カソリの食文化研究所:第6回 唐沢編
(『ツーリングGO!GO!』2003年1月号 所収)
「新そばが出始めた!」
というニュースをキャッチすると、そばを食べに信州に行きたくなった。
そばといえば信州。信州といえばそばなのである。信州のそばはほんとうにうまい! たとえば国道18号で群馬県側から碓氷峠を越えて信州に入ったとたんに、同じく国道20号で山梨県側から信州に入ったとたんにそばがうまくなる。
店によっての当たり外れがきわめて少ないのが「信州そば」の大きな特徴だ。
というのは信州人はうまいそばを食べ慣れているので、味の落ちる店はすぐにやっていけなくなってしまう。讃岐路でうどん店の当たり外れが少ないのとよく似ている。
「さー、行くゾ!」
と、気合を入れて、「信州そば」を食べに向かったのは松本に近い山形村。
信州のそばの名産地としては戸隠高原や開田高原がよく知られているが、松本に近い山形村の唐沢という集落は、知る人ぞ知る「信州そば」の絶品を食べられるところなのだ。ここには日本各地からそば通の人たちが大勢やってくる。
愛車のスズキDJEBEL250XCを走らせ、塩尻ICで高速を降りる。北アルプスの山々を間近に眺めながら高原を貫くサラダ街道を走り唐沢へ。
唐沢の集落には全部で10軒の家があるが、10軒、全部がそば屋をやっている。
各家の畑でソバを栽培し、収穫したソバを手打ちそばにして客に出している。ここは、まさに「唐沢そば集落」なのである。
そのうちの1軒、サラダ街道(県道25号)に面した「からさわ亭」に入る。
店の入口には「新そば」の貼り紙。さっそく「信州そば」を賞味する。まずはそばの味が一番よくわかる「盛りそば」を頼んだ。ざるに盛ったそばをツルツルッと食べる。腰のあるそば。しっかりとした歯ごたえがある。
さすがに新そばだけのことはあって、ゆであげたそばを箸で取り、そばつゆにつけて口に入れる瞬間、新米のご飯のようなほのかな香りが漂う。
さらに「からさわ亭」では「サラダそば」と「とろろそば」を食べた。
山形村の唐沢から塩尻に戻ると国道19号(中山道)を南下し、次に本山宿(塩尻市)に行った。
中山道の宿場町、本山宿は日本の「そば切り」発祥の地。本山宿で唯一、そばを食べられるのが「本山そばの里」だ。ここでは「盛りそば」を食べ、さらにソバ粉を熱湯でかいた「そばがき」を食べた。
この「そばがき」こそ、我々日本人の元々のそばの食べ方だった。
餅風のそばがきはずっしりと腹にたまる。それを麺に打って現在のような「そば切り」を考案したのは、恐らく16世紀の後半から17世紀の前半にかけてのことだろう。
その発祥の地が本山宿なのだ。
うどんや素麺の麺づくりの下地があってのそば切りの考案であったことは間違いない。「そば切り」はつくるのに手間がかかるのでハレ(非日常)の日の食べ物、それに対して簡単につくれる「そばがき」はケ(日常)の食べ物だった。
ぼくは国道18号の旧道で碓氷峠を越えて信州に入るのが好きだ。
上州側の急峻な山岳地帯を登り詰め、峠を越えて信州に入ると、劇的に風景が変わる。目の前には平坦な、広々とした高原の風景が広がっている。まさに「高原の国」。
と同時に信州は「峠の国」でもある。まわりを高い山々に囲まれた信州に入るのには、どのルートをとるにしても峠を越えていく。
峠を越えて入る信州の高原地帯が「信州そば」の故郷なのだ。
高原の冷涼な気候は稲作には不向きだが、耐寒性の優れたソバの栽培には適している。ソバは酸性の土壌でも育つし、栄養分の吸収力の強い作物なので、信州のやせた火山灰地にはぴったりのソバ栽培。さらに信州の高原にかかる冷たい霧が、ソバをより上質なものにする。
「信州そば」がうまいのは、ソバが信州に適した作物であり、信州産のそば粉の質が高いからである。これが一番の理由だ。
それともうひとつの大きな理由は、そば打ち名人が信州のいたるところにいることだ。 山里のごく普通の主婦たちの多くは、そば職人顔負けのそば打ち名人なのである。
これこそ母親から娘へと連綿と伝えられてきた生活の技。つなぎをまったく使わず、そば粉だけの十割そばを上手に打てる主婦たちがあたりまえのようにいる。
このように上質のそば粉とそばを打つ技術の高さが「信州そば」を支えている。
「信州そば」をすすると、信州の風土が手にとるようによく見えてくる。