「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(55)
石巻から県道2号で牡鹿半島に入っていく。牡鹿半島の浦々はどこも大きな被害を受けたが、瓦礫はすでに撤去され、漁港の岸壁もかさ上げされているところが多い。
そのうちのひとつ、月浦は慶長18年(1613年)、伊達政宗の命を受けた支倉常長の一行がローマに向けて船出した地。高台には支倉常長像と航海碑が建っている。そのすぐ脇には小規模な仮設住宅ができていた。
牡鹿半島の中心、鮎川に到着。港は大津波で破壊され、金華山への観光船のターミナルビルは無惨な姿をさらしたままだ。だがここでも岸壁はすでにかさ上げされていた。そんな鮎川港にV-ストロームを止め、岸壁に座り込んでの昼食。「初音旅館」の女将さんがつくってくれた握り飯を食べた。これがうまいのだ。
そのあと完成して間もない仮設の商店街、「おしかのれん街」を歩く。ここでは「300日3000湯」のときに何度となく出会ったホリゴメさんとうれしい再会。ホリゴメさんは仙台からホンダFTR223を走らせ、駆けつけて来てくれた。
ホリゴメさんとカンコーヒーを飲みながらしばしの歓談の後、鮎川から牡鹿半島の突端に向かっていく。半島南端の黒崎への道はないので、高台上の御番所公園へ。そこから網地島と田代島を眺めた。つづいて金華山を眺めた。
金華山を目の前にする山鳥渡からコバルトラインに入った。震災からすでに1年4ヵ月たっているのに、コバルトラインの南側半分はいまだに通行止めのまま。ツーリングライダーには人気のコバルトラインなだけに残念だ。
牡鹿半島の小さな漁村。岸壁はかさ上げされている
漁も始まっている
鮎川港の船乗り場。網地島、田代島への船が出る
鮎川港を一望
「初音旅館」の女将さんがつくってくれたおにぎり
鮎川の仮設市場
うれしいホリゴメさんとの出会い
コバルトラインの南側は通行止め