賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの新・峠越え:神奈川(16)篠窪峠(しのくぼとうげ)

 秦野峠(神奈川-14参照)、犬越路(神奈川-15参照)につづいて、3日連続の峠越えで篠窪峠に向かった。なんともうれしくなるような「峠越え三昧」の日々。

 2006年6月24日午前9時、出発。まるで通い慣れた道を行くかのように伊勢原市の自宅からスズキDR-Z400Sを走らせ、国道246号を西へ。善波峠を越え、秦野盆地に入っていく。秦野を通り、渋沢の「曲松」の交差点で国道を左折。県道708号に入っていく。

 道幅の狭いこの県道が篠窪峠に通じている。すぐに小田急線の踏み切りを渡る。右手には渋沢駅。踏み切りを渡ったところには稲荷神社。境内には樹高25メートルという大銀杏の木がある。また境内の一角には「大山道」の碑が建っている。この篠窪峠越えの道は昔からの大山参拝の「大山道」だった。

 県道708号を行くと、まずは最初の峠を越える。渋沢峠だ。峠をトンネルで抜けると、道は新道と旧道に分かれるが、左手の旧道を下っていく。するとすぐに「峠」の集落。集落名が「峠」というのだ。集落の入口には「峠」のバス停がある。渋沢峠と深く結びついた「峠」の集落なのだが、同じような「峠」は信州にもある。

 中山道の宿場、妻籠から旧道で馬籠峠を越えると、峠のすぐ近くが「峠」の集落。「峠」の集落を走り抜け、さらに馬籠峠を下ったところが馬籠宿になる。信州の「峠」の集落ではかつては市が立ったという。峠の向こう側の産物とこちら側の産物が市に並んだという。峠というのは2つの世界を結びつける場所にもなっているのだ。

 渋沢峠の落ち着きのある静かなたたずまいの「峠」の集落を走り抜け、新道と合流し、篠窪峠に向かっていく。その途中でもうひとつ、ゆるやかな峠を越える。名無しの峠のようだ。その峠が秦野市大井町の境になっている。峠を下っていくと小盆地にある篠窪の集落。そこにはうっそうと茂る森に囲まれた三島神社がある。県道をまたぐ椎の大木は樹齢500年だという。古い歴史を感じさせる篠窪だ。

 そんな篠窪の集落を過ぎると、じきに篠窪峠。幅広の篠窪トンネルで峠を抜けると風景は一変し、正面に連なる箱根の山々がドバーッという感じで目の中に飛び込んでくる。松田から小田原にかけての町並みも見える。相模湾伊豆半島も見える。さらに峠道を下ると、東名高速のわきを走る県道77号にぶつかる。そこは「篠窪入口」の交差点だ。

 そこから篠窪の集落まで戻り、今度は篠窪峠の旧道を行く。三島神社のわきから入っていく道が篠窪峠の旧道だ。ゆるやかな登り。ほどなく峠に到達。峠の畑にはソバの白い花が咲いていた。峠には「富士見塚」。それは矢倉沢往還の一里塚だという。矢倉沢往還というのは、今の国道246号の古道といっていい。そこはまた鎌倉幕府を開いた源頼朝が峠の榎木の木に馬を留め、富士山を眺めた場所。その風雅を偲んで「富士見塚」といわれるようになったという。

 峠からわずかに登ったところには「見晴休憩所」がある。そこからの大展望はすばらしいものだ。箱根の山々を一望し、右手には富士山も見える。酒匂川流域の平野を眼下に見下ろす。正面には箱根の外輪山、明神岳の麓には富士フイルムの工場群が威容を誇っている。そんな風景を目に焼き付け、篠窪峠を下った。

 旧道を下っていくと、大井町から松田町に入り、新道と同じように東名高速のわきの県道77号にぶつかる。そこの交差点もやはり「篠窪入口」。県道77号を行き、小田急線の新松田駅前でDRを停め、「篠窪峠越え」のゴールにした。新松田駅といったら、小田急線の渋沢駅の次の駅。電車でいえば「渋沢-新松田」という1駅間で、篠窪峠という峠を越えるだけで、これだけのいろいろなものが見られるのだ。そんなことを強く感じながら新松田駅前から国道246号に入り、伊勢原に戻るのだった。

篠窪峠新道のトンネル
篠窪峠新道のトンネル

篠窪峠旧道の富士見塚
篠窪峠旧道の富士見塚

篠窪峠旧道
篠窪峠旧道

旧道近くの「見晴休憩所」
旧道近くの「見晴休憩所」