賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「鵜ノ子岬→尻屋崎2012~2018」(5)

■2012年3月14日(水)晴のち曇 「田老→大船渡」163キロ

「グリンピア三陸みやこ」の朝湯に入る。大浴場の湯にどっぷりつかる。温泉でないのがちょっと残念。朝食を食べ、7時44分のバスで三陸鉄道北リアス線田老駅に戻る。田老駅前に到着したのは7時58分。あたりは一面の雪景色で路面の雪は凍りつきアイスバーン状態だ。ツルツル滑るので歩くのも楽でない。

 この道を走って北に向かうのは無理だ。

 じつは明日(3月15日)の夜、スズキ二輪のMさんと松島で落ち合うことになっている。その後、3日間、「スズキキャリー・キャラバン」に同行して石巻、大船渡とまわることになっていた。

 ぼくの最初の予定では東北太平洋岸最北端の尻屋崎まで行き、そこから松島まで戻るつもりでいた。ところがこの雪では尻屋崎まで行けるかどうかわからない。そこで田老から松島まで戻り、石巻、大船渡での「スズキキャリー・キャラバン」のイベントを終え、大船渡から再度、尻屋崎を目指すことにした。

 田老から松島までは往路では見られなかったところ、行けなかったところを2日がかりで走ることにした。

 まずは田老だ。

 気温が上がるまで田老を歩く。大津波に襲われ、壊滅状態の田老の町の端から端まで歩き、10時に田老駅に戻ってきた。わずか2時間だが路面の雪はかなりとけ、アイスバーンはシャーベット状になっている。

「それ、行け!」

 と、気合を入れて出発だ。

 スズキV-ストロームを走らせ、国道45号で宮古へ。

「進むも地獄、戻るも地獄」とはまさにこのことで、いくら路面の雪がとけてきたとはいえ、宮古までの国道45号にはかなりの雪が積もっていた。日影に入るとパリンパリンのアイスバーン。その間はいったん路肩に出、後続車が途切れたところで足を着きながら低速で走った。田老から宮古までは15キロでしかないが、わずか15キロを1時間近くかけて走った。

 宮古に到着すると宮古漁港をまわり、山田へと国道45号を南下する。

 ありがたいことに宮古を過ぎると路面の雪は消え、難所のブナ峠も路面にはまったく雪はなかった。

 山田に到着すると「いっぷく食堂」で定食。「焼き魚定食」(800円)を食べた。山田にも雪はなく、

「これなら行けるかもしれない」

 とばかりに、本州最東端のとどヶ崎を目指した。岬入口の姉吉は今回の大津波では38・9メートルという最大波高を記録したところだ。しかし甘かった。この姉吉への道も雪との格闘の末に断念…。山田に戻った。

 山田からは大槌、釜石と通り、大船渡で泊まることにした。

 18時、大船渡に到着。

 するとまるでそれに合わせるかのように、不気味なサイレンが町中に鳴り響いた。津波注意報が発令されたという。幸い大きな津波は押し寄せてこなかったようだが、ここでは宿探しが大変。町中を走り、「つつみ旅館」、「大船渡プラザホテル」、「ホテル丸森」…と営業している旅館やホテルを片っ端から当ったが、どこも満員だ。

 大震災から残った旅館やホテルは数が少なく、日本中からやってきた復興事業関連の長期滞在者でどこも満杯状態なのだ。宿がとれず、内陸の遠野とか一関、北上、花巻に宿をとって大船渡まで通う人たちも多くいるという。

 すごくラッキーだったのは地元の人に富山温泉を教えてもらったことだ。

 富山温泉というのは大船渡の近郊にある一軒宿の温泉で、日帰り湯がメインだが、何人かは泊まれるという。ダメモトで行ってみると、うまい具合に泊まれた。

 さっそく湯に入り、湯から上がったところで部屋で夕食。カンビールを飲みながら、スーパーの握りずしを食べた。いやー、助かった。ここは素泊まりで3000円。湯は十分によかった。「富山温泉」というのは、温泉を掘り当てた富山さんの名前から取ったものだという。