「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(51)
ここではJR常磐線亘理駅前にある郷土資料館(入館料200円)を見学。城を模した遠くからでも目につく建物。
館内の「亘理伊達家(伊達支藩)」のコーナーは興味深い。亘理は陸前浜街道の宿場町であるのと同時に、伊達成実がこの地に入って以来の城下町。戊辰戦争では朝敵とされ、藩主の伊達邦成や家臣たちは北海道に逃げるようにして移住した。
その亘理伊達家の開拓したのが伊達紋別(伊達市)。「亘理伊達家」のコーナーではその歴史を目で見ることができる。
亘理からは県道10号を行く。
阿武隈川河口の潟湖、鳥の海に寄っていく。
北岸の荒浜は阿武隈川の水運でおおいに栄えた。江戸時代、伊達藩はここから米を江戸に送った。伊達政宗が造ったといわれる太平洋岸の運河、貞山堀も、仙台から荒浜に通じるものだ。伊達藩はさらに荒浜の一帯を製塩地帯にし、最盛期には百数十もの塩田があったという。
そんな荒浜も大津波では大きな被害を受けた。温泉施設の「鳥の海」も閉鎖されたまま。「鳥の海」の前には瓦礫がうず高く積み上げられていた。
漁を再開した荒浜漁港の前には「鳥の海ふれあい市場」がオープン。そこでは荒浜漁港に水揚げされた魚介類などが売られている。「しゃこめし弁当」(680円)も売られている。これがうまい。飯にシャコの味がほどよくしみ込んでいる。
「しゃこめし弁当」を食べていると、ホンダのNC700Xに乗ったライダーがやってきた。何と「300日3000湯」の温泉めぐりのときに出会ったyoshiさんではないか。北海道を3000キロ走ってきたとのことで、第一声は「いやー、北海道は寒かった!」。苫小牧からフェリーで仙台に渡り、これから東京を目指して走るという。
yoshiさんと別れ、荒浜を出発。県道10号を走り、塩竃へ。その途中ではもうひとつの荒浜に寄った。ここは仙台市若林区の荒浜。亘理町の荒浜同様、大津波で全壊し、大きな被害を出した所だ。
東日本大震災の2011年3月11日、家にいたぼくは巨大地震の発生後、テレビの画面に釘付けだった。次々に大津波による被害の情報がもたらされる中で、ものすごいショックを受けたのは「浜に200人ほどの死体が打ち上げられている」というニュースが流れた時だ。「これはとんでもない災害になってしまった…」と実感したが、それが荒浜だった。
県道10号を右折し、貞山堀を渡ったところでV-ストロームを停め、荒浜を歩いた。海岸に出ると、太平洋に向かって手を合わせている若い女性の姿が目に入った。泣いているように見えた。家族を失った人のようだ。合掌したままの格好で、じっと立ちつくしている若い女性の姿が強烈に目の底に残った。
荒浜からは県道10号をさらに北へと走る。七北田川を渡り、仙台港のフェリーターミナル前でV-ストロームを止めた。
亘理の郷土資料館
亘理町の荒浜漁港
「鳥の海ふれあい市場」
yoshiさんとの出会い
仙台市の荒浜
荒浜の慰霊碑
仙台港のフェリーターミナル