賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの峠越え(7) 九州編(7):五木の峠 (Crossing Ridges in Japan: Kyushu Region)

 (『月刊オートバイ』1998年2月号 所収)

        

 今回からの峠越えの舞台は南九州だ。その第1弾は「おどま盆ぎり盆ぎり‥‥」の『五木の子守唄』で知られる熊本県の五木。まわりをぐるりと山々に囲まれた五木は峠の宝庫のようなところで、四方八方へ何本もの峠道が開けている。それら五木をとりまく峠をひとつまたひとつと越えていく。

 

高速道一気走り

 1997年、我が『豪州軍団』が10月10日午後10時、九州の水分峠に集合することになった。

『豪州軍団』というのは、1993年に一緒にオーストラリアのエアーズロックを目指して走ったメンバーとその仲間たち。毎年、場所を変えては、大集合している。南九州の「峠越え」は、それに合わせて旅立つことにした。

 

 神奈川県伊勢原市の自宅を出発したのは午前11時。ほんとうは夜明けとともに走り出したかったのだが‥。

 

「峠越え」のオートバイはスズキDJEBEL250XC。これから東名高速→名神高速→中国道→九州道と1000キロの高速道一気走りをするのだ。目標タイムは10時間!

 

 我が家に一番近い秦野中井ICで東名高速に入る。

「さー、DJEBELよ、行くゾー!」

 と、馬に鞭を入れるかのようにひと声かけ、走り出す。

 

 まずは80キロ走り富士川SAでDJEBELの17リッタータンクを満タンにする。このビッグタンクは長距離の一気走りの大きな武器になる。このあとは給油と食事以外はノンストップで、睡魔と戦いながら走りつづけるのだ。

 

 200キロ地点の浜名湖SAで昼食のホットドッグを食べ、東名から名神に入る。

 

 370キロ地点の多賀SAで給油。吹田JCTで中国道に入り、16時30分、西宮名塩SAに到着。ここまでの500キロを5時間30分で走った。予定よりも30分オーバーだが、まあまあだ。ここで夕食のキツネウドンを食べる。

 

 18時30分、680キロ地点の大佐SAで給油。ナイトランとなったこのころから猛烈な睡魔に襲われる。「ワーッ」と、大声を出したり、奥歯をギューッッと噛みしめたりして眠気をこらえる。

 

 20時00分、810キロ地点の阿佐SAに到着。夜食のチャーシューメン・ライスを食べる。22時00分、960キロ地点の美東SAで給油。あと、もうひと息。関門橋を渡って九州道に入ったときはうれしかった! DJEBELに乗りながらガッツポーズだ。 

 

 こうして23時00分、小倉東ICに到着。そこで九州道を下りた。

 東名の秦野中井ICか1035キロ。11時間45分と、残念ながら10時間では走れなかったが、まあ、よしとしよう。それにしても高速代の1万6050円は痛かった…。

 

 小倉から国道10号で大分県に入国道210号の水分峠に到着したのは24時30分。 峠でテントを張っていた『豪州軍団』の面々はすでに寝込んでいたが、何人かをたたき起こし、たき木を集め、真夜中のたき火をする。たき火を囲みながら、いつものようにおおいに飲み明かし、たき火のまわりでゴロ寝したのは夜明けが間近というころだった。

 

五木の峠越え、開始!

『豪州軍団』の面々と別れたあとは熊本へ。

 市内のビジネスホテル「ファースト」に泊まり、その夜は部屋のテレビにかじりつきで、サッカー・ワールドカップアジア最終予選の日本対ウズベキスタンの試合を見た。

 

 日本まさかの大苦戦で敗戦濃厚‥‥。試合終了直前になんともラッキーな1点を返し、1対1の引き分けで試合は終わった。

「あー、これでもう、フランスはダメか‥‥」

 と、嘆き悲しんで、焼け酒をあおる。

 

「でも、負けなかっただけいいではないか。最後のロペスの1点は超ラッキーだ!」

 と、自分で自分の気持ちを切り替える。きっとこの“超ラッキー”の1点が奇跡を起こしてくれると信じて眠りについた(後にこの1点が奇跡を生む!)。

 

 翌朝は気分を「峠越え」モードに変え、早朝の6時に出発。熊本市内の道はまだガラガラ状態。国道3号を南へ。24時間営業の店で「牛皿定食」を食べ、ふたたび走りはじめる。

 

 阿蘇から流れてくる緑川を渡る。川上に目をやると阿蘇の山々、さらには遠く九重連山が霞んで見える。心に残る風景だ。

 熊本から35キロの宮原で国道3号を右折し、国道443号に入っていく。

 

 東陽村の分岐を右へ、県道25号で「五木の峠」の第1番目、大通峠に向かっていく。あたりの風景はいっぺんに山がちになる。八代海沿岸の八代平野から九州山地に入った。このような風景の鮮やかな変化をみられるのが、峠越えの大きな魅力!

 

 DJEBELのアクセルをふかし、峠道を登っていく。交通量はすくない。コーナーをひとつ曲がるごとに高度を上げ、東陽村と五木村境の大通峠に到着。

 

 大通峠はまさに五木への玄関口で、昔から五木と熊本を結ぶ一番重要な峠になっていた。旧藩時代には、北の子別峠と南の番立峠とともに、この大通峠には人吉藩の番所が置かれていたという。

 

 大通峠の頂上は、峠公園になっている。展望台もある。駐車場にDJEBELを止め、しばし峠からの展望を楽しんだ。

 

 大通峠を下ると、五木村の中心、頭地の集落。ここから第2番目の峠、子別峠を越える。五木村と泉村境の峠だ。

 

 かつての五木の娘たちは7、8歳になると、町に子守などの奉公に出ていたという。その旅立ちの日、親は子供をこの峠まで見送り、峠で別れを惜しんだ。親の子を思う気持ちが峠名にもよく現れているではないか。

 

 そんな子別峠だが、峠名の読み方は“こわかれとうげ”ではなく、“こべっとう”と読む。峠名を含めて地名というのは、ほんとうに読み方が難しい。

 

 西日本では、峠をタワとかダワ、タオ、ダオともいうが、さらにトとかトウともいう。四国の難路で知られる国道439号の大峠は“おおとうげ”ではなく、“おおと”というが、この子別峠も峠をトウ読みするのだ。

 

 話は横道にそれるが、この年(1997年)の夏には、モンゴルを走った。

 

 モンゴルでは峠のことをダワといっている。なんと西日本風のダワと同じだ。モンゴル人にとって峠は旅の安全を祈願する祈りの場所で、石を積み上げ、旗がはためいている。その祈りの場所をオボウといっている。なんとはなしに、日本の“お坊さん”を連想させる言葉ではないか。そのオボウのまわりを時計回りに3回まわるのだ。国が違っても、民族が違っても、峠というのはおもしろい!

 

 さて、「五木の峠越え」の第3番目の峠は、国道445号の二本杉峠。峠の展望台に立つと、正面には白っぽく見える熊本の市街地が広がり、その向こうには金峰山が霞んでいる。右手には阿蘇、左手には雲仙という2大火山。目の底に残る二本杉峠からの眺めだ。

 

 開けた峠の上には、地元産の農産物などを売る店があり、そこでは串刺しにしたヤマメの塩焼きを売っていた。かぶりつきで食べたが、うまかった~!

 

 ここではもうひとつ、“いきなりだご”も食べた。ふかした大きな団子の中に、アズキとサツマイモのあんが入っている。なんで“いきなり”なのかはわからなかったが、“だご”とは団子のこと。

 

 こうして、その土地ならではのものを食べられるのが、オートバイ・ツーリングの大きな魅力。ぼくはいつも、日本中のそれぞれの土地の根づいた食べものを食べ歩きたいと思っているのだ。

 

「五木の峠越え」の最後は白蔵峠(梶原越)。五木村からこの峠を越えて水上村に入ったが、峠道を下っていくと、すごい風景が目の前に現れてくる。左手には球磨川源流の恐ろしく深い谷間が見え、正面には九州山地第2の高峰、標高1722mの市房山が聳えている。その風景を目に焼き付け、白蔵峠を下るのだった。

 

4500円の温泉宿

 水上村役場前の自販機でカンコーヒーを飲んでいると、目の前を通り過ぎていった“黒ネコヤマト”のトラックが、Uターンして戻ってきた。

 

 驚いたことに、そのトラックはぼくの前で止まると、車から降りてきたドライバーは開口一番、「カソリさんですよネ」というではないか。

 

 その人は、ぼくの本をよく読んでくれている豊永和典さん。旧車のXLパリダカ250とXT250に乗っている。オフロード大好きな豊永さんは、

「まさか、こんなところでカソリさんに会えるとは‥‥」

 と、喜んでくれた。しばらく立ち話をして別れたが、そのあとは胸の中がホワーンと温かくなり、「峠越え」で疲れきった体にまた元気がよみがえってくるようだった。

 

 球磨川に沿って国道219号を走る。多良木町では、くま川鉄道の多良木駅前の「えびす温泉」に立ち寄った。大浴場の内風呂も露天風呂も気持ちよく入れる。入浴料は400円。ここで「峠越え」の疲れを洗い流し、心身ともにさっぱりしたところで、人吉盆地の中心人吉へ。さらに球磨川沿いに国道219号を走り、八代に出た。

 

 日が暮れる。今晩の宿は、宇土半島の有明海側の赤瀬温泉。「有明館」という温泉宿に電話を入れてある。ここはなんと、1泊2食4500円という超安い温泉宿なのだ。

 

 7時過ぎに、赤瀬温泉の「有明館」に着く。遅い時間の到着にもかかわらず、宿のオバアチャンは、「よく、来ましたねえ」といって、ぼくを気持ちよく迎えてくれた。

 

 すぐさま、炭酸泉の湯に入る。湯から上がると、大広間での夕食だ。泊まり客はぼく一人。大広間に一人でポツンというのはなんとはなしに寂しが漂ってくる感じだが、オバアチャンが持ってきてくれた夕食を見て、そんな寂しさなどいっぺんに吹き飛んだ。

 

 タイの刺し身に小ダイの焼き魚、さっとゆでたイカ、アサリ料理、白身の魚の入った酢のもの、それに煮ものと、1泊2食4500円とは思えないほどの食事だったからだ。刺し身にしても焼き魚にしても、材料が新鮮だからうまいのだ。

 

“海の幸三昧”の夕食に大満足!

 夜明けの風景が、なんともきれいだった。「有明館」は有明海に面している。窓を開けると目の前が波静かな海。右手には熊本の金峰山、左手には雲仙の普賢岳が海越しに見えた。

 

 早めの朝食を食べ、出発。宿のオバアチャンはビニールの袋に入った早生のミカンをぼくに持たせてくれた。なにか、胸がいっぱいになってしまう。

 

「また、機会があったら、きっと来ますからね」

 と、オバアチャンに別れを告げ、国道57号で熊本へ。朝日を浴びた有明海は、まるで金粉をまき散らしたかのように、キラキラキラキラと光り輝いていた。

 

■コラム■

 熊本県五木村の中心、頭地から北に1キロほどいったところに「子守唄公園」がある。 そこには、

 

「おどま盆ぎり盆ぎり

 盆から先きゃおらんと

 盆が早よくりゃ

 早よもどる」

 

 と、「五木の子守唄」の歌詞が彫り刻まれた碑が立っている。スピーカーから流れてくるメロディーを聞いていると、胸がジーンとしてしまう。

 

「五木の子守唄」といえば、「竹田の子守唄」、「島原の子守唄」とともに“九州の三大子守唄”。日本人の心の琴線にふれるものがある。

 

「五木の子守唄公園」には、五木温泉の「温泉センター」もある。13時から21時までの営業で、入浴料は200円。湯に入ったあと、隣り合った「かやぶき茶屋」で「地鶏山菜そば」を食べたが、五木名産の手打ちそばと地鶏の肉の味は、なかなかのものだった。

 

 五木村はまわりをグルリと九州山地の山々に囲まれ、どこへいくのにも峠を越える。本文中で紹介した大通峠や子別峠、二本杉峠、白蔵峠のほかにも、八代へ通じる番立峠や、林道のアポロ峠などいくつもの峠がある。

 

 五木で唯一、峠越えルートでないのは球磨川の支流、川辺川に沿ったルートで、現在ではそこを国道445号が通っている。ところがこの国道の道幅は狭く、曲がりくねり、車のすれ違いも楽ではない。出会い頭の衝突を防ぐために“車の昼間のライト点灯”をうながす看板をあちこちで見るほどの難路。

 

 五木村の頭地から川辺川に沿って国道445を南に下ると、相良を通って人吉に通じているが、その途中の峡谷に川辺川ダムができる予定だ。その巨大ダムが完成すると、村役場のある頭地を含め、五木の多くの集落が湖底に沈む…。「五木の子守唄」のふるさとは今、風前の灯火なのである。