賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

シルクロード横断:第43回 アルダビール→タブリーズ

 アゼルバイジャンとの国境に近いアルダビールでは中心街の「ダリアホテル」に泊まったが、翌朝は夜明けとともに町を歩いた。

 この町の歴史は古く、13世紀末に誕生したイスラム神秘主義教団「サファービー教団」発祥の地として知られている。

 その生みの親、シェイフ・サフィーオッディーン(1251年~1334年)の霊廟はこの町のシンボルになっている。

 1501年、彼の子孫のイスマイールはシャー(ペルシャ語で王の意味)を名乗って、「サファービー朝」を建国。イスラムシーア派を国教にした。16世紀に即位したアッバス1世(アッバス大帝)のもとで、サファービー朝は全盛期を迎える。

 1597年、イスファハンを新たな首都に定め、アッバス1世自らが都市計画をつくった。その結果、広場を中心に宮殿や寺院、バザール、橋など壮大な町並みを造りだした。そんなイスファハンシルクロードの交易の一大中心地になった。

 早朝のアルダビールの町歩きを終え、ホテルに戻ると朝食。ナンにクリーム、ハチミツ、ゆで卵がついている。飲み物は紅茶だ。

 8時30分出発。高原地帯を貫く一本道を走り、トルコ国境に近いイラン第2の都市、タブリーズに向かって走る。カスピ海の沿岸地帯とはガラリと風景が変わり、乾燥した、荒涼とした風景がつづく。

 アルダビールから30キロほど走ると、サル・エインへの道との分岐点を過ぎる。

 残念ながらサル・エインには行けなかったが、ここは年間150万人以上もの人たちが訪れるイランでも最大級の温泉があるのだ。また別の機会に行こう!

 アルダビールから100キロほど走ると峠に到達。そこには18世紀に建てられたという「キャラバンサライ」(隊商宿)が残されていた。

 キャラバンサライというのはラクダや馬、ロバなどの背中に荷物をのせ、隊を組んで長い旅をつづけるキャラバンの泊まる宿。まさしく彼らのオアシス。きっと「サライ」(宮殿)のように見えたからなのだろう、いつしか「キャラバンサライ」といわれるようになった。

 シルクロードには、このようなキャラバンサライが30~45キロぐらいの間隔であった。それが隊商が1日で旅できる平均的な距離だった。

 当時の建物は旅人を癒す目的と同時に、旅人や商品の安全性を重視して建てられたもので、長方形をした頑丈な建物が大半だった。中庭があり、動物たちが一夜を明かす小屋の設備も整っていた。

 そんな「キャラバンサライ」の残る峠を越え、峠道を下っていくと、右手にはイラン第2の高峰、サバラーン山(4811m)が大きく見えてくる。雄大な独立峰の火山で万年雪をかぶっている。さきほどのサル・エイン温泉はこのサバラーン山麓の温泉だ。

 道路沿いの食堂でナンとゆで卵、トマトの昼食を食べ、タブリーズへ。

 タブリーズの町が近づくにつれて乾燥した荒野に緑が見えてくるようになる。こうしてアブダビールから218キロ、イラン第2の都市タブリーズには14時に到着。我々にはちょっと不釣合いなような「タブリーズ・インターナショナル・ホテル」に泊まった。ここはタブリーズでも最高級のホテルで4つ星だ。

 まだ日は高く、たっぷりと時間があるので、シャワーを浴びて着替えると、タブリーズの町を徹底的に歩くのだった。

朝食。ナンにゆで卵、はちみつ、クリームがついている

朝食。ナンにゆで卵、はちみつ、クリームがついている

タブリーズへの道

タブリーズへの道

峠に残る「キャラバンサライ」

峠に残る「キャラバンサライ

タブリーズに近づくと緑が見えてくる

タブリーズに近づくと緑が見えてくる