賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

日本列島岬めぐり:第47回 大王崎(だいおうざき・三重)

(共同通信配信 1990年)

 志摩半島東南端の大王崎には、近鉄の鵜方駅前から海沿いの道を南下して向かった。

 その途中、志島という集落を通った。ここは我がなつかしの地!

 志摩といえば海女漁の本場だが、何年か前の夏、ここの海女たちに漁に連れていってもらったことがある。船に乗って沖に出ると、海女さんたちは耳に栓をし、水中眼鏡をかけた。チューブの浮き輪に網をつけた「タンポ」を海に投げ入れ、鉄製のカギを持って海に飛び込んだ。

 アワビやサザエをつかんで浮かび上がってくると、腰に巻いた綱と結んだタンポにそれを入れ、「アーフッ」と大きな声を出したり、「ヒューッ」と口笛を吹くようにして息を整え、また海に潜っていった。

 そんなシーンが目に浮かんでくる。

 熊野灘と遠州灘を分けて突き出た岬、大王崎に到着。岬周辺の地名は波切(なきり)。何ともうまい地名のつけ方なのだろうと感心してしまう。

 熊野灘と遠州灘は、ともに船乗りに恐れられた難所。その2つの海の荒波を切り分ける所が波切なのである。

 江戸時代の波切港は江戸と上方間の風待港として、また海が荒れたときの避難港としてにぎわった。この港には米や酒樽、塩、材木、ミカンなどを積んだ船が頻繁に出入りした。

 大王崎は「伊勢の神前、国崎の鎧、波切大王なけりゃよい」

 と、歌にまで歌われた。ちなみに神前(こうざき)とは二見ヶ浦近くの神前岬、鎧とは国崎(くさき)の鎧崎のことで、波切の大王崎と合わせ、このあたりの海の三大難所になっていた。

 土産物屋がずらりと並ぶ小道を歩き、岬の灯台へ。断崖を見下ろし、その向こうに広がる太平洋の大海原を眺めた。

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灯台から見下ろす岬突端の岩礁