賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「オーストラリア2周」前編:第4回 アデレード→パース

 (『月刊オートバイ』1997年4月号 所収)

 

 アデレードから西へ、パースへと向かっていくと、とてつもなくデッカいオーストラリアに出会うようになる。天も地も、けた外れのデッカさだ。

 自分の心の中まで、スコーンと抜けたようなデッカさになのだ。

 広大なオーストラリアの荒野の中をカソリ、一人、行く。

 ただひたすらに、地平線を目指してオートバイを走らせる。自分とオートバイとオーストラリア、それだけを考えていればいい。

 そんな「オーストラリア一周」の旅の日々だった。

 

日本人ライダーの溜まり場

 アデレードでは、バックパッカーズの「ラックサッカーズ」に泊まる。

 1泊9ドル(約800円)。ここは、オーストラリアを旅する日本人ライダーの溜まり場的存在。僕が行ったときも、数人の日本人ライダーが宿泊していた。

 半年あまりの長旅をまもなく終えようという人がいる。バイクのエンジントラブルで旅を断念した人がいる。小柄な女性ライダーがいる。すっかりここにはまり込み、1ヵ月以上も滞在している人がいる。

「ラックサッカーズ」のマーガレットおばさんは、とっても面倒見のいい人。

 本人は“クイーン・オブ・ジャパニーズ・ライダー”(日本人ライダーの女王)といっているが、クイーンというよりはマザー(母親)だ。

 彼女を慕って、「ラックサッカーズ」に2度、3度と泊まる日本人ライダーは多い。

 僕もこのあと、3度、「ラックサッカーズ」には泊まることになる。

 

 さー、アデレードの町歩きの開始だ。

「オーストラリア一周」のオートバイ、スズキDJEBEL250XCを「ラックサッカーズ」の裏庭に置き、市内地図を頼りに、メインストリートのキングウイリアム・ストリートを南から北へと歩く。

 サウスオーストラリアの州都アデレードは、シドニーやメルボルンに比べると、はるかにこぢんまりした都市。トラム(市電)が走っている。

 中心街の右手にはタウンホール、左手にはGPO(ジェネラル・ポスト・オフィス)がある。その先がパーラメント(州議事堂)。パーラメントに隣合って、鉄道のアデレード中央駅がある。

“列車大好き”のカソリ。

 アデレード中央駅に行くと、発作的に自動券売機で切符を買い、発車間際の電車に飛び乗った。すでに日は暮れ、あたりは暗かった。何行きの電車かわからなかったが、アデレードから10個目ぐらいの駅で降りる。“ホーブ”という駅だった。

 駅の近くに「東方酒家」というチャイニーズ・レストラン。そこで夕食にする。フカヒレスープを飲み、ボリュームたっぷりのチャーハンを食べる。両方合わせて10ドルほど。安い!

 ビールを飲み、食後のコーヒーを飲み、全部で16ドル80セントだった。

 店の主人は僕が日本人だとわかると、BGMに日本のナツメロを流してくれた。

 

カンガルーの飛び込みだ~!

 アデレードの中心街にあるオートバイショップ、「スズキ・シティー」。

 そこでDJEBELのオイル交換とオイルフィルターの交換をしてもらい、パースを目指して出発した。

 R1のプリンセンス・ハイウエーを西へ。

 300キロほど走り、ポートオーガスタの町に着く。ここからR1はエアー・ハイウエーと名前を変える。オーストラリア大陸をグルリと一周する世界最長のハイウエーのR1は、それぞれの区間によって街道名が変わる。シドニーからポートオーガスタまでがプリンセス・ハイウエーになるのだ。

 ポートオーガスタの市街地を抜け出たあたりで、R1とR87が分岐する。

 大陸一周ルートのR1と、大陸縦断ルートのR87(スチュワート・ハイウエー)という2大幹線が分岐するこの地点は、オーストラリア道路網の中でも、きわめて重要なポイントといえる。

 

 西へ、西へと走る。

 エアーズロックのミニ版といった赤い岩山が見えてくる。鉄山のアイロン・ノブだ。

 その先のキンバの町には、「シドニー・パース」の“大陸横断・中間点”の案内板が立っている。

 西に向かって走るにつれて、荒涼とした風景になる。それは南米のパタゴニアに似た風景。カンガルーの死骸が道端に点々ところがっている。100キロぐらいのスピードで走っているので、カンガルーに真横から飛び込まれたらもうアウト‥‥。

 その不安が的中し、日が暮れると、DJEBELのヘッドライトめがけてカンガルーが飛び込んできた。

「ヒェー!」

 と、思わず、絶叫。

 からくもハンドリングでかわしたが、一瞬、心臓が凍りつくような思いだっだ。

 

ナラボー平原横断

 セデューナの町で一晩、泊まり、翌日、ナラボー平原に入って行く。

 360度の地平線が広がる。一面の草原。樹木がほとんどないので、DJEBELに乗りながら、世界の果てまで見渡しているかのような、壮大な気分になる。

「デッカいゾー、オーストラリアは!」

「オーストラリア一周」の旅では、あちらこちらで、この“デッカいオーストラリア”に出会うが、そのたびに感動ものだ!

「これがオーストラリアだゼ」

 と、デッカいオーストラリアに感激しながらナラボー平原を走る。

 

 すると、前方に黒雲。運悪くその中に入ってしまい、土砂降りの雨になる。

 2連の大型トレーラーのロードトレインにすれ違うたびに、路面に溜まった雨水を盛大に浴びせかけられる。

 DJEBELに乗りながらシャワーを浴びるようなもので、その瞬間、まったく視界がなくなってしまう。恐ろしい‥‥。寒さが厳しいので、雨の冷たさが、ひときわ身にしみる‥‥。

 ツーリングの毎日は、このような天国と地獄の繰り返し。でも、この天国と地獄のギャップの大きさが、また、ツーリングの魅力になっている。

 

 州境のボーダービリッジのモーテルで泊まり、ウエスタンオーストラリアへ。それとともに、時間帯がセントラル・ウエスタン・タイムゾーンになり、45分の時差。

 時計を45分遅らせる。

 ウエスタンオーストラリアのR1を走る。道路沿いには、やたらと、カンガルーの死骸がころがっている。エミューが2度3度とR1を横切っていく。

 カイグーナのロードハウスで昼食にする。

 デイ・スペシャルを頼む。日本でいえば、日替わり定食だ。

 さーて、何が出てくるのかなと期待したが、それは期待以上のものだった。 

 中東の羊肉料理のシシカバブーをオーストラリア風にアレンジしたもので、牛肉を角切りにし、タマネギ、ピーマンと一緒に串焼きにし、甘味と辛味の混じったタイ風チリーソースをかけてある。それに、細長いインディカ米を炊いたご飯とチップス、オリーブの実がいくつも入った地中海風サラダが添えてある。

 なんともエキゾチックな味に大満足。値段は日本の日替わり定食とほぼ同じくらいの10ドル(850円)だ。

 

 カイグーナを過ぎると、“90マイル・ストレイト”。

 90マイル(146・6キロ)の直線路だ。その間、ただの1個所も、カーブはない。行けども行けども直線路。一直線の道を地平線をめがけて走りつづける。

 地平線上には雨雲。

 雨の降っているところと晴れているところがはっきり分かれている。うまい具合に、巨大な2本の柱のような雨雲の間をすり抜ける。

 すると、鮮やかな二重の虹がかかっていた。

“90マイル・ストレイト”が終わり、カーブにさしかかると、

「おー、道が曲がってる!」

 と、ホッとした気分になる。

 

 そこで、もうひとつの時間帯のウエスタン・タイム・ゾーンに入り、時計をさらに45分遅らせた。1日に3つの時間帯に入ったのは初めての体験だ。

 夕日に向かって突っ走り、地平線に日が落ちると、今度は、カンガルーの恐怖に怯えながらのナイトラン。夜の8時過ぎ、セデューナから1200キロのノーズマンに到着。ここがナラボー平原横断のゴール。海を越えて港にたどり着いたようなもの。

「ノースマン・エアー・モーテル」に泊まった。

 

日本人ライダー、広さんとの出会い

 ノースマンからは、いったんR1を離れ、R94でカルグーリーまで行ってみる。カルグーリーとその周辺は、世界でも有数の金鉱山地帯なのだ。

 ノースマンから180キロのカルグーリーに着くと、まず、巨大な露天掘り鉱山のスーパーピットを見る。地底をはいずりまわっている超大型ダンプが、アリぐらいにしか見えない。

 このカルグーリーのオープンピットは、人間が地球にあけた穴としては、世界でも最大級のものだ。

 すごい!

 つづいて、郊外にある“ミュージアム・オブ・ゴールドフィールド(金鉱山博物館)”を見学する。

 トロッコ列車に乗ってミュージアム内をまわり、19世紀のゴールドラッシュ当時の写真や資料、復元されたホテルや銀行などを見てまわる。金鉱山の地下坑を案内してもらい、砂金採りを自分で体験し、ドロドロに溶かした金から金塊をつくる作業を見る。出来上がった金塊は人間の心を狂わせるかのような妖しい光りを放ち、手に持つと、ズッシリと重かった。

「あー、こんなヤツが1個あればなあ‥‥。オーストラリア一周のあと、すぐにでも世界一周に旅立てるのに‥‥」

 と、思わず嘆きの言葉が出てしまう。

 

 カルグーリーからノースマンに戻ろうと夕暮れのR94を走っているときのことだった。 DJEBELのバックミラにオートバイのライトが映り、だんだん近づいてくる。そのオートバイは、ぼくの後にピタッとついて離れない。旅行者のようだ。

 スピードを落とし、路肩に止める。後のオートバイも止まる。荷物を満載にしたスーパーテネレだ。

 ぼくがヘルメットをとると、

「やっぱり、カソリさんだ!」

 と、スーパーテネレ氏は声を上げる。日本人ライダーの広雅司さんだった。

「ナンバープレートが日本の国際登録ナンバーなんで、きっとカソリさんだって、そう思ってましたよ。今、オーストラリアを走ってる日本人ライダーは、みんな、カソリさんがオーストラリアを走っていることを知ってますよ

 と、うれしいことをいってくれる。

 ツーリングライダー同士のこういう出会いというのは、うれしいものだ。広さんと一緒にノースマンで泊まることにした。

 

 ノースマンに着くと、前夜と同じ「ノースマン・エアー・モーテル」に泊まる。シャワーを浴びてさっぱりしたところで、広さんとレストランに行く。ビルで乾杯し、西オーストラリア産のワインを飲みながら、ちょっと豪華なフルコースの食事をする。

 そのあと、BPのロードハウスに場所を移す。カフェのテーブルに地図を広げ、コーヒーを飲みながら、広さんからオーストラリアのいろいろな話を聞いた。ダート情報も教えてもらった。これがあとで、すごく役立つことになる。

 彼はバイクショップやクルマのディーラーで、メカニックの仕事をしながら旅の資金を稼ぎ出し、すでに1年近くもオーストラリアをまわっていた。

 翌朝、広さんと別れる。彼はR1でアデレードへ、ぼくはR1でパースへと向かった。

 

最南西端のリーウィン岬

 R1の名前が変わる。ノースマンからサザンオーシャン(南氷洋)に面したエスペランスまでの200キロは、クールガルディー・エスペランス・ハイウエーという街道名になる。

 エスペランスに向かって南下していく。

 ユーカリの林が多くなり、さらに南下すると、一面の小麦畑になる。緑豊かな肥沃な土地だ。

 エスペランスに到着。海岸にDJEBELを止める。まっ青な空と海。サザンオーシャンから吹きつけてくる南風がキリリと肌に突き刺さる。冷たい。

 北半球の日本では、南風といえば暖かい風のことだが、南半球のオーストラリアでは、南風というと身を切られるほど冷たい風になる。サザンオーシャンの対岸は南極大陸なのだ。

 

 R1の名前がまた、変わる。

 エスペランスから500キロ西のアルバニーまでは、サウスコースト・ハイウエーになる。一直線の道。交通量は少ない。広大な牧場がはてしなくつづく。

 夕方になると、天気はいっぺんに崩れ、あっというまに黒雲に覆われる。

 あちこちで稲妻が光る。そのうちにザーッと、激しい雨が降ってくる。すさまじい降り方。まるで嵐だ。

 暴風雨に見舞われながら、アルバニーに到着。ここからパースまでは、R1はサウスウエスタン・ハイウエーになる。シードニー・パース間のR1は、全部で4つの名前を持つ街道だ。

  豪雨のナイトランの開始。南極の方向から吹きつけてくる風は、恐ろしく冷たい。おー、神様、仏様、助けて下さいと、泣きが入るほど。雨と寒風のダブルパンチに、ただひたすらに耐えて走りつづける。

 峠越えが恐怖‥‥。

 交通量はほとんどなくなり、強風でなぎ倒された樹木や折れた枝が、道路上に散乱している。台風直撃の中を走っているようなもの。

 ノースマンから920キロ走り、22時、マンジマップの町に到着。モーテルに泊まる。シャワーを浴びる。生き返ったゼ!

 

 翌朝は前夜の嵐がうそのような晴天。気分も晴々してくる。R1をいったん離れ、オーストラリア大陸最南西端のリーウィン岬まで行く。

 森林を抜ける道では3度、カンガルーに出会った。最初に3頭、次に1頭、3度目に2頭。夜間とは違って、朝とか夕方にに飛び込んでくるカンガルーは怖くはない。それどころか、ピョン、ピョン、ピョンとジャンプしていくカンガルーの野性美には、いたく感動してしまう。余裕を持って、見ることができるのだ。

 

 アウグスタの町から10キロ、オーストラリア大陸最南西端のリーウィン岬に着く。

 ぼくはこの岬が“オーストラリア・ナンバーワン岬”だと思うが、青森県下北半島の尻屋崎風の、いかにも岬、岬した岬なのだ。

 3ドル払って、岬の先端の、白亜の灯台に登る。ハーハー、息を切らして登った上からの眺めは絶景だ。右手の海はインド洋、左手の海がサザンオーシャンの南氷洋。リーウィン岬は、インド洋と南氷洋という、2つの大洋を分ける岬なのだ。このような、世界を大きく分ける境い目を見ることができるのが、オートバイツーリングの“ものすごい魅力”になっている。

 R1に戻り、パースへ。その手前でDJEBEL250XCの走行距離は1万キロを突破した。ノントラブルで1万キロを走ってくれたDJEBELに、

「ありがとう!」

 といって、17リッターのビッグタンクをさすった。

 パース到着は6月16日。シドニーを出発してから20日目のことだった。

 

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■コラム1■カソリのワンポイント・アドバイス

 僕はどんなときでも、1日3度の食事は欠かさない。とくに朝食を抜くことは絶対にありえない。レストランでの朝食ではベーコーン&エッグを好んで食べた。

 ジューッと焼いて脂ぎったベーコンが、大皿にゴソッとのっている。エッグは目玉焼きがたいてい2つ。それに焼きトマトがついてくることが多い。

 カントリー・スペシャルとかワーカーズ・スペシャルといったボリュームたっぷりの朝食も何度か、食べた。値段は10ドル前後。ベーコン&エッグに、さらに、ソーセージやマッシュルームなどがついてくる。

 

 オーストラリアですっかり好きになったのは、朝食のコーンフレークだ。日本で食べることはまずないのだが、「オーストラリア一周」では、2、3日、これを食べないと、無性に欲しくなるほどだ。

 ミルクをたっぷり入れ、シュガーをふりかけて食べる。このコーンフレークのミルクだが、1度、ホットがいいか、コールドがいいかと聞かれたので、ホットを頼んだことがある。だが、あまりうまくなかった。コーンフレークにかけるミルクは冷たい方がいい。

 オーストラリア人は、コーンフレークなどのシリアルが、大好きだ。

 いろいろな種類があるが、その中にデーツ(ナツメヤシの実)やバナナ、ヨーグルトなどを入れ、ミルクをかけて食べる。胃にもたれないし、栄養価は高いし、理にかなった朝食なのである。

 

 朝食のトーストには、ベジマイトは欠かせない。

 こんがりと焼いたトーストに、バターもしくはマーガリンを塗り、その上にベジマイトをしっかりと塗りつけるのだ。ベジマイトというのはオーストラリア特有のペースト。日本の味でいえば、納豆と塩辛をミックスしたようなもの。この味にいったん慣れるとベジマイト抜きだと、ものたりない朝食になってしまう。

 ベジマイトをたっぷりと塗ったトースト(僕はそれをベジパンと呼んだ)を食べると、すごく元気がでる。それも当然で、ベジマイトには、野菜のエキスがたっぷり入っているのだ。