばらしい。ちょうど日本海の水平線に夕日が沈むところで、海がまっ赤に燃えている。

 浜田到着は19時。浜田道→中国道→名神→東名と高速道を900キロ走りつづけ、14時間後の9時に、神奈川県伊勢原市の自宅に戻った。