賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

日本列島岬めぐり:第46回 潮岬(しおのみさき・和歌山)

(共同通信配信 1990年)

「ここは串本 向かいは大島 仲をとりもつ巡航船…」

 と、ついつい口ずさんでみたくなる「串本節」の串本から、本州最南端の岬、潮岬に向かった。

 岬への道沿いには点々と集落があるが、家々の周りや畑の周りの防風林が目につく。潮岬は室戸岬と並ぶ「台風銀座」なのだ。

 岬周辺の旧潮岬村は、移民の盛んな村としても知られている。明治17年のオーストラリア・木曜島への移民を皮切りに、ジャワ島、フィリピン、ブラジル、ハワイと、戦前までに500人以上の村人たちが海を越えて移り住んでいった。

 なかでもオーストラリアへの移民が一番多かった。その大半は木曜島への移民で、アラフラ海で真珠貝を採った。

 昭和9年には直接アラフラ海に出漁するようになり、それ以降、村は「アラフラ景気」に沸いた。昭和13年にはアラフラ船団のうち2隻が遭難し、死者40人という大惨事が起きた。それにもかかわらず、アラフラ海への出漁は昭和36年までつづいたという。

 岬の先端には白亜の灯台。慶応2年(1866年)、欧米4ヵ国と結んだ江戸条約で全国8ヵ所に灯台が設置されることになり、潮岬と大島の樫野崎に建設された。この地に2つもできたのである。

 樫野崎灯台は明治3年の完成で、日本最古の石造灯台になっている。潮岬灯台は明治5年の完成。最初は木造だったが、明治11年に現在の石造りになった。

 潮岬灯台に登った。黒潮洗う岬周辺の海は、目のさめるような青さ。サンサンと降り注ぐ日の光は、肌を焼くほどの強さだった。

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本州最南端の潮岬