カソリの1万円旅(6):東京⇔鹿児島、1万円バイク旅
(『旅』1998年7月号 所収)
今回の“1万円旅”ではカソリ、その究極に挑戦だ。
50ccバイクのカブを走らせ、「東京-鹿児島」間を往復してみようと思うのだ。
ゴロ合わせではないが、往路を国道1号→2号→3号と走り鹿児島まで行き、復路で国道10号→9号→8号と走り、最後は直江津から国道18号→17号で東京に戻るという計画だ。
1998年4月18日午前8時、荷物満載のホンダ・スーパーカブに乗り、“福沢さん”(1万円札)1枚を持って一路、鹿児島を目指し、東京駅前を出発する。カブほど1万円旅にぴったりの旅の足はない。なにしろ1リッターのガソリンでカタログ上では100キロも走る。鉄道だと1620円かかる距離を、カブならばなんとわずか100円ほどで走ってしまうのだ。
まずは東京から下関へと国道1号→2号を走る。天気はあいにくの雨。それも冬に逆戻りしたかのような冷たい雨‥‥。都内を走り抜け、多摩川を渡って神奈川県に入るとホッとする。はるかに遠い鹿児島が、わずかに近づいたような気分になる。
それにしても東京から横浜にかけての国道1号の渋滞はすさまじい。その中を走るカブは、激流の中をさまよう小舟のようなもの。慣れないカブなので、さっそく尻が痛くなってくる。ただひたすらに尻の痛みに耐えて走るのだが、この難行苦行ぶりが1万円旅の、というよりも旅の大きな魅力だとぼくはそう思っている。
茅ヶ崎、平塚と通り、小田原から箱根峠を登って行く。50ccにはきつい峠道。ギアをセコンドに落として登る。雨に濡れた峠周辺の新緑がきれいだった。そのなかに点々と山桜が咲いていた。
箱根峠を越えて静岡県に入っても天気は変わらず、雨が降っている。三島、沼津、富士と通り、国道1号の旧道でサッタ峠を越え、静岡到着は15時20分。ここでやっと雨があがった。静岡からは安倍川を渡り、旧東海道の宿場町、丸子から宇津谷峠を越える。東海道の峠越えがおもしろい。このあたりがカブの旅のよさ。なにしろパワーのない50ccバイク、ひとつひとつの峠を苦労して登っていくので、峠がじつによくわかる。歩きや自転車に近い感覚で峠を意識できるのだ。
峠を意識すると、日本の大きな境目がよく見える。箱根峠を越えれば関東から東海へとガラリと変わる風景が見られるし、鈴鹿峠を越えれば東海から近畿へと世界が変わる。その移り変わっていく世界を自分の目で見ていけるのがバイク旅のよさというものだ。
島田、掛川、浜松と通り、愛知県に入り、19時30分、豊橋着。
岡崎を通り、21時45分、名古屋着。
50ccバイクに乗りつづけてきた疲労感と猛烈な睡魔に襲われ、メロメロ状態。それでも「1万円で東京-鹿児島の往復をするんだ!」という気持ちをよりどころに、さらに夜の国道1号を走りつづる。木曽川を渡り、三重県に入ったところで野宿。東京から392キロの地点。時間は午後10時30分。木曽川河口近くの河畔にテントを張る。“カソリ流野宿”というとシュラフのみというのが定番で、軟弱なといわれそうだが、今回は全泊、テントを張っての野宿にする。
テントを張り終わると、さっそく遅い夕食にする。まずはストーブでタマネギ入りの味噌汁をつくり、次に飯を炊く。飯が炊きあがるのが待ちきれず、その前にタマネギ入り味噌汁をすする。飯が炊きあがると、フーフーさましながら今度はタマネギ入り味噌汁と一緒に食べる。なんともいえない幸福感。腹をへらしきっているので、この一汁一飯のなんとも簡素な食事がことのほかうまいものに感じられる。
食費をギリギリまでの削った旅というと、1978年の50ccバイクでの「日本一周」がそうだった。赤ん坊連れの9ヵ月あまりの「シベリア横断→ヨーロッパ→サハラ縦断」の旅から帰り、2番目の子供が生まれてまもなく旅立った。女房には「悪いな、悪い、悪い‥‥」といって頭を下げ、家にあった金を全部かき集めて10万円。
「なんとしても、この10万円で日本を一周してやる!」
という覚悟で“超極貧旅”に旅立ったのだ。
そのため食事といえば、“一汁一飯おかずなし”ではなく“飯のみ”だった。1日1回、飯を炊き、それを3等分にして朝、昼、晩に食べた。おかずなしなので、塩をぱらぱらとふりかけて食べた。ふだんの生活だったら絶対にできないこのような1日3度の食事も、旅している毎日だとあたりまえのこととしてできるようになる。旅の魔力とでもいうのだろうか、バイクを走らせて“あの向こう”に行くためだったら、どんなことでも平気で我慢できるようになる。
翌朝は6時出発。小雨が降っている。四日市から鈴鹿峠を越えると雨は上がり、空が明るくなってきた。大津、京都を通り、12時、大阪着。東京から563キロ。うれしいことに日が差してきた。
大阪の中心街、大阪駅前の梅田新道の交差点を過ぎると、国道1号から2号になる。国道沿いのうどん屋の“160円”の看板が目に入る。なにしろ腹をすかせているので、このような看板に敏感になるのだ。よっぽどカブを停めて160円という超安いうどんを1杯、食べていこうと思ったが、グググッと我慢してそのまま通り過ぎた。
淀川を渡るとまもなく兵庫県に入る。尼崎、西宮、芦屋と通り、13時30分、神戸着。国道2号を走っている分には、3年前の阪神大震災の傷痕も癒えたかのように見える。神戸から明石へ。完成したばかりの世界最長のつり橋、明石海峡大橋近くの海岸でパン&チーズの昼食にする。
このパン&チーズというのは、食パンにスライスチーズをはさんだもの。それを生のニンジンをかじりながら食べるのだ。「東京→出雲崎」の徒歩旅のときにもさんざん食べたやつ。これが今回も旅の主食になる。
だが、空腹で腹がグーッと鳴るころをみはからって食べるパン&チーズというのは、なかなかの味。栄養のバランスのとれた食パンと栄養価の高いチーズの組み合わせなので、栄養面での心配もいらない。安くてすぐに食べられるといいことづくめ。ぼくの“1万円旅”には欠かせない。さらに明石海峡大橋のように、すばらしい風景が最高のおかずになるので、粗末どころか贅沢な食事にすら感じられる。
明石を過ぎると、姫路まで大渋滞。16時、姫路着。ここでは姫路城まで行き、城を外から眺めた。姫路を過ぎると、雷雨の直撃。雨具を着るのが遅れ、ずぶ濡れになった。
船坂峠を越えて兵庫県から岡山県に入る。近畿から中国に入ったのだ。ここでもやはり、峠が2つの大きな世界の境目になっている。峠を境に天気は変わる。雨は上がったが、けっこう寒い。船坂峠を下ると、備前焼で知られる備前市の伊部。その先の岡山到着は18時30分。東京からここまで737キロだ。
岡山からは国道2号のナイトラン。カブのわきを大型トラックや車はほとんどスレスレに走り抜けていくので、たえずバックミラーで後続車に気をつけなくてはならない。夜間になると、よけいに神経を使う。自分で自分の身を護らなくてはならない。このあたりが速度の遅い50ccバイクの大変なところだ。
倉敷、笠岡と通り、広島県に入る。福山、尾道、三原と通り、広島の手前の東広島市で第2夜目の野宿。国道わきの車両重量測定場の敷地のすみにテントを張った。眠りについたのは、夜中近く。国道2号は夜通し交通量が多く、大型トラックが轟音をとどろかせて走り過ぎていくが、なにしろ疲れきっているので騒音も気にならずによあけまでぐっすり眠れた。
広島到着は7時15分。東京からここまで899キロ。大竹を通り、山口県に入ると岩国だ。錦川にかかる錦帯橋を見ながらパン&チーズ、ニンジンのいつもの食事。錦川の清流と対岸の山の上にある岩国城を見ながら食べる。錦帯橋は渡ると金をとられるので、見るだけだ。河原には露天のみやげもの屋が並んでいるが、そこからただよってくる焼きイカや焼きトウモロコシの匂いがたまらない。
国道2号をさらに西へ。徳山、防府、小郡と通り、午後4時、下関着。東京から1100キロ。ここまでかかった費用は2964円。「うーん、いいぞ!」。これならば、間違いなく1万円で東京-鹿児島を往復できると、ぼくは初めて自信を持つことができた。
国道2号は関門海底トンネルで九州側の門司に通じているが、50ccバイクは通行禁止。通行料20円を料金箱に入れ、エレベーターにバイクごと乗って下り、人道トンネルを行くようになる。この人道トンネルというのは全長780m。カブを押していく。トンネル中央の県境を過ぎるとゆるやかな登りになり、門司側に着いたときには汗ダクになった。歩いて関門海峡を渡ったのだ。
本州から九州に入った。国道2号は門司港駅近くの交差点で3号に変わる。今度は国道3号で鹿児島へ。福岡を過ぎたところで二日市温泉へと急ぐ。気持ちがソワソワしてくる。東京を出てから3日目の待望の温泉だ!
二日市温泉に到着。ここには道をはさんで2つの共同湯がある。ひとつは「博多湯」で入浴料100円。もうひとつは「御前湯」で入浴料200円。どちらに入ろうかさんざん迷ったが、100円分の贅沢を選択し、「御前湯」に入った。
湯船に体をドップリとつけた気分はもう最高。湯から上がると、20円の石鹸でおもいっきりガリガリ頭をかいて洗った。体にもたっぷりと石鹸をつけて洗った。湯上がりに飲んだ自販機の100円の冷たい“飲むヨーグルト”がキューッと腹にしみた。合計320円の極楽気分。この極楽気分を味わえたのも、「東京→下関」を2964円で走ったからなのである。
夜の太宰府天満宮に参拝し、久留米を通り、小栗峠を越えて熊本県に入ったところで野宿する。脇道に入った道路沿いにテントを張ると、すぐさまオニオンスープをつくる。なんのことはない、タマネギ入りの味噌汁のことだが、ぼくはそれを“オニオンスープ”と呼んでいた。熱いのをフーフーさましながら飲むと体も心もスーッと休まる。オニオンスープは、“バイク1万円旅”の、毎晩のささやかな楽しみになっていた。
交通量のほとんどない道だったが、オニオンスープをすすっていると、通り過ぎていった車が戻ってきた。
「寒くて大変だね。いやー、てっきり未成年の若者だと思ったので、家にでも泊めてあげようかと‥‥」
なんとも親切な人だ。だが、その人は未成年の若者ではなく50男のぼくを見てすこし驚いたような顔をし、「それでは気をつけて」と言い残して走り去っていった。
熊本到着は翌朝の8時15分。東京から1307キロだ。見事な石垣の熊本城を見たあと鹿児島を目指す。ガソリンスタンドで給油がてら洗面、トイレ。そのついでに新聞を見せてもらう。テレビもラジオもない毎日なので、こうしてガソリンスタンドで見る新聞が今、日本で世界で何が起きているのかを知る唯一の手段になる。
八代、水俣と通り、鹿児島県境に近づくと、そこはかとなくミカンの花の匂いが漂ってくる。さすがに南国、季節が早い。駿河路ではまだだった。
東京を発ってから4日目の4月20日15時15分、鹿児島に到着! 国道1号→2号→3号と走ってきたが、ここまで1520キロ。使ったお金は4404円。上出来だ。
「鹿児島に着いたら豚骨ラーメンを食べよう!」
と、ただそれだけを楽しみにしてひたすら鹿児島を目指して走ってきたが、いざ着いてみると気が変わった。第9章「1万円温泉旅」での、あの痛恨の“352円オーバー”が思い出されてきたからだ。豚骨ラーメンのかわりに、城山展望台からのすばらしい桜島の風景をおかずにし、いつもどおりのパン&チーズを食べ、それをもって鹿児島到着とした。
さあ、東京を目指しての復路の開始だ。鹿児島から国道10号で北九州へ。ひと晩、宮崎県の日向灘の海岸で野宿し、大分県では亀川温泉の共同湯「浜田温泉」(入浴料50円)の湯に入り、宇佐神宮に参拝し、中津の福沢諭吉旧居に立ち寄った。観覧料金が200円なので、中には入らずに外から眺めた。旧居前小公園の藤棚の藤がきれいな花を咲かせていた。
「福沢さん、あなたのおかげでこんなにおもしろい旅をさせてもらっていますよ」
と、お礼する。
それともうひとつ、次女の慶応大学入学のお礼もいっておいた。
下関から京都までは日本海側の国道9号を走る。島根県の岩見海岸で野宿し、鳥取県に入ると、米子で自販機の缶コーヒーを飲んだ。これが涙が出るほどにうまかった。東京を発ってから初めて飲む缶コーヒーだった。
羽合では“ハワイビーチ”でカブを停め、波の音を聞きながら砂浜を歩いた。潮の香りがたまらなくいい!
鳥取では日本最大の鳥取砂丘に行った。遙かな広がりを見せる砂丘を歩き、砂の上に座り込み、パン&チーズの昼食を食べた。観光シーズンには間があったので、訪れる人も少ない。まさに目の前にはサハラ的風景が広がっている。
なんと1万円旅でハワイ・ビーチに寄せる波を見、サハラ的景観の大砂丘を歩くことができるのだ。いくら激安の海外ツアーといっても、ここまではできないゾ!
京都から国道8号で福井県に入る。島根県の岩見海岸から1日で最高の589キロを走り、敦賀の気比の松原で野宿した。敦賀からは日本海側を行く。
石川県の片山津温泉の共同湯「総湯」(入浴料350円)に入り、旧道で倶利伽羅峠を越え、富山では平野越しにズラズラッと連なる立山連峰の山並みに感嘆の声を上げた。
親不知の海に落ちる断崖を見、新潟県の直江津(上越市)から国道18号に入る。天気が崩れ、土砂降りの雨になる。1万円旅というのは、まさに難行苦行の連続だ。
長野を経由し、碓氷峠を越える。第1番目の箱根峠から数えて碓氷峠は第37番目の峠になった。
碓氷峠下で最後の野宿。あまりにも雨がひどいので、小学校の自転車置場の屋根下にテントを張らせてもらった。さっそく缶ビールで乾杯。久ぶりに飲むビールのうまさといったらなかった。スーパーで買った1袋148円のミニウインナーを焼いてつまみにした。
最後は高崎から国道17号を走り、都内に入ったところで給油した。満タンにしても、10円玉が何個か残った。こうして4月24日午前11時30分、東京駅前に戻ってきた。全行程が3434キロ。ガソリンは全部で53・4リッター(5164円)入れた。なんとリッター当たり64・5キロという好燃費。全費用9958円の「東京-鹿児島」往復の1万円旅だった。
■後日談=2008年9月記す
50歳になった直後の1997年12月29日、ぼくは心臓発作に見舞われた。この日があやうく自分の命日になるところだった。
前日までは何ら体調に異常はなく、年末年始にはとくにスケジュールを入れてなかったこともあり、女房と「正月はゆっくりできるね」などと話し、喜んでいた。
それが29日の未明、突然、首をギューッと締めつられるような息苦しさを感じ、とてもではないが寝ていられなかった。女房に診てもらうと、さすがに看護婦としての職業的なカンですぐにぼくの危機をみてとり、女房の運転する車で東海大学病院の救命センターに運びこまれた。心電図はまったく乱れ、心臓停止の一歩手前だといわれた。脈は途切れ途切れになり、いつもの半分くらいしかない。それもまったくリズム感をなくし、コットンと弱く打つと、そのあとしばらくは停まってしまうような状態。ぼくは自分の命の灯がゆらゆら揺れ、今にもふーっと吹き消されてしまうような心もとなさを感じるのだった。
ぼくはそれまでの30年あまりの旅の中で、何度も命を落としかけている。
エジプトの片田舎ではイスラエルのスパイ呼ばわりされ、暴徒と化した群衆に袋叩きの目にあったり、パキスタンでは28日間も下痢がつづき、「下痢死ぬ、下痢死ぬ」と呻いたり、アフガニスタンのアジアハイウェイではバイクの居眠り事故で気を失って反対側車線に倒れたり、インドネシアのスンバワ島のヒッチハイクでは、トラックの荷台に乗っているときに垂れ下がった電線を顔面にひっかけ、電線があと10センチ下の首に入っていたら間違いなく死んでいたといわれたり‥‥。しかしぼくはそのたびにピンチを切り抜けてきたので“強運カソリ”とか“不死身のカソリ”といわれてきた。
だが、それには理由があった。
自分自身の体の奥底からわき上がってくるような「生きるんだ!」といった強烈な生への執着があったからだ。
ところが心臓発作に見舞われてショックだったのは、生きることへの執着がきわめて希薄だったことだ。
「もう、しょうがないか‥‥」といった諦めの気持ちが強くあった。
「これが50になるということなのか‥‥」
この心臓発作でも“不死身のカソリ”の本領をかろうじて発揮し、なんとかもちこたえて命を落とさずにすんだ。だが、人間というのは心臓をやられると、まったく動けなくなってしまう。人間は心臓あってのものなのだ。
家の中の階段を登ることさえ苦しくてしかたない。ましてや外に出ようなどという気はまったく起こらない。これが自分自身の持っている動物的な本能なのだろう、とにかく身を低くし、嵐が通り過ぎていくのをじっと待った。
心臓発作に襲われた後、1ヵ月ぐらいというものは、レントゲン検査や血液検査、超音波検査、24時間ホールダーをつけての検査等、さまざまな検査を受けた。その結果、心臓の機能には何ら異常がないということで、先生にはもう通院しなくてもいいといわれた。だがそれ以降も、ぼくの体は元どおりには動かなかった。
心臓発作に襲われ、
「あー、自分は心臓をやられてしまったんだ、もうだめだ」
と思った瞬間から、ぼくはすっかり気を病んでしまったのだ。そのため、まるで氷づけにでもされたかのように、心身ともに萎縮してしまった。
“病気”とはなんともうまい言葉ではないか。ぼくの心臓発作にあてはめてみると、病気はまさに気の病なのである。ぼくはそれまで、自分が心臓をやられるだなんて、夢想だにしなかった。誰よりも自分の心臓は強いとさえ思っていた。
そのため、突然、心臓発作に見舞われ、命を落としかけたとき、実際に体が受けたダメージ以上に、より大きなダメージを精神的に受けてしまった。それは自分の持っていた自分自身の体への過信が見事に打ち砕かれたからにほかならない。
心臓発作に襲われてから3ヵ月あまりというもの、ほとんど何もできず、家からも出なかった。もちろんバイクに乗ることもなかった。というより、「もう、一生、バイクには乗れないかもしれないなあ‥‥」と、そこまで弱気になっていた。
そんな生きる自信すら失いかけていたときに、『旅』編集部の竹地里加子さんから、いつもの明るい大きな声で、
「カソリさん、バイクでの1万円旅、お願いしますよ」
という電話をもらった。
その瞬間、ぼくはおおいに迷ったが、竹地さんには心臓発作のことは一切いわずにやらせてもらうことにした。
ぼくは「1万円バイク旅」に賭けてみた。
今までやってきた“1万円旅”以上の究極の“1万円旅”に挑戦することによって、自分の体も心も蘇るのではないかと期待したのだ。
そんな期待とそれ以上の大きな不安をかかえ、心臓発作から111日目にして、50ccバイク1万円旅の「東京-鹿児島」往復に旅立った。
第1夜目の野宿が最大の関門だった。
はたして野宿できるのだろうか、寝ている間に今度こそ、ほんとうに心臓が停まってしまうのではないだろうか‥‥といった不安にかられ、胸の動悸が激しくなるような思いをした。
いつになく不安そうな表情でぼくを送りだした妻の顔が目に浮かんでくる。
いつもはシュラフのみで野宿しているぼくがこの「東京-鹿児島」でテントを持ったのは、ひとえに心臓をやられたあとの不安感からなのである。
それだけに、この第1夜目の木曽川河口の野宿で夜明けを迎えたときのうれしさといったらなかった。飛び上がりたくなるほどのうれしさだった。
それは「自分は生きてる!」といった喜びだった。
このひと晩の野宿のおかげで、それ以降、ぼくの体は急速によくなっていった。
2夜目の野宿、3夜目の野宿と日を重ねるごとに体は楽になり、まるで夏の強い日差しを浴びて氷が溶けていくかのようにぼくの体は氷解し、元どおりに動くようになっていった。それとともに気持ちも前向きになり、バイクで向こうへ、さらにあの向こうへと走っていきたい!といういつものような気分にもなっていったのだ。
「東京-鹿児島」往復の3434キロを50ccバイクで走ったことによってぼくは賭けに勝ち、蘇ることができた。やはり旅は病後のリハビリには一番だ。
【「東京⇔鹿児島」資料編】
(期間)
1998年4月17日~4月24日(7泊8日)
(ルート)
東京→鹿児島(国道1号、2号、3号経由)1520キロ
鹿児島→東京(国道10号、9号、8号、18号、17号経由)1914キロ
合計3434キロ
(走り抜けた都道府県)
1都2府24県
(越えた峠)
(東京→鹿児島編)
・箱根峠(神奈川・静岡)
・宇津谷峠(静岡)
・中山峠(静岡)
・鈴鹿峠(三重・滋賀)
・逢坂山峠(滋賀・京都)
・洞ヶ峠(京都・大阪)
・鯰峠(兵庫)
・船坂峠(兵庫・岡山)
・ハタキ峠(山口)
・椿峠(山口)
・吉見峠(山口)
・西見峠(山口)
・談合峠(山口)
・小栗峠(福岡・熊本)
・赤松太郎峠(熊本)
・佐敷太郎峠(熊本)
・津奈木太郎峠(熊本)
(鹿児島→東京編)
・中ノ谷峠(大分)
・赤松峠(大分)
・立石峠(大分)
・木戸山峠(山口)
・野坂峠(山口・島根)
・駟馳山峠(鳥取)
・蒲生峠(鳥取・兵庫)
・春来峠(兵庫)
・八井谷峠(兵庫)
・笠波峠(兵庫)
・夜久野峠(兵庫・京都)
・観音峠(京都)
・逢坂山峠(京都・滋賀)
・新道峠(滋賀・福井)
・武生峠(福井)
・牛ノ谷峠(福井・石川)
・倶利伽羅峠(石川・富山)
・野尻坂峠(長野)
・碓氷峠(長野・群馬)
合計36峠
(立ち寄った温泉)
・二日市温泉(福岡)「御前湯」(入浴料200円)
・山鹿温泉(熊本)0円
・亀川温泉(大分)「浜田温泉」(入浴料50円)
・湯村温泉(兵庫)0円
・片山津温泉(石川)「総湯」(入浴料350円)
(見た城)
・姫路城(兵庫)
・熊本城(熊本)
・中津城(大分)
・富山城(富山)
(参拝した神社)
・太宰府天満宮(福岡)
・宇佐神宮(大分)
・和布刈神社(福岡)
・気比神宮(福井)
(出費)9938円
4月17日(金)東京→桑名(三重)392キロ
(富士のサークルK)
食パン(6枚切り)170円
スライスチーズ(6枚)220円
消費税19円
(島田のGS)
ガソリン3・3リッター329円(リッター95円)
(掛川の食料品店「山田屋」)
タマネギ(3個)181円
ニンジン(2本)114円
味噌228円
消費税26円
(浜松のヤオハン)
2合入り米(2袋)330円
消費税16円
(岡崎のGS)
ガソリン1・9リッター170円(リッター85円)
以上ガソリン499円
食費1303円
合計1803円
4月18日(土)桑名→東広島473キロ
(大阪のGS)
ガソリン3・0リッター284円(リッター90円)
(岡山のGS)
ガソリン3・0リッター261円(リッター83円)
以上ガソリン545円
食費0円
合計545円
4月19日(日)東広島→小栗峠(熊本)400キロ
(広島のGS)
ガソリン2・4リッター239円(リッター95円)
(大竹のローソン)
食パン(6枚切り)160円
消費税8円
(下関のGS)
ガソリン2・4リッター209円(リッター83円)
(関門人道トンネル)
通行料20円
(二日市温泉)
「御前湯」入浴料200円
石鹸20円
自販機の飲むヨーグルト100円
(太宰府天満宮)
賽銭20円
以上ガソリン448円
食費268円
温泉200円
その他60円
合計976円
4月20日(月)小栗峠(熊本)→日向460キロ
(山鹿のデイリーストアー)
食パン(6枚入り)200円
スライスチーズ(6枚入り)218円
消費税20円
(熊本のGS)
ガソリン3・5リッター316円(リッター86円)
(鹿児島のGS)
ガソリン3・2リッター326円(リッター97円)
(宮崎のGS)
ガソリン2・1リッター204円(リッター92円)
以上ガソリン846円
食費438円
合計1284円
4月21日(火)日向→三隅(島根)452キロ
(大分のコンビニ)
食パン(6枚入り)128円
消費税6円
(大分のGS)
ガソリン3・5リッター392円(リッター106円)
(亀川温泉)
「浜田温泉」入浴料50円
石鹸30円
(宇佐神宮)
賽銭20円
(門司のGS)
ガソリン2・1リッター198円(リッター90円)
(関門人道トンネル)
通行料20円
(山口のスーパー「イズミ」)
バナナ(6本)150円
ニンジン(2本)198円
豚コマ(174g)200円
消費税22円
(益田のGS)
ガソリン2・2リッター231円(リッター100円)
以上ガソリン821円
食費704円
温泉50円
その他50円
合計1625円
4月22日(水)三隅(島根)→敦賀589キロ
(松江のGS)
ガソリン2・5リッター245円(リッター93円)
(米子の自販機)
缶コーヒー120円
(鳥取のGS)
ガソリン1・7リッター175円(リッター102円)
(和田山のスーパー「ウエルマート」)
食パン(6枚入り)98円
スライスチーズ(6枚入り)218円
サラダ100円
消費税20円
(亀岡のGS)
ガソリン2・8リッター244円(リッター87円)
(敦賀のGS)
ガソリン2・6リッター264円(リッター95円)
以上ガソリン928円
食費556円
合計1484円
4月23日(木)敦賀→横川(群馬)527キロ
(気比神宮)
賽銭20円
(牛ノ谷峠の自販機)
缶紅茶120円
(片山津温泉)
「総湯」入浴料350円
石鹸30円
温泉たまご50円
(小矢部のGS)
ガソリン2・9リッター285円(リッター93円)
(富山のスーパー「チューリップ」)
食パン(6枚切り)180円
ミニウィンナーソーセージ148円
消費税16円
(直江津のGS)
ガソリン2・4リッター239円(リッター95円)
(妙高の自販機)
缶ビール230円
(上田のGS)
ガソリン2・5リッター239円(リッター91円)
以上ガソリン763円
食費744円
温泉350円
その他50円
合計1907円
4月24日(金)横川(群馬)→東京139キロ
(都内のGS)
ガソリン3・4リッター314円(リッター88円)
合計314円
(出費内訳)
ガソリン代 53・4リッター 5164円
食費 4014円
温泉 600円
その他 160円
合計9938円
(50ccバイク燃費)
1リッター=64・5キロ
(食事)
第1日目
朝食 自宅
昼食 パン&チーズ(食パン2枚にスライスチーズ1枚をはさんだもの)、ニンジン(生かじり)
夕食 おじや(木曽川の河畔で)
第2日目
朝食 おじや(木曽川の河畔で)
昼食 パン&チーズ、ニンジン(明石海峡大橋を見ながら)
夕食 パン&チーズ、ニンジン(糸崎駅の待合室で)
夜食 オニオンスープ(タマネギ入りのみそ汁)
第3日目
早朝 オニオンスープ
朝食 パン&チーズ、ニンジン(錦帯橋を見ながら)
昼食 パン&チーズ、ニンジン(関門橋を見ながら)
夕食 パン&チーズ、ニンジン(二日市温泉で)
夜食 オニオンスープ
第4日目
早朝 オニオンスープ
朝食 パン&チーズ、ニンジン(広々とした熊本平野で)
昼食 パン&チーズ、ニンジン(鹿児島の城山展望台で)
夕食 パン&チーズ、ニンジン
夜食 オニオンスープ
第5日目
早朝 オニオンスープ
朝食 パン&チーズ、ニンジン
昼食 パン&チーズ、ニンジン
夕食 バナナ
夜食 ご飯、豚のみ汁(豚コマのみの味噌汁)、バナナ
第6日目
早朝 おじや、バナナ
朝食 パン&チーズ、ニンジン(宍道湖を見ながら)
昼食 チーズサンド、ニンジン(鳥取砂丘を見ながら)
午後 スーパーで買った100円のサラダ
夕食 パン&チーズ、ニンジン(米原駅の待合室)
夜食 オニオンスープ(気比の松原で)
第7日目
早朝 オニオンスープ(気比の松原で)
朝食 パン&チーズ、缶紅茶(牛ノ谷峠で)
昼食 パン&チーズ、ニンジン(富山平野越しの立山連峰を眺めながら)
夕食 パン&チーズ、ニンジン
夜食 缶ビール、ミニウインナーソーセージ、ご飯、オニオンスープ
第8日目
早朝 おじや
朝食 パン&チーズ、ニンジン(神流川の川原で)
昼食 自宅
夕食 東京・渋谷で開かれた編集者仲間の飲み会。手作りの盛大なご馳走
(宿泊)テントでの野宿
第1夜 木曽川の河畔(三重)
第2夜 国道2号沿いの車両重量測定所の駐車場(広島)
第3夜 国道3号の小栗峠下、脇道沿いの駐車場(熊本)
第4夜 日向灘の海岸(宮崎)
第5夜 国道9号の道の駅「ゆうひパーク三隅」(島根)
第6夜 気比の松原の駐車場(福井)
第7夜 碓氷峠下の小学校の自転車置場(群馬)