甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その23)
(『あるくみるきく』1986年10月号 所収)
サトイモの詩
まずはサトイモの詩である。
西原で栽培されているイモ類はサトイモ、ジャガイモ、サツマイモ、それとナガイモだが、サトイモの重要度が群を抜いている。ここでは単にイモといえばサトイモを指す。
収穫したサトイモは、
「むしって桶で こすられて」
とあるように、水を張ったイモ桶に入れられ、コスリイタと呼ぶ1枚の板、もしくは、コスリギと呼ぶX字型に交差させた2本の棒でもって、ゴロンゴロンとこすられる。桶の水を2度、3度と替えて洗う。このようにしてサトイモの泥を落とし、それから皮をむくのだ。
サトイモは、水の中にひとつかみの塩を入れた八升鍋のような大鍋で、長時間、ゆでられる。ひじろ(イロリ)のおかもさま(自在鉤)に大鍋をかけて、ゆでられるのである。 一家の主婦は夕食が終り、あとかたずけをすませると、イロリにかけた大鍋でサトイモをゆではじめる。
「夜鍋ごとごと 火をともし」
とあるように、イロリにかけた鍋のサトイモを見ながら、そのわきで裁縫などの夜鍋仕事をした。
寝る前には火に灰をかけ、早朝、起きたらすぐに火を大きくし、大鍋に水を足し、朝食にまにあうようにゆであげるのである。
「朝ごはんに 芋たべて」
とあるように、塩ゆでしたサトイモは朝食に食べることが多かった。各自が茶碗にサトイモを盛って、塩味がきいているので、そのまま食べるのである。
残ったサトイモは間食にする。
「あとはてっきで こんがりと」焼くのだが、てっきというのはイロリの火のまわりに立てる足のついた鉄網で、その上に冷たくなったサトイモをのせる。てっきの下には熾きを入れ、こんがりと焼いて食べるのだ。
サトイモはそのほか、茎を利用する。イモガラと呼んでいるが、皮をむいた茎を晩秋から冬にかけての寒風にさらし、晴天の中で10日ほど干す。それを煮物につかったり、のりまきの芯にする。